2003年9月11日(木)「しんぶん赤旗」
米国の同時多発テロを受けて、米国の報復戦争を支援するテロ特措法、米占領下のイラクに自衛隊を派兵するイラク特措法を次々と強行した小泉自公政権。小泉純一郎首相は「アフガンに後方支援出した、追随ですか。イラクの(米軍の)武力行使を支持した、これ追随ですか。私はそうは思わない。協力なんです」(八日、NHKテレビ)と語気を強めます。しかし、この二年間、「協力」の名のもと米国の要求に唯々諾々、対米追随の対応だったことは隠しようがありません。
「ショー・ザ・フラッグ(旗を見せろ)」――アーミテージ米国務副長官が言ったとされるこの一言で、小泉政権は二〇〇一年十月五日、米国がアフガニスタンで行うテロ報復戦争に自衛隊を派兵する法案を国会に提出しました。
現に戦争を行っている米軍に自衛隊を協力させるという戦後初の暴挙を、「憲法上の一貫性を聞かれれば、答弁に窮してしまう」(小泉首相)といったでたらめ答弁続出の三週間足らずの審議で強行。米側が「こんなに迅速に行動していただいた日本政府をたたえたい」(ベーカー駐日大使、同年十二月六日)と持ち上げたほど、テロ特措法は徹頭徹尾、米側の要求にこたえたものでした。
イラクへの無法な戦争につづく占領統治への協力も米側の要求がきっかけでした。
国会で憲法上の問題が指摘されながら、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊の派遣)」と米側に迫られるや、イラクの実情も憲法の原則も顧みず、小泉首相が二〇〇三年五月の日米首脳会談で自衛隊派兵を約束。同年六月には、「(自衛隊は)観客席からフィールドへ」というアーミテージ氏のだめ押しを受け、通常国会の会期を延長してまで強行したのが、イラク特措法でした。
同時多発テロ以後の二年間は米国の横暴勝手の一方で、それを許さず、世界の平和の秩序を守ろうという大きな流れが、国際世論にも支えられ、国際政治の主流となっています。
その流れに逆行して、米国の求めるまま、米国の行う戦争に自衛隊を派兵することだけにきゅうきゅうとしてきたのが、小泉政権の恥ずべき姿です。
この二年間で、戦争でテロはなくならないこと、そして米国の横暴勝手は通用しないことは、国際的に明らかになりました。
アフガニスタンについて、ラムズフェルド米国防長官は五月一日にいったんは“戦闘終結”を宣言。しかしその後も戦闘は続き、米国の有力シンクタンクも、「テロリストの天国とならない国にする」という戦争の目標は「依然として達成には程遠い」と失敗を認めたほどです。
八月に公表された日本の「防衛白書」でさえ、「軍事力によるテロリストの排除のみによっては、テロとの闘いに勝利することはできない」と指摘しています。
それでもなお、ブッシュ大統領は七日のテレビ演説で、占領下のイラクにおける治安対策を「対テロ戦争」の一環に位置付け、日本を含む国際社会に“責任分担”を求めるなど、すでに行き詰まったやり方をいっそう推し進めようとしています。
それに付き従うのが小泉政権です。九月末にも召集が予想される臨時国会で、テロ特措法の四回目の延長を画策。イラクへの自衛隊部隊の派兵も、またもやアーミテージ氏に「ドント・ウオーク・アウエー(逃げるな)」と一喝されて、準備を急いでいます。
戦争でなにもかも解決しようという、すでに破たんした米国のやり方を批判するどころか、それにどこまでも追随する小泉政権は、九月十一日を、世界から孤立する道をこのまま進みつづけるのかどうかを問い直す機会とすべきです。(山崎伸治記者)