2003年8月27日(水)「しんぶん赤旗」
小泉純一郎首相は、二〇〇五年十一月までに党の憲法「改正」案をまとめるよう指示しました。「内閣の課題にはしない」などと党と内閣を使い分ける構えですが、首相が具体的期日を設けて改憲案とりまとめを指示したことは、かつてなかったことです。憲法を最も軽んじてきた首相が、ついに憲法を葬り去ることに手をつけはじめた−小泉発言は日本の行く末を左右しかねません。(藤田健記者)
「今後、集団的自衛権が行使できるというなら、憲法改正をした方が望ましい」。小泉首相は、首相就任後初の会見でもこうのべるなど、自らの改憲志向を隠そうとしませんでした。
その後も、テロ特措法、有事三法、イラク派兵法など自衛隊の海外派兵法を相次いで国会に提出。そのたびに、憲法を軽んじ、邪魔者扱いする放言・暴言をくりかえし、今年の通常国会では「将来やはり憲法を改正するというのが望ましい」という発言にまでゆきつきました。
こうした放言・暴言にも、国会で真正面から追及・批判するのは日本共産党だけ。「民主党も改正が必要だと言っているし、新聞社も改正案を出している」−−首相が語るような政党状況、マスメディアの状況が、改憲案とりまとめ発言の背景にあります。一改憲論者の突出した発言ではなく、自民党を中心とした改憲策動の到達点でもあるのです。
「日本の内閣には吉田、池田、佐藤などの経済中心内閣と、鳩山、岸、中曽根内閣など日本の民族性や統治権を中心に考えた内閣の二系統があるが、小泉君はわれわれのサイドの首相になり得るし、なってもらいたい」
小泉内閣の発足直後の二〇〇一年五月、根っからの改憲論者・中曽根康弘元首相は戦後の歴代内閣の系統を二つにわけて、小泉内閣を改憲派の系統に位置付けました。
しかし、中曽根氏が改憲派に位置付けた内閣も改憲案とりまとめに着手するどころか、「国情に即した修正を施す必要がある」と明言した鳩山一郎元首相以後は改憲にふれることもできませんでした。中曽根氏自身、「自分の在任中は憲法改正はしない」とのべざるを得ませんでした。
その意味で、小泉首相発言は半世紀ぶりの重大な改憲言明といえます。
首相にこうした言明を可能にさせたのは、一九九二年のPKO(国連平和維持活動)協力法以来十年余におよぶ海外派兵法の積み重ねと「車の両輪」のようにすすめられてきた改憲策動です。違憲の軍隊である自衛隊を、米国の戦略にそって次々に海外に送り出し、集団的自衛権の行使を中心とした九条「改正」論を当然視する政治環境をつくりだしました。一方で、国会には憲法調査会を設置(二〇〇〇年)。二〇〇一年には右派文化・知識人による民間憲法臨調(「二十一世紀の日本と憲法」有識者懇談会)もたちあげ、一体となって改憲策動をすすめてきました。
こうした策動の最大の原動力は、米国の軍事戦略に乗り遅れまいとする衝動です。
小泉氏の首相就任の前年、二〇〇〇年十月にはアーミテージ氏(その後米国務副長官)が中心になって対日特別報告書を作成。「集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している」として、政府の憲法解釈でも行使できないとされている集団的自衛権の行使を求めたのです。これが、有事法案提出や集団的自衛権行使への各種提言の契機となりました。
改憲の動きは、先制攻撃戦略をとるブッシュ政権になっていっそう顕著になり、先月末には、自民党憲法調査会の憲法改正プロジェクトチーム(谷川和穂座長)が安全保障に関する改正要綱案を提出。「国家の独立及び安全を守るため、個別的自衛権及び集団的自衛権を有する」としたうえで、「自衛権を行使する組織として、自衛軍を保持する」と明記し、米国が求めた集団的自衛権の行使に踏み込みました。
小泉首相の改憲案発言も、先制攻撃や他国の政権転覆さえ正当化する米国の無法な戦略に全面的に協力する日本に、根本からつくりかえるためのものです。
いま必要なのは、改憲日程の具体化ではなく、国連を中心とした世界の平和秩序をまもり、日本国憲法が示した武力によらない平和実現の先頭にたつことです。
●「自衛隊が軍隊でないというのは不自然だ。(自衛隊が)憲法違反といわれないような憲法を持ったほうがよい」「今後、集団自衛権を行使できるというなら、憲法改正をした方が望ましい。行使できないというなら、日本の国益にとって一番大事な日米関係の友好をどう維持していくか。今後あらゆる事態について研究してみる必要がある」(2001年4月)
●「憲法前文と9条との間のすきま、あいまいな点があるところを、どうやって日本ができることをやろうかと考えた」「憲法そのものも国際常識に合わないところがある」(01年10月、テロ対策特措法審議)
●「備えあれば憂いなし、治にいて乱を忘れず、これが政治の要諦(ようてい)であり、今回の(有事)法案提出の背景もその考えに沿ったもの」(02年4月、衆院本会議)
●「自衛隊が軍隊であると正々堂々といえるように、将来やはり憲法を改正するというのが望ましい」(03年5月、参院有事法制特別委)
●「(イラクに派遣される自衛隊員が)殺される可能性はないといえば、それはいえない。あるかもしれない」(03年7月、イラク特措法審議の参院連合審査会)
2000年1月 衆参両院に憲法調査会を設置
10月 日本の集団的自衛権の憲法上の制約に言及した「アーミテージ・リポート」(米国防大学国家戦略研究所特別報告書)が公表
01年4月 小泉内閣が発足
同 自民党の山崎拓幹事長が著書で改憲試案を発表
10月 米国のアフガン戦争支援のテロ対策特別措置法が成立
11月 憲法調査推進議連が「憲法改正国民投票法案」をまとめる
02年4月 有事3法案を国会に提出
7月 民主党憲法調査会が憲法見直し作業のたたき台とする報告を発表
11月 衆院憲法調査会(中山太郎会長)が「中間報告書」を衆院議長に提出
同 公明党が全国大会で「加憲」を打ち出す
03年3月 アメリカがイラク攻撃を開始
6月 有事法制が成立
7月 イラク派兵法が成立