2003年11月19日(水)「しんぶん赤旗」
【ワシントン17日浜谷浩司】ブッシュ米政権は十五日、二〇〇四年六月末までに暫定政府に主権を移譲し、占領を終結することで、イラク統治評議会と合意しました。
九−十月に国連安保理でイラク問題が議論された際、米政権は、政情安定のためにも主権移譲を急ぐべきだとの、フランス・ドイツ・ロシアや国連当局の批判を、断固、聞き入れませんでした。てのひらを返したような豹変(ひょうへん)ぶりは、何を示すのでしょうか。
方針転換の要因は、一年後に迫った大統領選でのブッシュ再選に赤信号が点滅し始めたことです。毎日のように報じられる米兵の死亡。「大規模戦闘」中にもなかったほどの犠牲。民主党候補はこぞって対イラク政策に非難を集中しています。
ブッシュ政権の最大のセールスポイントだった反テロ戦争が足かせに変わっています。占領を終わらせ、選挙戦終盤の来年夏に、相当程度の軍を帰国させることができれば、足かせは外せるとの読みがみえます。
しかし、ブッシュ政権に、占領「終結」後も、米軍を撤退させる考えは毛頭ないことは、大統領はじめ主要閣僚が言明。米暫定行政当局(CPA)のブレマー行政官は、暫定政府が米軍に駐留を求めるとの安全保障協定を結ぶことを明らかにしています。
再編したイラク軍を「前線」に投げ込み、イラク人同士をたたかわせる「イラク化」。それを追求しながらも、米軍はイラクに居座り続けます。海兵隊を再投入する国防総省の決定について、パウエル国務長官は「見通せる限りの将来において、かなりの規模の駐留が求められている」からだ、と述べました。(十三日、CBSテレビ)
イラクを「逃げ出すことはできない」。ブッシュ大統領はこういいます。イラクでの失敗は、反テロを口実に、圧倒的な軍事力による先制攻撃を進めてきた、対外政策の屋台骨が崩れます。
一方、ブッシュ大統領は方針転換に先立つ六日、「最も重要な対外政策演説」とのふれこみで、中東の「民主化」をぶち上げました。政策と呼ぶには中身がないと、酷評もされた演説でした。
しかし、「新生」イラクを、中東「民主化」の灯台にするとの立場は、ブッシュ政権幹部からしばしば飛び出している考えです。ライス大統領補佐官(国家安全保障問題担当)も八月、フセイン政権の打倒は「異なる中東への新たな機会だ」として、こうした考えを表明。その際、欧州との類似をあげ、欧州での北大西洋条約機構(NATO)の役割を引き合いに出しています。
イラクを米国型の「自由、民主主義」の国に変える。主権移譲で、かたちこそ占領を終結するものの、その後も長期にわたって米軍を駐留させ、「半占領」を続ける青写真が見えます。
軍事面では、戦況を一気に覆すため、大規模なてこ入れを図っています。中東地域を管轄する米中央軍のアビザイド司令官は、フロリダ州の司令部から、カタールの現地司令部に移動を決めました。
イラク現地の視察を終えたばかりの中東問題専門家コーデスマン氏は、これまでは低強度戦闘の準備がまったくなかったとしたうえで、新たな動きを「めざましい変化だ」と述べました。(十六日、ABCテレビ)
しかし、同氏は、(1)敵も情報や兵器を改善している(2)政治戦略が試行錯誤(3)支援計画が困難に直面(4)情報戦が弱い−と問題を指摘しています。
ブレマー行政官自身も、「現在イラクにテロリストは数千人いる。それが六月までにいなくならないことは、確実だ」と述べています。