2003年12月20日(土)「しんぶん赤旗」
【ワシントン18日浜谷浩司】米国の民間団体「国家安全保障公文書館」は十八日、米・イラク関係の機密解除文書をまとめて公表。一九八〇年代にレーガン米政権が、イランに対するイラクの化学兵器使用にもかかわらず、イラクのフセイン政権に関係改善の用意を伝えていた事実経過が具体的に明らかになりました。
米国がフセイン元イラク大統領を支援していた事実は米国内でも注目されており、米国の責任があらためて問われます。
公開文書は、ラムズフェルド現国防長官の八四年のイラク訪問にまつわるものなど。同氏はレーガン大統領(当時)の特使として、八三年十二月と八四年三月の二度、バグダッドを訪問。八三年にはフセイン大統領と握手しています。
米国は、七九年のイラン革命と米大使館人質事件(八一年一月に解放)から、反イランの立場をとり、イラン・イラク戦争では、イラクをイスラム原理主義の拡大を防ぐ緩衝とみなして、フセイン政権を支援しました。
シュルツ国務長官が在バグダッド米利益代表部に送った三月十八日付公電によれば、米政府は当時、公式にはイラクの化学兵器使用を批判したものの、訪米したイラクのキッタニ外務次官に対し、イーグルバーガー米国務次官が、「反イラク姿勢をとるものではない」と、批判が建前にすぎないことを伝えていました。さらに、ラムズフェルド代表団に対する三月二十四日付公電は、キッタニ次官が米政府の立場を十分納得していないとし、「イラク側の望むペース」で関係改善を進める用意があることを、イラク側に改めて保証するよう指示しています。
文書は、「フセインかアジズが会見すれば」、イラクが関係改善を望んでいることが分かると指摘。実際にはアジズ外相が、三月二十六日に会見しています。