2004年1月9日(金)「しんぶん赤旗」
自衛隊のイラク派兵問題で、公明党は八日の拡大中央幹事会で、陸上自衛隊の先遣隊派兵を事実上了承しました。公明党は「慎重の上にも慎重を」などと、あたかも派兵に“歯止め”をかけてきたかのように演出していますが、「慎重」という言葉のベールを一枚はがせば戦地への自衛隊派兵の“地ならし”役という「戦争の党」の地金がみえてきます。
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「(了承したのは)あくまで先遣隊についての判断だ。本隊にかんしては先遣隊の調査報告を党首会談で聞いてから改めて判断する」
冬柴鉄三幹事長は、今回の「了承」はあくまで先遣隊に限ったものだと強調。先遣隊の調査結果を踏まえて、本隊派遣について判断するのだから、「慎重の上にも慎重」という標語を守っていると言いたいようです。
しかし、先遣隊であっても戦地への自衛隊派兵には変わりありません。そのうえ、六日の自公幹事長会談後の記者説明では、先遣隊の調査内容はきわめて限定されていることが明らかになりました。
冬柴氏は、先遣隊の「調査」がサマワでの強盗団による事故や一千人規模のデモ隊への発砲問題などに限定されており、「バグダッドで行われている組織的、戦闘類似行為ではない。たいへんな失業率からくる問題だと認識しているが、そこをきっちり先遣隊が確かめてくる」と説明。本隊派兵へのレールは敷かれているのです。
支持者向けに“慎重”姿勢を印象付けるためだけのセレモニーが待っているだけ。そのことは、一般紙も「冬柴氏は昨年十二月の航空自衛隊の先遣隊派遣の際にも、安倍氏や福田康夫官房長官らと水面下の会談を重ねていた。ただ今回は公明党側が『公式な場にしてほしい』と強く要請。今後は有権者に調整過程を見せる形に切り替えたものだ」(「日経」七日付)と指摘しています。
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だいたい、公明党のいう“慎重さ”の内実は、この間の幹部の言動をみても明らかです。
国民にまともな説明もなしに、危険を承知でイラクに派兵しようとしている小泉首相の姿勢についても「政府も慎重にやっていると思う」(冬柴氏、六日)という始末。首相が「慎重に判断している」といいさえすれば、“慎重”になるという程度の代物です。
神崎代表が昨年十二月二十日に行ったイラク・サマワ視察も、“慎重さ”の証しの一つにされていますが、この視察の実態は、現地滞在時間はわずか三時間半、武装したオランダ軍の警護で行われたもの。欧州のジャーナリストからは「旅行」と称されるものでした。
しかも、オランダ軍司令官の説明を真にうけて「現地は比較的平穏だ」と“安全宣言”。しかし理髪店の話も事実と違うことが、現地にいたジャーナリストの指摘で明らかになりました。
それでも神崎氏は小泉純一郎首相との会談(昨年十二月二十二日)で「(サマワの治安情勢は)比較的安全」と地ならし報告したのでした。
イラク戦争前には浜四津敏子代表代行がイランにいき、イラク派兵のための特措法審議のときは太田昭宏幹事長代行がイラク訪問するなど、派兵を後押しするごとに、幹部が現地やその付近にいって“アリバイ”づくりするのが、公明党の常とう手段なのです。
だいたい、公明党が「慎重の上にも慎重に」などと言い出したのは、米英の無法な戦争・占領でイラク情勢が泥沼化して以降のこと。明言したのは、総選挙後でした。
自衛隊をイラクへ派兵させるための「基本計画」決定で自民党と交わした「覚書」(昨年十二月九日)で、陸自部隊の活動については「首相が現地の治安状況を十分に見極める」「与党と緊密に協議する」と明記したことを、“歯止め”だと大宣伝しました。
しかし、国連憲章を踏みにじった無法なイラク戦争を容認し、自衛隊のイラク派兵法(特措法)強行でも先頭にたったのが公明党でした。イラク特措法案の審議では、「自衛隊の派遣は絶対に必要だ」(山本保参院議員)と主張。その後も、「人的貢献を早急に」(公明新聞)と主張していたのです。
自衛隊派兵をここまで推進しておきながら、都合が悪くなってから「慎重に」などと言い始めても、「戦争の党」の正体は隠せません。