日本共産党

2003年9月27日(土)「しんぶん赤旗」

松川事件とは?


 〈問い〉 松川事件の全員無罪判決から四十年だそうですが、どんな事件だったのですか。(埼玉・一読者)

 〈答え〉 警察・検察によって松川事件の犯人とでっち上げられた二十人は、一九六三年九月の最高裁判決で全員無罪が確定しました。今年はこの判決から四十周年となります。

 松川事件とは、一九四九年八月十七日未明、福島県を通過していた東北本線の上り列車が、松川駅にいたる途中のカーブの曲がり鼻で脱線・転覆した事件です。線路への破壊工作によるもので、乗務員三人が死亡、乗客など八人が負傷し、国民に大きな衝撃を与えました。

 当時、日本は米軍の占領下にあり、占領軍が押し付けてきた超緊縮経済政策(ドッジ・ライン)による大量首切りに対し、国鉄労働者をはじめ国民のたたかいが広がっていました。ところが七月に、東京・三鷹の列車暴走事件や国鉄の下山総裁れき死事件などの謀略事件がおき、政府はこれを口実に国鉄労組への弾圧を強めていました。

 松川事件でも、直後から吉田茂内閣の増田官房長官が事件の「思想的底流」を問題にするなど、政府は事件を日本共産党や国鉄労働者の大弾圧に利用する意図を鮮明にし、捜査当局も、もっぱら日本共産党や国鉄労働組合、東芝松川工場労働組合をねらいうちにした捜査を展開しました。当局は国鉄と東芝の労働組合員二十人を犯人だとして起訴し、一審、二審では死刑を含む有罪判決が出されました。

 しかし裁判の進行とともに警察・検察による「自白」強要や証拠隠滅、偽証などが明らかになり、被告や家族の無罪の訴えに、作家の広津和郎をはじめ国民的な支援が広がります。五八年には全国組織「松川事件対策協議会」が結成されました。

 思想信条をこえた人々の支援が高まる中、五九年に最高裁は原判決破棄・差し戻しを命じ、六一年、仙台高裁は全員無罪判決を下しました。六三年に最高裁は検察の上告を棄却、全員無罪が確定しました。

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 〔2003・9・27(土)〕


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