2004年1月3日(土)「しんぶん赤旗」
就任以来四年連続で強行した小泉純一郎首相の靖国神社への公式参拝は、内外のきびしい批判にまったく耳をかさずに愚行を重ねたものです。
小泉首相は元日に参拝したことについて「初詣では日本の伝統」と当然のことのようにのべました。しかし、日本の首相が靖国神社を参拝することは、「伝統」の一言ですまされるような問題ではありません。日本の政治のあり方そのものが問われる大問題です。
靖国神社は“天皇のために”戦死した軍人・軍属をまつる神社です。戦前、侵略戦争推進の精神的な柱とされ、戦後はA級戦犯を合祀(ごうし)しました。この靖国神社に首相が参拝することは、日本の過去の侵略戦争を容認することにつながります。
これまでも小泉首相が参拝するたびに、中国や韓国など日本の侵略と植民地支配の惨害を被ったアジアの国々から批判を浴びてきました。靖国参拝は外交上の大きな障害となっており、事実、首相の中国訪問はいまだに実現していません。
この根底には、首相の歴史と過去への無反省があります。首相は参拝のたびに「平和を誓う」などと繰り返してきました。それならば侵略戦争推進の精神的支柱だった靖国神社の参拝はできないはずです。結局「平和」を口にしても、過去の侵略と植民地支配には、まったく無反省だということにほかなりません。
その首相が靖国参拝を続ける一方で、小泉自公政権はこの約四年間で、テロ特措法、有事関連三法、イラク特措法と次々に自衛隊海外派兵のための法律を強行。アジア諸国に懸念を広げています。
今回の参拝も、自衛隊のイラク派兵を推し進めるなかでおこなわれました。国会で「殺すことも、殺されることもあるかもしれない」と平然と言ってのけた小泉首相が、かつて侵略戦争の戦死者を「英霊」としてまつった靖国神社を参拝することの意味はことさら重大です。
さらに歴史への無反省は、首相の憲法軽視の姿勢にもつながります。イラク派兵を「合理化」するため、首相は十二月九日の会見で憲法前文を引用しました。しかし日本国憲法はまさに戦前の侵略と植民地支配の反省に立って、日本が二度と戦争をしない、戦力をもたないことを誓ったものです。
それを派兵の口実にすること自体、歴史を顧みないものでしかなく、結局、靖国参拝という愚行を繰り返して恥じない首相の姿勢と一体のものです。(山崎伸治記者)
“天皇のために”戦死した軍人・軍属らを「祭神」とする神社。一八六九年、東京招魂社として建立され、一八七九年に改称、戦前は陸軍省・海軍省の管轄となりました。明治維新から太平洋戦争までの戦没者二百四十万人余をまつっていますが、西南戦争の西郷隆盛ら“天皇にそむいた”「賊軍」や空襲などで死んだ一般国民は含まれません。
戦後はA級戦犯として処刑された東条英機元首相らを「昭和殉難者」としてまつっています。
戦前は天皇のために戦死して「靖国の英霊」になることが最大の美徳とされ、侵略戦争推進の精神的な柱となりました。戦後、信教の自由や政教分離を定めた日本国憲法のもとで一宗教法人となりましたが、侵略戦争を肯定する立場に彩られた宗教活動をおこなっています。
【2001年】
4月18日 自民党総裁選の討論会で「総理大臣に就任したら8月15日にいかなる批判があろうと必ず(靖国神社を)参拝する」と“公約”。
5月14日 衆院予算委員会で「総理大臣として参拝したい」「よそから批判されてなぜ中止しなくてはならないのか」と答弁。
8月13日 靖国神社に参拝。「今日の日本の平和と繁栄は、先の大戦で心ならずも命を失った戦没者の犠牲の上に成り立っている」(参拝後の会見)
【2002年】
4月21日 首相就任後2回目の参拝。「終戦記念日やその前後の参拝にこだわり、再び内外に不安や警戒を抱かせることはわたしの意に反するところだ」(参拝後に発表した「所感」)
【2003年】
1月14日 3回目の参拝。「平和のありがたさをかみしめて、二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちで参拝したい」(参拝前の会見)
1月28日 靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)について、参院予算委員会で 「死者に生前の罪まで着せて、死んでもなお許さないという気持ちは、あまりなじまないのではないか」と答弁。
【2004年】
1月1日 4回目の参拝。「初詣では日本の伝統で、多くの方が神社にお参りしている」(参拝後の会見)