2003年8月4日(月)「しんぶん赤旗」
アジア、アフリカ三十六カ国と二十二の地域・国際機関が七月二十九、三十の両日、非同盟運動ゆかりの地、インドネシアのバンドンで閣僚会議を開き、「平和、繁栄、発展のための新戦略パートナーシップ」をめざす首脳会議の二〇〇五年開催を呼びかけました。米国の単独行動主義を批判して、国連中心の世界秩序や多国間協力を訴えています。
「アジア・アフリカ準地域機構会議」第一回閣僚会議と称したこの会議には各国代表のほか非同盟諸国会議、アフリカ連合(AU)、七十七カ国グループ(G77)、アラブ連盟、東南アジア諸国連合(ASEAN)が参加。インドネシアのハッサン外相と南アフリカ共和国のズマ外相が共同議長を務めました。共同議長声明では、再来年の首脳会議で「新戦略パートナーシップ」を正式に打ち出すとしています。
声明は、「多国間協力による問題解決をなし崩し的に弱める現在の一国主義の傾向に懸念を表明する」という表現で米国を批判。「多国間協力の重要性と、各国が国際法の原則とりわけ国連憲章を厳格に順守する必要性を強調する」と表明しました。「この点で、国連は平和と安全を維持し国際協力を強化するうえで中核的かつ欠かせない役割を果たしている。地球上の問題に取り組む多国間協力を支援し強化する必要性を繰り返し訴える」と述べました。
また、「グローバリゼーション(経済の地球規模化)の利益を公平に共有するため、共通の意見と集団的な行動を積極的に追求する必要がある」と提起。「世界貿易機関(WTO)での交渉を含む貿易自由化の中で、途上国の開発の要求に直接こたえるべきだ」とよびかけています。
主催国インドネシアのメガワティ大統領は、二十九日の開会総会で演説。「冷戦終結が宣言されたが、平和な世界の現実ははるかに遠い。核兵器は地球上に影を投げ続け、脅威は去っていない。人類の20%が富の80%を支配し、人類の80%が20%の富で生活しなければならない。アジア・アフリカ諸国の団結は当然だ」と、訴えました。
バンドンでは一九五五年、非同盟運動発足のきっかけとなったアジア・アフリカ会議が開かれました。二〇〇〇年四月の四十五周年記念式典で、当時のワヒド・インドネシア大統領が五十周年を記念した首脳会議の開催を提唱しました。(宮崎清明記者)