2003年9月10日(水)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 日本政府が最近「独立国だった」と主張している、「満州国」はどのようにつくられたのですか。(東京・一読者)
〈答え〉 戦後、中国に残された日本国民を放置した国の責任を問う裁判で、政府は今年七月、満州国は日本とは別の「独立国」だったとの準備書面を提出し、人々の怒りを呼んでいます。「満州国」は、中国東北部を侵略した日本が、清朝の皇帝だった溥儀(ふぎ)を執政にしたてて「建国」を称したもので、実権は日本の軍人や官僚が握り、独立性は皆無でした。
一九三一年九月十八日、奉天近郊の柳条湖で鉄道爆破事件が起き、南満州鉄道などの日本権益の守備隊・関東軍が「自衛」と称し中国東北部へ大規模な侵略戦争を開始しました(満州事変)。これが事前に計画されていたことは、関東軍の作戦主任参謀・石原莞爾(かんじ)が配布した内部文書「満蒙問題私見」(三一年五月)など、多くの資料で確認されます。中国東北部を「我(わが)領土とする」(「私見」)ねらいでした。
政府や軍部首脳は侵略戦争を追認し、三二年一月には天皇が関東軍の「忠烈」をたたえる勅語を発します。商業紙も戦争熱をあおる報道に終始しました。
関東軍が主要都市を制圧した三二年三月、「満州国政府」名の「建国宣言」が発表され、九月に日本と「満州国」との「日満議定書」が調印されます。議定書の付属文書である、溥儀から関東軍司令官への書簡は、▽国防は日本軍に委託し費用は満州国が負担▽日本軍が使う鉄道・港湾・飛行場などの管理・新設は、日本の指定機関に委託▽関東軍司令官が推薦する日本人を官吏に選任し、解職も司令官の同意が必要−など、国家機能の大半を日本に委ねています。
国際連盟が派遣した調査団は「満州国」と独立運動との関連などを否定し、国際連盟総会は三三年二月、日本軍の侵略地域からの撤退を勧告します。日本は勧告を拒否して国際連盟から脱退、孤立と戦争拡大の道に進みました。
(清)
〔2003・9・10(水)〕