2003年11月9日(日)「しんぶん赤旗」
【ワシントンで浜谷浩司】「軍は私をシンボルとして使った。それは間違っている。なぜ撮影したのか分からない」(ジェシカ・リンチさん)
米陸軍上等兵のリンチさん(当時、十九歳)は、イラク戦争開始から三日をへた三月二十三日、南部のナシリヤでイラク軍と「交戦」中に行方不明になり、その十日後に米軍の「救出奪還作戦」で「奇跡の生還」を果たしたと報道された渦中の人です。そのリンチさんが初めてこう語ったインタビューが十一日、米ABCテレビで放映されます。
特殊部隊によるこの「作戦」を米軍は暗視撮影し、テレビがいっせいに放映しました。マスコミは当時、米軍がイラク軍と「交戦」しながら、リンチさんが収容されていた病院に「突入」したと伝えました。イラクでの米軍の犠牲に沈みがちな米国民の「戦意」を奮い立たせるものとなりました。
しかし、米軍筋を出所としたこの報道は、でたらめだったことが次第に明らかになります。病院にはすでにイラク兵は一人もおらず、交戦はなかったばかりか、医師たちは、リンチさんを米軍に返そうとしました。
「奪還作戦」だけではありません。救出の二日後、ワシントン・ポスト紙は「彼女は最後までたたかった」と大書しました。
しかし、リンチさんは「私は英雄なんかじゃない」「つくり話に傷つけられた」と語ります。
実際には、ナシリヤで、一部の米軍車両が車列から取り残され、「疲労と空腹で頭が回らなくなっていた」とき、車は「はじける弾の音や叫び声」に包まれて「動けなくなった」「ガソリンがなくなった」。彼女が手にした銃は「作動せず」「一発も撃たず、しゃがみこんで、そこで記憶が途切れた」といいます。彼女の負傷は、撃たれたものではありませんでした。