日本共産党

2003年12月8日(月)「しんぶん赤旗」

太平洋戦争開始62周年

歴史の教訓に学ばぬ首相


 一九四一年十二月八日は、天皇制政府がマレー半島への上陸とハワイの真珠湾への奇襲攻撃によって太平洋戦争に突入した日です。その六十二年後、小泉内閣は、開戦記念日の翌日にあたる九日にも、戦後初めて戦場に地上部隊を派遣する自衛隊イラク派兵計画を閣議決定しようとしています。


軍事同盟絶対視

 今年七月、イラク特措法の国会審議で、日本共産党の吉岡吉典参院議員は中国東北部への侵略(一九三一年)から太平洋戦争開始(一九四一年)にいたる侵略の歴史を踏まえ、「かつての教訓を生かした判断を、いま、日本政府も与党も野党もすべてがおこなわなければならない重大な時期だ」と訴えました。

 一つは、軍事同盟を絶対視した見通しの誤りです。

 小泉純一郎首相は先の特別国会で「現在の状況においても、自衛隊の派遣は無理だと断定する状況にない」「米英はじめ三十数カ国の部隊が協力している」(十一月二十五日、衆院予算委)とのべました。米国の先制攻撃戦略に無批判に追随した日本が、すでに軍隊を送って米国に忠誠を示している三十数カ国に遅れをとることがあってはならないといわんばかりです。

 第二次世界大戦にすすむ過程で、日本がナチスドイツと軍事同盟を結んだときも同じような状況がありました。

 吉岡氏の『日本の侵略と膨張』によれば、防衛研究所元戦史部長の序文入りの『日本の戦争−図解とデータ』は当時の状況について、次のようにのべています。

 「一九四〇年五月のドイツの電撃作戦の大成功・仏・白蘭の屈服は日本にとって暗雲の中に光を見るように受けとられた。英国の屈服も近いと見られ、この機に乗ずれば懸案の解決も可能になろうと思われた」。そして、「『バスに乗りおくれるな』が時代のスローガンとなり」(『新版日本外交史辞典』)、一九四〇年九月、日独伊軍事同盟を締結したのです。

 いま、小泉首相らが「ひるんではならない」と盛んに口にするのと似ています。

 吉岡氏は、「それに似た誤った見通しの下でアメリカは戦争を開始して、早くも泥沼状況。他国が軍隊を送ってそこに新しい自分らの思うような政権をつくるなんということは、歴史上も成功したことはない」(七月二十二日、参院外交防衛委)と指摘しました。

大義なき戦争へ

 もう一つの教訓は、大義なき戦争につきすすむことの重大さです。太平洋戦争につながる中国侵略は、旧日本軍(関東軍)による謀略で開始されました。そのことは、外務省監修の『日本外交百年史』でも指摘されています。

 「昭和六年九月十八日夜十時奉天郊外柳条溝(ママ)で満鉄線が爆破される突発事件が起った。…中国側は迅速に事件の経過を発表しているのに反し、日本側は沈黙を守っているのであるから、世界の疑惑の目は日本に集中する有様であった。それもそのはずで爆破事件は関東軍の陰謀によるもので、関東軍を牛耳る板垣征四郎を始め二、三の間にこの計画が隠密の中に進められ(た)」

 イラク戦争でも「イラクによる大量破壊兵器保有」という米英軍の大義は成り立たなくなっています。米英両国では政府による情報操作の疑いが大問題にもなりました。

 吉岡氏は、同じように謀略で侵略戦争が開始されたことをあげ、「謀略的なやり方で始まった戦争、そしていま、泥沼化しつつある、首相自身が安全なところがあるといえないところへ、自衛隊を送ってはならない」(七月二十五日参院外交防衛委)と訴えました。

 いま、日本の実力組織が「殺し、殺されるかもしれない」(小泉首相)地へと送りこまれるかどうかの瀬戸際に立っています。歴史の教訓から何を学ぶべきかをもう一度考えてみるときです。(藤田健記者)


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