日本共産党

2003年12月10日(水)「しんぶん赤旗」

学徒出陣とは?


 〈問い〉 日本は侵略戦争末期には学生も徴兵制で動員したそうですが、どんなことがあったのですか。 (埼玉・一読者)

 〈答え〉 太平洋戦争の敗色が深まる一九四三年九月、天皇制政府は、これまで兵役を延期してきた在学中の学生も、徴兵すると決定しました。同年十月に明治神宮外苑で東京近郊の出陣学徒の壮行会が開催され、十二月に第一回学徒兵が入営しました。今年はこの「学徒出陣」六十周年にあたります。

 戦前の日本では、一八九〇年施行の明治憲法でも兵役が「臣民の義務」とされ(二〇条)、国民は常備軍に強制的に編入されました。満二十歳以上の男性全員を対象に徴兵検査(兵役のための身体検査)を受けさせ、選抜して通常二〜三年現役兵として服役させ、除隊後もしばらくは予備役などに編入し、戦時には召集令状で戦争に動員するしくみでした。徴兵検査を受けずに逃亡したりすれば、懲役刑に加え、優先的に徴兵されるという二重の制裁を受けました。

 このような日本でも、学生などは卒業まで兵役の徴集を延期されました。しかし中国への侵略が太平洋戦争に拡大する一九四一年には、大学学部・予科、高等学校高等科、専門学校、実業専門学校などの修業年限を短縮し、卒業を繰り上げました。このころ九月・十二月卒業や九月入学などの学歴が多いのは、こうした経緯によります。そして四三年九月の閣議決定は、このような徴集延期そのものを廃止し、在学中でも兵役年齢に達すれば徴兵できるようにしたのです。同年十二月には、徴兵年齢を十九歳に引き下げる勅令も出されました。

 法文系などを中心に多くの学生が学業を途中で打ち切られ、二十万人近い学生が出陣したといわれますが、文部科学省は出陣者やその戦死者の総数などを調査していません。日本が植民地にしていた朝鮮や台湾でも四三年から徴兵制が適用され、四四年一月には、強制的に“志願”させられた四千人余の朝鮮学徒兵が入営しました。

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 〔2003・12・10(水)〕


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