日本共産党

2003年9月8日(月)「しんぶん赤旗」

チュニジアの七日間 (15)

中央委員会議長 不破哲三

カルタゴの二重の遺跡


昼食はセネガル代表とともに

 昼食は、セネガルの代表三人と同じテーブルになった。セネガルは、マリと同じくかつてはフランス領スーダンの一部だった大西洋岸の共和国、独立も同じ一九六〇年である。セネガル民主党の現職の通産相と国会議員、民主的刷新連合の書記長で元外相の三人だった。自己紹介をしあったあと、「セネガルを知っているか」と遠慮がちに聞く。「東京でも、セネガル大使にはよく会っている。だいぶ前のことだが、私たちとの関係の深い出版社で、『セネガルの息子』という小説を出版したこともある。あなたがたの民族独立闘争をえがいた小説だった」と答えると、うれしそうな表情。

 『セネガルの息子』は、四十年ほど前、『世界革命文学選』の一冊として新日本出版社から出版されたもので、帰国してから調べてみたら、『セネガルの息子』とはロシア語訳の発行の時につけられた表題で、もともとの原題は『ああ、祖国よ、わがすばらしき民衆よ』(作者はサンベーヌ・ウスマン)。どの小説をさしての話か、相手には通じなかったかもしれない。ともかく、私たちがセネガルという国を知っていることだけは、分かってもらえたはずである。

 名簿を見ると、ほかに二つの政党が代表を送っており、全体では大きな代表団が参加していた。

カルタゴ―ビュルサの丘にたつ

写真
フェニキア・カルタゴの住宅遺跡の前で。左側に見える石壁は、この住宅跡地を埋めるために、ローマ人が築いたもの=7月29日午後

 午後は、公的な日程がないので、カルタゴ探訪にあてることにする。暑いさなかの探訪は避けて、夕刻が近づいたころ出発。チュニジア側の案内ぬきの、私たちの独自探訪である。

 北上して二十分ほどで、めざすカルタゴに着いた。

 車を降りたのは、ビュルサの丘。ここからは、カルタゴ地域のほぼ全体が一望できる。

 前にも述べたことだが、一口にカルタゴと言っても、フェニキア人が建設したカルタゴ(前九世紀―前一四六年)とローマが再建したカルタゴ(前四五年―五世紀)と、中間に百年ほどの空白期をはさんで二つの時代がある。

 カルタゴと聞いて、すぐ私たちの頭に浮かぶのは、三次にわたる大戦争・ポエニ戦争で象の大群を率いて前人未踏のアルプス越えをし、ローマと戦った英雄ハンニバルだが、それはフェニキア人たちのカルタゴ。ローマ支配下のカルタゴについては、あまり知識はない。

 しかし、現在のチュニジアに残っているカルタゴ遺跡は、ほとんどがローマ時代の遺跡だ。ポエニ戦争(前二六四―前一四六年)で勝利したローマが、カルタゴを徹底的に破壊し、破壊のあとを土で埋めて平らにならし、何の痕跡をも残らないようにしたのである。

 私たちがまず立ったビュルサの丘は、二つの時代を通じて、都市カルタゴの中心となっていたところだが、丘の上に立ち並ぶ石柱の遺骸や、それに続く建築物の遺構は、すべてローマ時代のものだ。

発掘されはじめた旧カルタゴの遺跡

 ただ一九七三年からユネスコの支援のもとに開始した発掘作業(「カルタゴ保存」キャンペーン)で、その下の層から旧カルタゴの住宅あとが発見された。丘の東側、すぐ目の下に見えるが、フェニキア・カルタゴの貴重な遺跡である。これは重要だと、その近くまで降りて、記念写真をとってもらった。

 よく見ると、住宅あとの北側に、住宅の高さを上回るところまで石を高く組み上げた石壁が続いている。フェニキア時代の住宅あとを埋めつくすために、わざわざつくった石壁だというから、ローマ人たちのカルタゴ破壊の執念を示す物的証拠である。

 丘から南方の海岸方面を遠望すると、海が丸い形に入り込んでいるところが見える。これは、フェニキア・カルタゴ時代の軍港のあとで当時は、二百二十隻もの軍船を収容できるカルタゴ海軍の根拠地で、二重の防壁で堅固に固められていたとのこと。さらに南に商業港があり、軍艦はこの商業港を通って、外洋に出動していったわけだ。

アントニヌスの大浴場

 丘を下りて、アントニヌスの共同浴場に行く。ここは、典型的なローマ時代の遺跡である。ローマがカルタゴ再建に着手したのは、最初の皇帝アウグストゥスの時代(前二九年)だったが、それから百数十年たって、二世紀のローマ皇帝アントニヌスの時代にカルタゴで完成したのがこの大浴場、総面積三・五ヘクタールというローマ世界で三番目という規模を誇った。現存する遺跡も、当時の壮大さを偲(しの)ばせるだけの規模をもっている。ここに、高さ三十メートルにおよぶ巨大ドームがそびえていたとのことで、ローマ帝国が、その地中海支配の拠点として、カルタゴにどんなに力をいれていたかが、推察される。

 大浴場のある史跡公園のすぐ北側が、昨夜、晩餐会のあった大統領官邸。すぐ近くに姿が見える。「写真をとるときは、方角に注意」が、期せずしてここでの合言葉になった。

(つづく)


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