2003年9月3日(水)「しんぶん赤旗」
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大会第一日の夜は、ベンアリ大統領主催の晩餐(ばんさん)会がある、と、私と緒方、森原の三人のところへ、丁重な招待状がとどけられていた。場所は、カルタゴ地域にある大統領官邸。ガイドブックには、カルタゴ観光中に大統領官邸にカメラを向けると「フィルムを没収される」こともあり「要注意」と書いてあるものもあるから、チュニジアでも、もっとも警戒厳重なところなのだろう。
例によって大型バスで集団移動。まず大統領のあいさつを受けてから、晩餐会の会場へという段取りのようで、その順路にそって各国代表団の列がおのずからできる。大統領とのあいさつは団長一人という限定だったが、緒方さん抜きでは“無言のあいさつ”になってしまうので、「通訳」という名目で、割り込ませてもらう。
そこへ小野大使もたまたま一緒になった。大統領が待つ部屋への道を歩きながら、大使は「信任状の提出で大統領に会った時とは、別の場所ですね。今夜は、もっと奥の特別の部屋を使うようだ」と、二度目の官邸訪問の感想を語る。
私は、大会への祝辞を、この機会にベンアリ大統領に直接手渡そうと考えていた。大会の現場に実際に出るまでは、大会で直接祝辞を述べる機会があるかな、と思っていたが、現場を見て、それは不可能な話だと分かった。
大会で通用するのは、もちろんアラビア語。チュニジア人は百パーセントフランス語を話すというから、フランスの国会議員やフランス語圏の来賓などは、フランス語で演説していたが、これは別格である。同時通訳の体制はとっていても、イヤホンをつけているのは、外国代表だけ。以前、ベトナムの党大会であいさつを述べたときには、同時通訳の音声をスピーカーで会場に流していたが、ここでは、そこまでの装置はととのえていない。つまり、アラビア語の通訳がいないと、会場でのあいさつは不可能だという状況である。私たちが出席しなかった午後のこと、中国代表が通訳つきであいさつしたが、アラビア語の通訳が同行してのことだった、と聞いた。
そこで、晩餐会の席で大統領に会う時に、私の祝辞を大統領に手渡すことを考えた。これなら、大会期間中に、チュニジアの党指導部に、直接、しかも公的な形で渡すことができるからである。
ベンアリ大統領の待つ部屋に入り、自己紹介して握手を交わすと、「私たちの党への招待を受け入れて、大会に参加してくれたことに心から感謝しています」と大統領。私は、招待への謝意をのべたあと、ビニールの紙ばさみにおさめた祝辞をだし、「これは、あなたがたの歴史的な大会にあてた私のメッセージです。日本語の原文とともに、フランス語訳と英語訳を入れてあります」といって、手渡した。大統領は「ありがとうございます」と言って受け取る。
少し離れたところにならんでいた人たちのあいだには、一瞬、驚きやざわめきが走ったようだった。握手とあいさつ以外の議事がこの席でおこなわれることは、おそらく予想外のことだったろうから。(つづく)