2003年12月26日(金)「しんぶん赤旗」
スペイン共産党を中心とする連合組織「統一左翼」は、十九日から三日間の第七回連邦総会で、イラク「占領の論理を断ち切り、派遣部隊を戻し、イラク人自身がみずからの代表を選んで社会と国家を建設できるよう国連が事態を担う」べきだとする方向を打ち出しました。連邦政治評議会委員で国際関係担当者のホセ・カボ氏に聞きました。(マドリードで浅田信幸)
統一左翼の立場は明快で一貫しています。それは統一左翼が一九八六年、スペインの北大西洋条約機構(NATO)加盟反対の大運動の中から生まれたことと直接関連しています。この運動では「あらゆる軍事ブロックに反対、紛争の平和的解決、諸国民間の連帯」が掲げられました。誕生以来変わらない統一左翼の立場です。
イラク戦争をめぐってマドリードやバルセロナで百万人、二百万人というかつてない大規模な反戦デモが繰り広げられました。文化人、映画監督や俳優、画家、著作家などの運動が非常に大きな役割を果たしました。いわば運動の質を変えたといえます。とくに青年たちに大きな影響を与えました。
私たちも主張したことですが、世論はこの戦争を「不正義、不法、不当」だとみました。国連を素通りし、安全保障理事会を脇に追いやって、戦争が行われたからです。国際法に対するクーデターが実行されたのだといわなければなりません。
国民はイラク戦争をこのように理解し、ブッシュ(米大統領)、ブレア(英首相)、アスナール(スペイン首相)の戦争を、心の底から不当だと感じています。
スペインでは戦争反対の世論が80、90%にも達します。もう一つ歴史的な要因も指摘できます。一九三〇年代の内戦を経験していることです。内戦とその苦しみの体験を経て、国民は平和と和解を強く望んでいるのです。
アスナール政権は、イラク戦争の終了直後に、国会の承認も、論議もないまま、イラクへの派兵を決定し、千三百人の兵士を送りました。これも不当な決定でした。
十一月末に情報機関員七人が襲撃にあって死亡する事件がありました。一体何のために彼らが派遣されていたのか、まったく国民には知らされていません。
この七人の国葬が行われた日に、国会で初めてイラク派兵問題が論議されました。アスナール首相は「見ろ、現にテロがあるではないか。テロとのたたかいは必要だ」と、派兵を正当化するためにこの事件を最大限に利用しました。
しかし、多くの国民は納得していません。マスコミでも例えばエルパイス紙は「イラク政策を擁護する論拠としての国際テロとのたたかいという訴えは、まったくばかげている」と指摘しました。
国会に議席をもつ十一政党中、唯一与党の国民党を例外にして、すべての党が派兵反対の立場を表明しました。アスナール政権と与党の孤立は明白です。
サダム・フセインが逮捕されたことも、それほど大きな影響があるとは考えていません。何よりも、戦争の最大の口実であった大量破壊兵器が発見されていませんし、イラクはイラク人自身が建設すべきだというのも自明のことだからです。