2003年12月7日(日)「しんぶん赤旗」
イラク戦争・占領に駆り出された米兵の間で脱走者は千七百人を数えるといいます。仏紙ジュルナル・デュ・ディマンシュ(十一月二十三日付)はその中の一人と接触し、現在の生活ぶりや脱走にいたった経過などを「米脱走兵の告白」と題して報じました。(パリで浅田信幸)
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「なぜ不法な道義なき戦争で死ななければならないのか」「戦争が不法なら、部隊に戻らないことは犯罪ではない」−脱走兵のカルロス氏(28)=仮名=は、部隊離脱の理由を同紙の記者にこう語っています。
警察に捕まれば五年間の軍刑務所入りか、南米の出身国に強制送還される身。「クレジットカードは使わない、誰にも電話をかけない、電子メールは開かない、そして二週間ごとに住まいを変える」のが現在の生活です。
カルロス氏は予備役兵で、日常は大学院に通う学生でした。イラク戦争開戦の少し前に招集され、六週間の訓練を経て四月末、イラクに派遣されます。ブッシュ大統領が「大規模戦闘行為の終了」を宣言した五月一日の直前のことでした。
最初についた任務は、イラク人捕虜の監視。「われわれの仕事は、捕虜の士気をなえさせ、尋問を容易にするため最低二日間、彼らを眠らせないことだった」「恐怖心を抱かせるため、しばしばハンマーで格子を思いっきりなぐったりした」「処刑されると信じこませるため、弾を込めないピストルを耳にあて引き金を引かさせた」
しばらくして彼は、旧フセイン政権の影響がなお強いイラク北部のティクリット近辺に配置換えされ、実際の戦闘場面に遭遇するようになりました。自分の撃った銃弾で殺したのかもしれない死体にも直面させられます。
同紙は、カルロス氏の言葉をこう伝えています。「死体のイメージがよく頭に浮かぶ。とくにその一つが繰り返される。機銃掃射で頭部がふっとんだものだ。彼がいたところからは、誰かを傷つけるチャンスなんてまったくなかった。彼が死ななければならなかったとは思わない」
戦友の負傷にも直面します。「私の部隊の一人が頭を撃たれた。車の中は血と脳みその断片でまみれた。彼は今、しゃべれない」
予備役兵の中には、ショックに耐えられない者もでてきます。「しばしば兵士たちは金縛りにあい、動けなくなり、話すことを拒否し、二週間もじっと壁を見つめている。その後聞いたところでは、彼らは眼球感染症とかそうしたたぐいのうそを理由に、本国に送り返された」
七カ月間の任務のあと、カルロス氏は二週間の帰国休暇の許可を得ました。この期間に彼は「自問・熟考」し、長くても残る数カ月の任務期間と脱走兵としての生活、逮捕された場合の生活の崩壊など、考え抜いたすえに脱走を決意しました。
仏紙は、彼の決意の言葉をこう伝えています。「道義的義務は軍事的義務に勝る。一番つらいのは私の戦友を残してきたことだ。しかし、ここで私は彼らのためにもたたかっているのだと思っている」