2003年12月6日(土)「しんぶん赤旗」
北海道上川管内の自衛隊員の母親(68)は被爆者。息子は第二師団(司令部・旭川市)の所属。いま「戦争はいや。息子がこの年寄りと奥さん、孫を残して(イラクへ)行ったら死んでも死にきれない」と胸の内を次のように訴えます。
イラクで日本人外交官二人が殺されました。政府は「とにかく安全なところへいく」といっていたのに。一人の方は奥さんが身重、一人は三人の子がある。自分の息子を亡くしたような思いで、テレビの前で涙を流しました。
いま、夜中に夢を見て目が覚めるんです。息子に「赤紙」が来た夢です。本当にあんな目に合わせたくない。それだけは小泉さんに言いたい。
夫は、西日本で自衛隊員でした。現役中の四十二歳で、脳卒中で倒れ亡くなりました。それからの苦労は並大抵のものではありません。それを見ていた息子は「うちお金ないしょ。自衛隊に入るよ」と入隊したんです。
これまで息子は、ただ会社員みたいに帰ってくる。戦争させるために(自衛隊に)やったわけじゃない。結婚し孫もでき安心していた。夫を早く亡くした私の二の舞いをさせたくありません。
息子はまだイラクに行くとは言ってませんが、私は戦争の恐ろしさが身にしみていますから、もし行くようになったら、自衛隊をやめろと言いたい。
私は(手に被爆者手帳を握り)十歳のとき被爆しました。海岸にいてピカッと光った。昼なのに、夜電気をつけたようなものすごいせん光とキノコ雲を見た。逃げ惑い大変な目にあいました。今も雷を見たら体が硬直する。戦争には絶対反対です。
「自衛隊」の「自衛」は国を守るためにあるんでしょう。外国へ行くためではない。小泉さんになってから、アメリカの言うままですよ。
道内のテレビでイラク派遣の電話アンケートをしていた。じっとしていられなくて「反対」と電話したんです。結果は反対が賛成の三倍も多かった。小泉さんに手紙を書こうとも思っています。派遣反対の野党のみなさんにもがんばってほしい。