2003年11月15日(土)「しんぶん赤旗」
一九六〇年ごろまで日本でも脅威だったポリオ(脊髄=せきずい=性小児まひ)。ワクチン接種の普及で過去の病気と思われがちですが、この十年間でポリオによる障害者が一万二千人増えています。乳幼児期に発病し、四、五十年後に筋力低下など二次障害に襲われるポストポリオ症候群(PPS)が問題になっています。働き盛りで失業し、生活費として障害厚生年金を申請したのに却下され、たたかっている人がいます。
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東京・江東区の島田一郎さん(52)は生後半年でポリオにかかり、三回の手術を含む治療は十二歳で終わりました。右足に軽い障害が残りましたが、元気に学校に通い、会社勤めをしてきました。その間、ポリオでの受診は一切ありません。
一九九九年の正月。知人宅から帰る地下鉄の駅で突然、左足が動かなくなり、救急車で運ばれました。そのときは原因がわかりませんでした。「PPSは専門医でも診断が難しい」と島田さん。
やがて歩行が困難となり、会社を退職。いまは一種二級の障害者です。
去年三月、社会保険事務所に障害厚生年金の支給を申請しました。
ところが、結果は「不支給」。理由は、ポリオの発病時(乳児期)、厚生年金に加入していなかったから。
島田さんは、「乳児期のポリオは『社会的治癒』といっておさまっていたのです。ばりばり働き厚生年金を納めていた四十七歳でPPSの症状がでました。その九九年一月二日を発病時として支給すべき」だと再審査請求をしています。
葛飾区の芦田勝さん(54)も今年三月に申請し、島田さんと同じ理由で不支給となりました。
一歳で発病。両足に障害があり松葉づえをつく生活でしたが、五年前から左手にしびれがおき徐々に筋力が低下。転倒するようになって通勤できなくなりました。
「下半身の症状が悪化したわけではない。新たな障害が上半身に現れたのだから、支給すべき」と再審査を請求。
島田さんと芦田さんの代理人である社会保険労務士の鈴木静男さんは「社会的治癒が争点」といいます。「社会的治癒」とは、社会保険庁によると「医学的な治癒ではなくても、医療が不要になって社会復帰した状態」をいいます。その後、症状が再び著しく悪化した時点を発病時期として扱い、障害厚生年金が支給されます。
鈴木さんは、社会的治癒を認めた事例をいくつかあげて、「二人の場合、これらの事例と矛盾します。審査決定を待つまでもなく、厚労省は自主的に支給すべきだ」といいます。
島田さんも芦田さんも「『申請してもむだ』と書類すら受け取ってもらえなかった」「『五十年前の診断書をだせ』と無理難題をいわれた」という経験をしています。「こうした対応に多くのPPS患者が申請をあきらめ、涙をのんでいるのでしょう。でも、私たちはがんばって、重いとびらを開けたい」。提訴も辞さない覚悟です。