2004年1月5日(月)「しんぶん赤旗」
二〇〇四年。戦地への自衛隊の派兵を許すのか−−。命、家族のきずな、平和、それにつながる憲法が問われる年です。
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「命」と「家族」。
昨年、この二つの言葉をかみしめた夫婦がいます。北海道在住の五十代の山田孝一、康子さん=仮名=です。
「イラクに行くことになるかもしれない」
夫婦が娘の洋子さん=同=から「イラク行き」を打ち明けられたのは昨年十月のこと。洋子さんは一月中旬にもイラクへの第一陣が予定されている陸上自衛隊第二師団に所属する自衛官。入隊してもう十年近くになります。
両親にとっては「まさか」の思いでした。「女の子だからと思っていたからもうびっくりの一言でした」と康子さん。「冗談でないわ」の思いで即座に反対しました。「今回だけは断れ。そうでなければ自衛隊をやめろ」と声を上げたのは孝一さんでした。
孝一さんはことし四月の検査入院で胆管がんが見つかり、即座に入院、手術。検査のための絶食で六十キロ台あった体重も四十キロ台までに激減。八月に退院したものの、下水道建設の仕事もやめ、無職・無収入の身で自宅療養の日々を過ごしています。
「入院中、もうダメだと思ったこともありました。『死のう』と考えたこともあります。死線をさまよった末に家族の助けで生きることができ、いまは生きることのすばらしさを実感しています。だからなおのこと、未来のある娘を戦場のようなイラクに行かすわけにはいかない」
娘への思いとともに、小泉首相のイラク派兵の説明にも大きな疑問を感じました。
「だれがみても戦争の最中と考えるのに、小泉さんは戦争状態ではないという。イラクの人たちも自衛隊がくるのに反対しているというし、本当の復興支援だったら、装甲車も武器もいらないでしょう。給水にしても一時的なもので本当に復興に役立つのか疑問もある。それに自衛隊は日本を守るためのものでしょう。なぜ、その自衛隊を出すのか。結局、小泉首相がブッシュ大統領との約束を果たすためだけの格好つけじゃないですか」
山田さん夫妻は昨年十二月、日本共産党の地区委員会に一通の封書を郵送しました。同封したのはイラク派兵反対の署名用紙。二人でこうした署名をしたことも初めてのことでした。署名欄には夫妻のほかに二人の名前が記載されていました。夫妻の親族でした。
「イラク派兵反対の声をどうしても広げたくて…。札幌にいる弟にも派兵反対に賛同してくれと電話をしたんです」と孝一さん。
孝一さん夫妻は七年ほど前に五十歳代で結婚した再婚同士。洋子さんは康子さんの実子で、再婚当時、すでに二十歳を超えていました。
洋子さんが入隊後「自衛隊をやめたい」と相談してきた際には、「やめたら家の敷居をまたがせない」とまで強く反対したことがありました。「どんな仕事も我慢が必要で、娘に我慢を覚えさせたいと思っていました。それで、あえて無理をして厳しくした」と孝一さん。しばらく沈黙して、こうつけくわえました。
「本当の親子になりたかったんだわ」
康子さんの実子の長男が上下関係の厳しい職場をやめ、一時音信不通になったときも、弱った体を押して一日中車で道内を捜し回ったこともありました。
洋子さんと親子となってわずか七年。いまでは「おとうさん」「洋子」と呼び合い、「うるさいほど、その日にあったことを話し掛けてくる」仲です。そんな孝一さんにとって、イラク派兵は娘の命と親子の絆(きずな)が問われる問題です。それだけに怒りも深い。
「国の首相というのは一家でいえば大黒柱の父親だ。その父親が家族に向かって“戦争に行け”といえるのか。これが国民のための政治なのか。水戸黄門様にでも来てもらって、ガッチリいってもらいたいね。『おまえは間違っている』と」