2003年11月14日(金)「しんぶん赤旗」
「もし五分遅れていたら僕は死んでいた」。十月六日から同二十三日まで二週間あまり戦場のイラクを訪れた埼玉県川口市の荻野仁司さん(43)は、バグダッド・ホテル近くで起きた自爆テロに遭遇しました。帰国後、その体験を語り、「自衛隊派兵反対」を訴え続けている荻野さんの思いを聞きました。(菅野尚夫記者、イラクの写真は、いずれも荻野さん提供)
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十月十二日、バグダッド・ホテルに乗用車一台が衝突して爆発。十七人のイラク人が死亡、数人が負傷しました。このとき荻野さんは隣のホテルに滞在していました。
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バグダッド・ホテルは米中央情報局(CIA)要員、米軍関係者らが滞在していた場所。爆発物を積んだ車は午後零時五十分ごろホテルにつながる横道から進入し、ホテルを囲むコンクリート製防護壁に突っ込み自爆しました。荻野さんはこの道を五分前に通って隣のホテルに戻ったばかりでした。
「ドカーン」と爆発の瞬間の耳をつんざく音。爆風で天井が落ち、窓が吹き飛びました。「頭が真っ白になるというのでしょうか、記憶が飛びました」と荻野さん。「イラクにいくことを決意したとき、もしかしたら、死ぬことも覚悟し、仕事もやめて訪問しましたが、本当に生と死が紙一重で向かいあう戦場なんだと実感しました。絶対に自衛隊は行くべきでないですよ」
いっしょに訪問したイラク戦争に抗議しイラクで「人間の盾」になった木村公一牧師(55)ら四人全員の無事を確認し喜び合ったといいます。「死と隣り合わせの現実が見えてくる。ホテルの前で靴磨きをしていた子どもは無事なのか? 僕らは日本に逃げ帰ることができる。でもイラクの子どもたちは戦火のなかでずっと逃げられずにここにいるんですから。言葉にならない悲しみと怒りがこみあげてきました」と荻野さん。
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二〇〇一年九月十一日、ニューヨークで発生したテロ事件をきっかけに、平和と戦争について考え、ピースウオークなどの行動に参加してきました。有事法制、イラク特別措置法と相次いで国会を通るなか「米国がイラク戦争終結を宣言すると急速に国民の関心が薄くなるのを感じました。確かな情報を伝えないと戦争を止める力にならない」。そう考えて荻野さんはイラク行きを決意。
「自衛隊よりもサッカーボールを」とイラクの子どもと約束した木村牧師とともに、サッカーボールを子どもたちに届け、病院には医薬品を援助しました。
銃口を市民に向けて米軍の戦車や装甲車が行き交うバグダッドの街。劣化ウラン弾が投下され破壊された建物。医薬品がなく死を待つしかない子どもの悲しい目…。荻野さんが見たイラクは戦場そのものでした。
「銃で監視されている街はイラク人にとって屈辱です。日本に対しては親しみを持っていますが自衛隊がきてほしいとはだれも思っていません」と荻野さんはいいます。
帰国後、精力的にイラクの今を伝えている荻野さん。三十日には埼玉県草加市で「私の見てきたイラク」と題して講演します。
荻野さんの両親は東京大空襲にあい、家を失いました。その体験を聞いて育った荻野さんは「戦争の実際をイラクで体験しました。この目で見た戦争について真実を告げていく」と語ります。
自衛隊を年内にも派兵しようという事態に荻野さんは決意をこめていいます。
「大っぴらに戦争をする国になろうとしている。憲法違反がまかり通る。どっかおかしい。自分のできる事はちっちゃなことでも、イラクでの体験を語ることで戦争反対を訴えていきます」