2003年9月7日(日)「しんぶん赤旗」
政府は自衛隊のイラク派兵に向け、治安情勢などの調査のため岡本行夫首相補佐官を六日から現地に派遣するなど動きを強めています。小泉純一郎首相は五日、岡本氏に「(治安情勢の)しっかりした見通しを立ててきてほしい」と指示しました。しかしイラクの治安情勢は悪化の一途をたどっており、政府が自衛隊を派遣するという「非戦闘地域」などどこにもないのが実態です。
これまで政府・与党が現地調査の結果、「治安は改善している」と判断した地域でことごとく襲撃事件が発生してきました。このためイラクの治安情勢に関する政府の答弁も二転三転してきました(表)。現地調査をし、いったん「安全」だと判断しても、あっという間に「戦闘地域」に変わってしまうのが、イラクの現状です。
「非戦闘地域を設定するのは不可能だ」という野党の追及に対し、答弁に窮した政府は、最後には「米英以外の治安維持活動をしている国々からは死亡という報告はない」(福田康夫官房長官)といい、米英軍以外は安全だと開き直りました。
ところが、その後、デンマーク軍の兵士が銃撃戦で死亡。ヨルダン大使館や国連現地本部、イスラム教シーア派聖地での爆弾テロ事件など、攻撃の対象は無差別に広がっています。
イラクでの大規模戦闘終結(五月一日)後、敵対行為による米兵の死者は六十人以上にのぼります。米軍準機関紙「星条旗」四日付は、同期間で、作戦行動中に負傷した米兵は五百七十四人に達していると指摘。うち八月一日以降の負傷者は二百九十七人にのぼっており、五割を超えています。治安情勢が急激に悪化していることの反映です。
治安情勢の悪化は、米英軍がイラクに対し無法な侵略戦争をし、不法な軍事占領を続けているところに根本的な原因があります。それがイラク国民の反発を招き、事態を泥沼化させて、テロと暴力の温床になっているのです。
米英軍による軍事占領を支援するために自衛隊の派兵をごり押しすれば、とりかえしのつかない事態になりかねません。
ここにきて自衛隊派兵の動きが急速に強まったのは、バグダッドの国連現地本部爆弾テロ事件を受けて、日本の閣僚から慎重論が出たことに対し、アーミテージ米国務副長官が「逃げるな」と早期派兵を迫ったからだと報じられています。
米国のどう喝で自衛隊派兵を進めるというのであれば、国民の生命と安全を守る政府の資格はありません。米国いいなりの自衛隊派兵はやめ、国連中心の復興支援という立場に転換することが必要です。
(榎本好孝記者)
イラクの大規模戦闘終結後の 主なテロ・襲撃と政府の治安認識 | ||
6月 | 3―11日 | 政府調査団が「バグダッド市内及びバグダッド以南などの地域」で「治安状況は改善」と結論 |
24日 | 南部の都市アマラで英兵6人が死亡 | |
20―25日 | 与党調査団が「バグダッドの治安は急速に改善してきている」と報告 | |
26日 | 石破茂防衛庁長官が英兵6人の死亡を受けて「南部は安全だと言われながら何事かという、ご指摘をいただいた」と答弁 | |
7月 | 1日 | 与党調査団の代表が国会で自衛隊によるバグダッド国際空港での給水活動とC130輸送機による空輸を提案 |
16日 | バグダッド国際空港に着陸しようとした米軍C130が地対空ミサイルの攻撃を受ける | |
17日 | 外務省の安藤裕康中東アフリカ局長が国会で「バグダッドとその近郊でアメリカ兵に対する攻撃が相次いでいる」と治安悪化を認める。一方で「バスラなどを含むバグダッド以南の地域では治安が改善されつつある」と答弁 | |
同上 | 福田康夫官房長官が米英以外は攻撃の標的になっていないとの認識を示す | |
26日 | 自衛隊イラク派兵法(イラク特措法)が成立 | |
8月 | 7日 | バグダッドのヨルダン大使館前で爆弾テロ。少なくとも14人が死亡 |
16日 | 南部の都市バスラで銃撃戦によりデンマーク軍兵士1人が死亡 | |
19日 | バグダッドの国連現地本部で爆弾テロ。デメロ事務総長特別代表ら24人が死亡 | |
20日 | 石破防衛庁長官が記者団に「治安回復には相当時間がかかる。年内(の自衛隊派遣)は難しいかもしれない」と語る | |
22日ごろ | アーミテージ米国務副長官が中東担当特使に「逃げるな」と自衛隊の早期派兵を迫る | |
23日 | バスラで英軍車両への攻撃で英兵3人が死亡 | |
29日 | ナジャフで爆弾テロ。イスラム教シーア派最大の政治組織の最高指導者をはじめ少なくとも82人が死亡 | |
9月 | 1日 | 福田官房長官が自衛隊派兵のための政府調査団の早期派遣を表明 |
6日 | 岡本行夫首相補佐官が治安情勢などの調査のためイラクに向け出発 |