2004年1月15日(木)「しんぶん赤旗」
日本共産党第二十三回大会の一日目(十三日)に、不破哲三議長がおこなった「綱領改定についての報告」は、つぎのとおりです。
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代議員、評議員のみなさん、全国の党員のみなさん、党中央委員会を代表して綱領改定についての報告をおこなうものであります。
七中総以来、総選挙の時期をはさみ、約七カ月にわたって活発な全党討論がおこなわれてきました。支部会議、地区党会議、県党会議での討論の状況は、九回にわたって各都道府県委員会から報告がよせられました。一人ひとりの党員の個別の意見についても、討論誌への応募意見が五百六十七通にのぼったのをはじめ、全体で二千通近い意見、感想が党中央委員会によせられました。
今回提案した改定案は、理論的な新しい観点ももりこんだ全面改定でありましたが、全国的な討論の流れは、この改定案に賛成の意見でありました。
よせられた意見、注文を見ますと、綱領の性格をはっきりさせたら解決すると思われるものもかなり多く見受けられました。そこで報告は、綱領とはなにかという問題から始めたいと思います。
党の綱領は、党活動の目標、および根本方針を明らかにするものであります。日本共産党の最終目標は、党規約に明記されているように、日本の社会を「真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」、いいかえれば、社会主義・共産主義の社会に発展させることにあります。日本が、社会の発展のどんな段階をへて、また道筋に沿って前進し、未来社会の道をどのように切り開いてゆくかは、日本独自のものであって、これを明らかにするところに、日本共産党の綱領のなによりの役割があります。
とくに、いまの日本社会がどういう状態にあり、社会としてどんな課題に直面しているのか、それをどのように解決するのが法則的で発展的な方向であるのか、これらの解明は、綱領の中心問題であります。そこでは、当面の情勢のもとでの方針だけでなく、さきざきまで展望して、日本と世界の諸問題にのぞむ基本的な考え方や目標が明らかにされなければなりません。党の発展と活動の途上には、前進もあれば後退もあり、いろいろなことが起きることが予想されますが、そのなかでも太く貫いてゆく方針を示すのが、党綱領であります。私たちが、綱領の改定にあたっては、“長い目で歴史の試練に耐える”ことが重要だと強調しているのは、その意味であります。
日本がすすむ社会発展の段階やそこでの目標、課題などの問題は、私たちの主観的な願望で決まるものではありません。日本と世界の情勢を科学的に分析することによって、はじめて的確に見定めることができるものであります。その意味では、ここには、私たちの世界観、科学的社会主義の世界観がこめられます。正確な綱領を持とうと思ったら、この世界観を深め、発展させ、現代的にみがきあげる不断の研究が不可欠であります。そして、その綱領の中身では、私たちが今日の日本と世界の情勢をどれだけ的確につかんでいるかだけでなく、科学的社会主義の世界観をどれだけ深く自分のものにしているかの、私たちの理論的な力も試されるのであります。
また、綱領が日本共産党の根本方針だということは、党内だけで通用すればよい、ということではありません。科学的社会主義の事業の先輩たちは、党の綱領とは「公然と掲げられた旗」であって、「世間の人々はそれによって党を判断する」(エンゲルス)、こう語ったことがあります。
もともと日本の社会の発展の方向を決めるのは、日本の国民であります。どんな方針も国民の多数者の理解と支持を得てこそ、はじめて社会を動かす力を発揮するものです。私たちが、今回の綱領改定にあたって、“国民により分かりやすく”ということに力を入れたのもそのためであります。
党の綱領の基本的な性格は以上のような諸点にあります。
意見ではいろいろな政策的な要望が出されました。しかし、綱領は、要求の総まとめでも政策の集大成でもありません。国民的な要求との関連について言いますと、国民諸階級・諸階層の多様な要求を実現するためにどんな改革が必要であるかを確定するのが、綱領の任務であります。政策は、綱領のその路線をふまえて、各分野で、またその時々の情勢に照らして、要求実現の方向を具体化してゆくのが任務であります。党綱領が当面する改革の大きな方向を打ち出していることは、わが党の政策活動が一貫性を持ち、体系性を持つことの保障となるものであります。綱領と政策などのこういう関係をよくつかんでいただきたいと思います。
綱領改定の内容に入ります。
現在の党綱領は、二つの党大会にわたる全党討論をへて、一九六一年に採択されたものであります。
その路線の中心は、
――社会の段階的な発展という見地に立って、当面する日本の変革を、独立の任務をふくむ民主主義革命と規定したこと、
――多数者革命の路線にもとづき、日本の社会のどんな変革も、議会の安定多数を得て実現するという方針を明確にしたこと、
――社会発展の全過程で、統一戦線と連合政権の立場を貫いていること、
などにありました。
綱領路線のこれらの点の正確さ、的確さは、それ以後四十年を超える情勢の進展とわが党の活動のなかで実証されてきました。
今回の綱領改定は、七中総の報告・結語で明らかにしたように、この基本を引き継ぎながら、つぎのような点で、綱領路線を大きく前進させたものであります。
第一に、民主主義革命の理論と方針を、日本の進歩的な変革の指針として、より現実的かつ合理的に仕上げたこと。
第二に、二〇世紀に人類が経験した世界史的な変化を分析し、二一世紀をむかえた世界情勢の新しい特徴および発展の展望を明らかにしたこと。
第三に、科学的社会主義の理論的な立場をより深く究明しながら、とくに未来社会論では、過去の誤った遺産についてもその総決算をおこない、私たちの終極目標である社会主義・共産主義の展望が持つ人類史的な意義をあらためて解明したこと。
これらであります。
すでに綱領の内容の基本点は、七中総の提案報告で詳しく解明いたしました。そのことを前提に、以下、章ごとに重点的な報告をおこないたいと思います。
まず「第一章 戦前の日本社会と日本共産党」についてであります。この章は、基本は現行の綱領の文章を引き継いでおりますが、表現をより分かりやすくする努力をおこなうとともに、日本がおこなった侵略戦争について、戦争の開始と拡大、敗戦にいたる基本的な経過、それが引き起こした惨害などが、的確に分かるように筆を加えました。
この章については、なぜ党の綱領が戦前からはじまるのか、なぜ戦前の日本社会とそこでの闘争についてのべるのか、こういう質問や意見がいくつかありましたので、その意味を解明しておきます。
戦前の歴史は、日本共産党の活動にとって原点ともいうべきものであります。それは世界の資本主義諸国のなかでも、もっとも野蛮な抑圧のもとにあった戦前の日本社会で、いかなる搾取も抑圧もない未来社会の建設をめざし、天皇制国家の専制支配と侵略戦争に反対して、平和と民主主義のために勇敢にたたかいぬいた不屈の記録であります。言語に絶するそのたたかいの犠牲者のなかには、党中央の指導者たちとともに、二十歳代の若い生命をこの事業にささげた青年たちなど多くの人々の名前が刻まれています。
いかなる苦難の情勢に直面しても、「国民が主人公」の信条をつらぬき、平和と民主主義の日本、そして人間解放の未来社会をめざす党の旗を掲げつづけた先輩たちの精神は、今日の新しい情勢のもとでもかたく受けつがれなければならないものであります。
そこに、党綱領が、まず党創立以後二十余年にわたる戦前のたたかいについてのべている第一の意味があります。
第二に強調したいのは、戦前の問題は、現在の情勢、現在の党の任務を理解するうえでも欠かすことのできないものだという点であります。
なぜ日本は「ルールなき資本主義」か、この問題をとってみましょう。これは、日本が一九四五年まで、国民が無権利状態に置かれていた社会だったという歴史を抜きにしては、理解できない現実であります。たとえば一九三〇年代をふりかえってみてほしいと思います。この時代は、ヨーロッパでは、人民戦線運動が大きな発展をとげた時代で、労働運動でも、フランスでは、一九三六年の大運動で、賃金・労働時間・有給休暇から団体協約の権利にいたる画期的な改革がかちとられた時期でした。ところが、同じ時期の日本は、中国の東北地域への侵略から全面侵略に移行する時期であって、明治以来の無権利状態に加え、労働者など国民をさらに過酷に抑圧する戦時体制が、年ごとに強まりつつあるさなかでした。こういう違いの積み重ねが、今日のルールなき社会の現実に現れているわけであります。
また、日本の軍備増強や海外派兵がなぜ特別に問題になり、アジア諸国の強い拒否反応を引き起こすのか。これも日本の侵略戦争の歴史を認識して、はじめて理解できることであります。
改定案が、新しい日本の平和外交の方針の冒頭に、「日本が過去におこなった侵略戦争と植民地支配の反省を踏まえ、アジア諸国との友好・交流を重視する」と明記しているのも、その歴史を真剣に踏まえているからこそのことであります。
なぜ日本が世界でただひとつ憲法の平和条項を持っているのか、なぜ日本共産党がその擁護を中心任務として掲げるのか。そしてまた、日本共産党の野党外交になぜ多くの国ぐにの信頼と共感がよせられるのか。今日の政治のこれらの中心問題も、この歴史の認識に裏付けられてこそ正面からとらえることができるものであります。
日本の未来を開く先頭に立つものは、過去の日本が侵略戦争と植民地支配によってアジアと世界に大きな損害を与えたことをはじめ、戦前の日本社会がへてきた歴史について、深い認識を持つ必要があるのであります。
第一章が、綱領の冒頭に掲げられてある意味を、この精神でぜひ読み取ってほしいと思います。
つぎに、「第二章 現在の日本社会の特質」にすすみます。改定案は今日の日本の情勢を、アメリカの対日支配および日本の大企業・財界による国民支配という二つの面から大きく特徴づけています。
七中総から今日まで七カ月間の情勢の動きは、綱領改定案のこの情勢規定の的確さを試す場となりました。あの激しい選挙戦をたたかうなかで、綱領改定案がたたかいの指針となったという多くの声が全国からよせられたことは、この問題での力強い回答となったと思います。
まず第一点ですが、改定案は、アメリカの対日支配下の日本の状態を、「きわめて異常な国家的な対米従属の状態」と特徴づけました。いま進行しているイラクへの自衛隊派兵と、小泉内閣による憲法改悪のくわだては、この従属状態をさらに極端な段階にすすめるものにほかなりません。
戦地であるイラクに自衛隊を派遣することが、明々白々な憲法違反であることは、論じるまでもないことであります。小泉内閣は、アメリカへの忠誠を憲法以上の基準にするという態度で、それを強行しつつあります。これはアメリカが世界のどこかで戦争を始めたら、それが国際法を無視した先制攻撃戦争、無法な侵略戦争であっても、「日米同盟」の義務だといって自衛隊を派兵する、こういう恐るべき状況に日本と国民を引き込むものであります。現に小泉内閣は、“いつでもどこでも”海外派兵の要請にこたえられるように、海外での活動を自衛隊の日常不断の任務とする立法面その他の準備に取りかかりつつあります。
さらに、小泉首相が、憲法改悪への日程表を総選挙の「政権公約」に書き込んだことは、憲法違反からさらにすすんで、憲法そのものを、この「異常な国家的な対米従属の状態」にふさわしいものに作り変えようとするくわだてそのものであります。
こっけいなのは、「日米同盟」を絶対化する従属派が、こと憲法の問題になると、にわかに“自主独立”派をよそおいはじめ、「アメリカ押しつけの憲法だから、改定を」などと言い出していることであります。
この議論のごまかしは、歴史をちょっとふりかえっただけで明らかになります。
公開されたアメリカ政府の公式文書によると、アメリカの国務省と国防総省との間では、早くも一九四八年――新しい憲法が施行された翌年であります――、そのころからすでに、日本の再軍備のために日本の憲法を修正しなければならないという問題が、検討事項になっていました。
憲法の改定が簡単にはできないということは、アメリカの関係者自身が最初から分かっていましたから、実際の再軍備は憲法第九条の条文には手をつけないままでという、なし崩しのやり方でおこなわれました。その第一歩が、一九五〇年、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)の直後に、占領軍総司令官マッカーサーの命令で強行された「警察予備隊」の創設でした。これが、四年後の一九五四年には自衛隊になりました。いま「解釈改憲」と呼ばれている路線も、こうして、アメリカの直接の命令で押しつけられたものであります。
この「解釈改憲」路線をもっとも極端なところに推し進めてきたのが最近のあいつぐ海外派兵の暴挙ですが、それらもすべて、強烈なアメリカの圧力のもとにおこなわれていることは周知のことではありませんか。
“自主独立”どころか、この五十数年間、憲法改悪の最大の推進力となってきたのがアメリカの要求であることは、あまりにも明らかな歴史の事実ではありませんか。(拍手)
そして、その最終目標と位置づけられてきたのが、小泉内閣がいよいよ「政権公約」にもりこんだ憲法の明文改悪であります。
憲法改悪とは、従属国家から自主独立国家への転換であるどころか、日本の憲法までも異常な対米従属国家の道具に転落させようとする試みにほかなりません。絶対に許すことはできないのであります。(拍手)
七中総報告では、「対米従属のこの体制を打破することは、二一世紀の日本が直面する最大の課題であって、この課題に真剣に対応しようとしないものは、二一世紀に日本の政治をになう資格がない」と強調いたしました。イラク派兵を阻止し、憲法改悪のたくらみを打ち破るたたかいは、平和と民主主義の重大な課題であると同時に、日本の主権・独立をかちとるたたかいの要をなすものであることを、強く訴えたいのであります。(拍手)
改定案は、日本の情勢のもうひとつの基本的な特質として、大企業・財界の支配について分析しています。
そこでは、日本の大企業・財界の経済面での横暴な支配とともに、政治面についても、大企業・財界が「日本政府をその強い影響のもとに置き、国家機構の全体を自分たちの階級的利益の実現のために最大限に活用してきた」ことを指摘し、「国内的には、大企業・財界が、アメリカの対日支配と結びついて、日本と国民を支配する中心勢力の地位を占めている」と規定しました。この点が重要であります。これは、日本の階級的な支配勢力の中心がどこにあるかを、きわめて明確に規定したものであります。
この大企業・財界の支配の問題について、いくつかの点をのべたいと思います。
第一。総選挙では、大企業・財界の大規模な政治介入が問題となりました。二大政党づくりへの介入、政策目標を明示しての政治資金の大規模な再開、などなどであります。
それは、自民党政治の現状に危機を感じた財界が、より直接的な形で政治を動かそうとし始めた、ということであります。このことは、大企業・財界が「日本と国民を支配する中心勢力の地位を占めている」とした改定案の規定の正確さを、財界自身の政治行動で立証したものであります。
第二。改定案はこの規定に続く部分で、大企業・財界の横暴な支配のもとにある日本経済の現状についてのべ、そこで、
――国民の生活と権利を守る多くの分野で、ヨーロッパなどで常識となっているルールがいまだに確立していないこと、
――日本政府が「大企業・財界を代弁して、大企業の利益優先の経済・財政政策を続けてきた」こと、
――「逆立ち」財政にその典型的な表れがあること、など、ヨーロッパ諸国とくらべてもとりわけ顕著な支配の横暴さを、浮きださせています。
また「日本経済にたいするアメリカの介入」が、日本政府の経済政策に誤った方向づけを与え、日本経済の危機と矛盾の大きな要因となってきたことも、日本経済の主要な問題点の一つとして提起しています。
ここで注意してみてほしいのは、第四章の民主的改革のプログラムが、第二章のいまの情勢分析に対応して、「ルールなき資本主義」の現状打破、大企業の利益優先から大企業の民主的規制の転換、財政方針の抜本的な転換、経済面でのアメリカの不当な介入の排除、などの改革を提起していることです。
情勢分析と民主的改革の方向づけとの関連という問題は、経済の部分だけのことではありません。綱領改定案が、全体として、情勢分析と改革のプログラムとの連関性、統一性に注意を払っていることに、ぜひ目を向けてほしいと思います。
第三点。現行の綱領では、大企業・財界の経済的支配も政治的支配も、すべて「日本独占資本の支配」という言葉で表現されていました。つまり、「日本独占資本」という用語は、日本の経済的支配者と政治的支配者をひとまとめに表現したものとなっていました。そこから、日米安保条約を結んだり、海外派兵や日米共同作戦の体制を強化するなどの日本政府の政治行動が、すべて「日本独占資本」の行動とされるなどの、表現の単純化が出ていました。
しかし、七中総でのべたように、政治的支配と経済的支配とは、実態も違えば、それを打破する方法も違います。その点を重視して、改定案は、これまでの「日本独占資本の支配」という規定をあらため、「日本と国民を支配する中心勢力」が大企業・財界であることを明確に規定しながら、政治的支配の内容については、実態に即した具体的な記述にあらためたのであります。
実際、大企業・財界が、政治をふくめて「日本と国民を支配する中心勢力」だといっても、その政治への介入の形態は、いつでも同じというものではありません。よりむき出しの、より反動的な形態をとる場合もあれば、いろいろな力関係に押されて、より間接的な形態をとる場合もあり、その形態の違いが、政治闘争の焦点になる場合もあります。「政・官・財の癒着」をめぐる闘争は、そのひとつであります。
その点でも、昨年の総選挙で、私たちが「二大政党づくり」を旗印にした財界の政治介入に正面から立ち向かってたたかったことは、綱領の規定にもかかわる大きな経験となりました。新しい規定づけでこそ、大企業・財界が政治を自分の影響下におく形態の違いを問題にすることができるし、今回のように、大企業・財界が新たなやり方、新たな形態で政治介入をくわだててきたときには、その危険性を的確に告発できるのであります。すべてを「日本独占資本の支配」に解消してしまうこれまでの規定では、こうした攻撃も、同じ支配の枠内でのいわば“コップの中の嵐”といったとらえ方にならざるを得ないのであります。
日本の情勢の綱領的なとらえ方の問題として、最後に強調したいのは、綱領が指摘している日本社会の二つの特徴は、現在の体制と国民の利益との根本的矛盾を規定している、という問題であります。
政治の上部構造では、逆向きの変動もしばしば起こります。しかし、いま日本の政治を握っている政権勢力には、アメリカの対日支配についても、大企業・財界の国民支配についても、その根幹にかかわる改革に手をつける意思もなければ、力もありません。そうである限り、政治の表面でどのような「再編」や見せかけの「改革」がおこなわれようと、日本社会の根底から生み出される根本的矛盾を解決することはできないし、長続きする安定した支配を確立することもできないのであります。
そして、支配体制と国民の利益とのあいだにこの矛盾がある限り、情勢にどんなジグザグの展開があっても、国民的な規模でその解決を求めての探究がおこなわれることは不可避であります。私たちが民主的な改革を支持する国民的多数派が形成されることを展望する根拠も、そこにあるのです。
ここに、情勢を根底からとらえるという綱領的な認識の大事な中心点があります。政治の上部構造で、選挙での後退とか、反共宣伝に攻め込まれるとか、逆向きの動きが起こったようなときほど、情勢についての綱領的認識を堅持することが重要であります。
つぎに、「第三章 世界情勢――二〇世紀から二一世紀へ」であります。ここでは、世界情勢を、二〇世紀の変化と到達点(第七節)、社会主義の流れの総括と現状(第八節)、世界資本主義の現状の見方(第九節)、国際連帯の諸課題(第十節)といった順序で分析しています。この分析を、世界の構造の変化という角度から整理してみたいと思います。
第一の角度は、植民地体制の崩壊が引き起こした変化であります。
改定案は、二〇世紀の変化の第一に、植民地体制の崩壊をあげています。大事なことは、このことが、世界の構造の全体にかかわる大きな変化・変動を生み出したことであります。
第一点。二〇世紀の初頭には、地球上の大多数の諸民族が、植民地・従属諸国として国際政治の枠外におかれていました。いまでは、これらの国ぐには、独立国として国際政治に積極的に参加しており、そのこと自体が、二一世紀の新しい世界情勢をつくりだしています。
第二点。この変化のなかで、植民地支配を許さない新たな国際秩序が生み出されたことは、きわめて重大であります。これによって、独占資本主義の諸国のあり方も大きく変化せざるを得なくなりました。
第三点。国際政治の舞台で、非同盟諸国会議、東南アジア諸国連合、イスラム諸国会議機構(OIC)などの諸組織が果たす役割と比重が大きくなりました。国際連合のあり方も、これまでの大国中心から、本当の意味で国際社会の全体を代表する方向での新たな発展が求められるようになりました。
第四点。イスラム諸国の登場と発展に端的に示されているように、異なる価値観を持った文明と文明のあいだの共存という問題が、いやおうなしに世界の日程にのぼってきました。
これらがその変化・変動の主要な点であります。二一世紀には、この方向でのさらに大きな発展が予想されます。
第二の角度は、二つの体制の共存という関係からみた世界構造の変化であります。
資本主義が世界を支配する唯一の体制だった時代から、二つの体制が共存する時代への移行・変化が起こったのは二〇世紀であり、そのことは、二〇世紀の最も重要な特質をなしました。しかしこの時代的な特徴は、ソ連・東欧での体制崩壊で終わったわけではけっしてありません。むしろ二つの体制の共存という点でも、新しい展開が見られるところに、二一世紀をむかえた世界情勢の重要な特徴があります。
改定案がのべているように、ロシアの十月革命に始まった社会主義をめざす流れは、今日の世界で、いくつかの国ぐにに独自の形で引き継がれています。とくにアジアでは、中国・ベトナムなどで、「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みなど、社会主義をめざす新しい探究が開始されています。これは、中国は人口十三億、ベトナムは人口八千万、合わせて人口が十三億を大きく超える巨大な地域での発展として、世界の構造と様相の変化を引き起こす大きな要因となっています。それが、政治的にも、経済的にも、外交的にも、二一世紀の世界史の大きな意味を持つ流れとなってゆくことは、間違いないでしょう。
この問題ではいくつかの質問がありました。
一つは、“中国・ベトナムなどを「社会主義をめざす」流れと評価しているが、そこで起こっているすべてを肯定するのか”という質問であります。
私たちが「社会主義をめざす」流れ、あるいは「社会主義をめざす」国と規定するのは、その国が社会主義への方向性を持っていることについて、わが党が、わが党自身の自主的な見解として、そういう判断をおこなっていることを表現したものであります。
これまでにもいろいろな機会に説明してきましたが、この判断は、その国の政府や政権党の指導部の見解をうのみにしたものではなく、実証的な精神に立っての私たちの自主的な判断であることを、重ねて指摘しておきたいと思います。
わが党は、その国の人々が自ら「社会主義」を名乗っているからと言って、それを単純に受け入れて「社会主義国」扱いするという安易な態度はとりません。このことは、わが党がソ連問題から引きだした原則的な教訓の一つであります。どの国についても、それは、私たち自身の実証的かつ自主的な判断によるものであります。
この判断は、方向性についての認識・判断であって、その国で起こっているすべてを肯定するということでは、もちろんありません。改定案自身が、これらの国ぐにの現状について「政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも」と明記している通りであります。
ただ、他国の問題を考える場合、日本共産党は、社会の変革過程についての審判者でもないし、ましてや他国のことに何でも口を出す干渉主義者でもないことに、留意をしてもらいたいと思います。社会主義へのどういう道をすすむかは、その国の国民、その国の政治勢力がその自主的な責任において選ぶことであります。私たちはあらゆる国の状況について積極的に研究し、吸収する価値のあるものは吸収します。しかしそこに、自分たちのいまの考えに合わないところがあるとか、自分が問題点だと思っていることを解決するのに時間がかかっているとかを理由に、あれこれ外部から批判を加えるというのは、日本共産党のやり方ではありません。
私たちは、その国の政府や政党から公然と攻撃や干渉を受けた場合には、公然と反論します。そうでない限り、それぞれの国の国内問題については、全般的には内政不干渉という原則を守り、公然とした批判的な発言は、事柄の性質からいってもともと国際的な性格を持った問題、あるいは世界への有害な影響が放置できない問題に限るという態度を、一貫してとってきました。
これは、日本共産党が数十年にわたって守ってきた対外政策の原則であります。この態度は、いろいろな国、いろいろな文明との共存の関係を発展させるうえで、重要な節度だと私たちは確信しています。
もう一つの質問は「社会主義をめざす」国に北朝鮮をふくめているのか、という質問でした。七中総でもお答えしましたが、私たちが、現実に社会主義への方向性に立って努力していると見ているのは、中国、ベトナム、キューバであって、北朝鮮はふくめていません。
第三の角度は、世界資本主義の矛盾の深まりであります。
経済的な諸矛盾については、綱領改定案は、第九節の冒頭で、世界資本主義の現状を「巨大に発達した生産力を制御できないという資本主義の矛盾」からとらえ、その代表的な現れとして、現実に世界で問題になっている七つの諸矛盾をあげています。ここは短いけれども非常に重要な部分であります。後でものべますが、この分析が、第五章「社会主義・共産主義の社会をめざして」における生産手段の社会化の必然性の解明にもつながるし、また、世界的な体制変動の諸条件の分析にもつながることになります。
つぎに世界資本主義の政治的諸矛盾の問題ですが、七中総の報告のなかで「独占資本主義=帝国主義」という見方が、現代の条件のもとでは一般的には成り立たなくなったこと、したがって、すべての独占資本主義国をその経済体制を理由に一律に「帝国主義の国」として性格づけることは妥当でないことを、指摘しました。これも二〇世紀における世界の様相・構造と力関係の変動のなかで、何よりも植民地体制の崩壊という大きな変動のなかで起こったことであって、そこをよく見ることが必要であります。
この点で、実践的に重要な問題として、二点を強調したいと思います。
一つは、政党が、ある国を「帝国主義」と呼ぶときには、その呼称・呼び名には、侵略的な政策をとり、帝国主義的な行為をおこなっていることにたいする批判と告発が、当然の内容として必ずふくまれているということであります。
そこから、改定案は、植民地支配が原則的に許されない現在の国際秩序のもとで、ある国を「帝国主義」と呼ぶためには、その国が経済的に独占資本主義の国だというにとどまらず、その国の政策と行動に、侵略性が体系的に現れているかどうかを基準にすべきだ、という立場をとりました。
これは現実の世界政治の分析でただちに必要になる基準であります。
改定案は、この基準で、アメリカの対外政策が、文字どおり「帝国主義」の体系的な政策を表していることを解明し、そういう内容を持って「アメリカ帝国主義」という規定をおこなっています。そうであるからこそ、綱領のこの規定は、アメリカの政策の核心をついた告発となっているのであります。
かりに、いまの世界で、「帝国主義」とは、経済が独占資本主義の段階にある国にたいする政治的な呼び名だというだけのことだとしたら、いくら「帝国主義」といっても、その言葉自体が政治的告発の意味を失い、そう呼ばれたからといって誰も痛みを感じないということになるでしょう。
もうひとつ大事な点は、この問題は平和のためのたたかいの目標と展望にかかわってくるということであります。レーニンの時代には、人民の闘争や情勢の変化によって、独占資本主義の国ぐにに植民地政策を放棄させたり、独占資本主義体制のもとで帝国主義戦争を防止したりすることが可能になるなどとする考え方は、帝国主義の侵略的本性を理解しないものと批判されました。実際に当時は、こんなことは実現不可能な課題だったからであります。
現代は、まさにその点で情勢が大きく変化しました。たとえば改定案は、「民主的改革」の方針の「国の独立・安全保障・外交の分野で」のところで、八項目の平和外交の方針を提起しています。その大部分は、レーニンの時代だったら、独占資本主義のもとで非帝国主義的な平和政策を夢見るものとして扱われたであろう課題であります。しかし現代では、これらの課題は、国際的な平和・民主運動のなかでも、実現可能な課題として、追求されているのであります。
これらの点をはじめ、綱領改定案にもりこまれた「帝国主義論」の新しい発展という問題は、現代の世界情勢の分析に、大きな実践的意義をもつことを強調したいと思います。
つぎは、二つの国際秩序の闘争をめぐる問題であります。
改定案は、二〇世紀の重要な出来事として、国際連合の設立をあげ、それとともに、「戦争の違法化」が世界史の発展方向として打ち出されたことを、高く評価しました。国連憲章は、各国の内政には干渉しない、国際的な武力の行使は国連の決定による、各国の勝手な軍事行動は、侵略への自衛反撃以外は認められない、などの諸条項を定めましたが、これはまさに「戦争の違法化」という方針を具体化し、戦争を未然に防止する平和の国際秩序の建設をめざしたものでした。
この国際秩序は、国連憲章のなかで目標として宣言されてはいますが、まだこの地球上で全面的に実現されるにはいたっていません。この平和秩序を、めざすべき目標というだけでなく、世界の現実にかえることが、二一世紀の平和と戦争をめぐるたたかいの大きな争点になっていることを、正面からとらえる必要があります。
改定案は、この立場から、「国連憲章にもとづく平和の国際秩序か、アメリカが横暴をほしいままにする干渉と侵略、戦争と抑圧の国際秩序か」、この二つの国際秩序の選択という問題を、世界平和のたたかいの中心課題として提起しています。
この対決は、いま、ほとんどあらゆる国際問題で現れていますが、最大の焦点はいうまでもなくイラク問題であります。この問題は、文字どおり、世界の見方、国際秩序のとらえ方がもっとも鋭く問われる舞台となっています。
小泉首相は、自衛隊派兵の決定に際して、「国際社会」への貢献をしきりに唱えました。小泉首相がいう「国際社会」とは、アメリカ一国の利益を世界平和の利益のうえに置いた、アメリカ中心の「国際秩序」にほかなりません。
これにたいして、自衛隊派兵に反対するわが党や平和・民主勢力がいう国際社会は、多数の独立した主権国家と異なる価値観を持つ多様な文明によって構成されている現実の国際社会であります。この国際社会では、どんな超大国にも、自国の利益を世界平和の利益のうえにおく勝手横暴は許されないし、国連憲章にもとづく国際秩序が何よりも尊重されます。
「国際社会」という言葉は同じでも、その中身は、これだけ違っているのであります。
このように、イラク戦争をめぐる対決は、世界でも日本でも、まさに二つの国際秩序の選択が、二一世紀の世界政治の焦点だということを、もっとも具体的な形で日々に示しているのであります。
そして二〇世紀から二一世紀への人類史的な流れを的確にとらえるならば、二つの国際秩序のどちらが切り開くべき未来を代表し、どちらが前時代から引き継がれた過去を代表しているかは、すでに明らかではないでしょうか。(拍手)
以上、世界情勢の章についてのべてきましたが、最後に一言したいのは、改定案がここでのべている命題の一つひとつが、野党外交で私たちが得た胸躍るような実感の裏づけを持っているという点であります。(拍手)
二一世紀の世界の激動的な展開の方向を広い視野で見極めながら、国際分野での活動に取り組んでいきたいと思います。(拍手)
つぎに「第四章 民主主義革命と民主連合政府」にすすみます。
民主主義革命論は、綱領路線の核心をなす部分です。この綱領を決定した当時、世界の共産党の運動のなかでも、発達した資本主義国での民主主義革命という路線は、ほとんど他に例のない、独自のものでした。私たちはその路線を、四十三年間の活動のなかで、より豊かに発展させてきました。この章は、こうしてかちとってきた実践と理論の全成果を反映させながら、綱領路線をより現代的、合理的なものに仕上げたものであります。
この四十三年間、自民党政治がしがみつき、国民的利益との矛盾をいよいよ深めている路線は、対米従属と安保堅持、大企業・財界奉仕という二つの点をなによりの特徴とする路線でした。これにたいし、日本共産党は、綱領にもとづいて、従属国家から独立・主権の国家への転換、財界主役の政治から国民主役の政治への転換という、日本の進路を切り替え新しい未来を開く路線を対置してたたかってきました。
日本の政党のなかで、自民党政治と対決して、日本の進路を切り替えるという方針を、この四十数年間、まとまった形で一貫して提起したというのは、日本共産党の民主主義革命の路線だけであります。野党といわれる政党のなかでも、「二大政党制づくり」の財界戦略を背景に、自民党流の路線の枠内での政権交代という流れが強まっている今日、民主主義革命というこの路線の持つ意義は、いよいよ大きくなっています。
この路線は、日本共産党が日本の情勢の独自の分析から引き出した、日本独自の路線であります。しかしこの経験のなかには、世界的な目から見て、一般性を持つ側面も、ある程度はふくまれているように思います。
たとえば、世界経済の「グローバル化(地球規模化)」にどう立ち向かうかが、いま、諸国民の国際的な運動のなかで大きな課題となっています。わが党はこの問題で、「民主的な国際経済秩序の確立」という目標を提起してきました。前大会では、「大会決議」のなかで、この問題のくわしい解明もおこないました。
これにたいして、ヨーロッパの一部では、社会主義革命路線の立場から「資本主義的グローバル化反対」という目標を対置する流れもみられました。しかし、実際の状況をみますと、ヨーロッパでも、現実の運動は、覇権主義や多国籍企業の横暴を許さない民主的な国際秩序をめざす方向で発展しているようであります。
これは、資本主義的な横暴や抑圧のさまざまな現れにたいして、民主的な改革のプログラムをもって対抗するという方針の有効性が、国際的な舞台で試されたものとみることもできるでしょう。
私たちの経験でも、国際的な交流のなかで、多くの人々から、私たちの民主主義革命の路線に関心をよせているということを、よくうかがいます。それは、日本の運動のなかに、発達した資本主義の国で、民主主義的な段階をへて社会主義に接近してゆくという一つの形態をみての注目であるということも、ここで報告しておきたいと思います。
綱領の、この部分を仕上げるにあたっては、私たちは、
革命の任務――民主主義革命が達成すべき任務が資本主義の枠内での民主的改革であることを明確にすること、
政府目標――民主連合政府がこの民主的改革を実行する政府であり、国民の支持のもとに民主主義革命をやりとげる政府であることを明確に規定すること、
この二つを基本点として、全体の整理をおこないました。
現綱領には、「人民の政府」、「民族民主統一戦線のうえにたつ政府」、「アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配を打破していくのに役だつ政府」、民主勢力がさしあたって一致できる目標の範囲での「統一戦線政府」、「革命の政府、革命権力」などなど、多様な政府規定がありました。
改定案は、これらの政府規定を、「民主連合政府」と、そこに至る中間段階あるいは過渡的な段階での「統一戦線の政府」という、二つの政府規定に整理しました。これが、さきほどあげた、二つの基本点によって整理したということの一例であります。
その結果、現在から将来にわたる見通しも、より見やすくなったという声が大きく聞かれるのは、うれしいことであります。
しかも、そのことは、党の路線のうえで、一方では、今後に予想される複雑な事態に柔軟に対応できる弾力性を、他方では、社会進歩の事業のもつべき原則的な立場をどんな波乱のなかでも守りぬく確固性を、両面を合わせて保障する力となっていると、考えています。
この章での綱領改定の大きな眼目の一つは、従来の行動綱領を、民主的改革の基本的な内容についての規定に変えたことであります。この改定の意味をよくつかんでほしいと思います。
これまでの綱領では、民主主義革命によって実行される改革については、「真の独立と政治・経済・社会の民主主義的変革」という一般的な規定しか与えていませんでした。ここには、国民的な運動も、党自体の闘争も、まだこの改革を具体的に問題にするところまでは前進していなかったという、綱領制定当時の情勢の反映がありました。
そして、そこで掲げられた「行動綱領」は、諸階層・諸階級の当面の要求、また、社会生活の各分野での当面の要求や課題などの一覧という内容のものでした。党がこれらの要求を支持してたたかうことに変わりありませんが、綱領の本来の役割は、どういう改革を達成することによってこれらの要求にこたえるか、という問題の解明にあります。
改定案では、その見地から、革命によって実現すべき改革の内容を、「国の独立・安全保障・外交の分野」、「憲法と民主主義の分野」、「経済的民主主義の分野」という三つの分野に整理して提起しました。
そして、この改革の内容を規定する際に、私たちが注意したのは、当面的な基準ではなく、改革の基本方向を示し、十年、二十年というものさしでその有効性を保ちうるもの、という気構えで、各分野の改革を定式化することにありました。ですからここには、そのときどきの情勢の変転や政府の政策の動きによって変わらない改革の基本点が、のべられています。
よせられた修正意見のなかには、行動綱領的な意味あいで、“より充実を”と求めるものがかなり多くありました。そういう要望には、綱領にそれを書き込むことではなく、問題の性質にふさわしい別の方法での対応を考えたいと思います。
改定案にのべられている民主的改革の内容は、政策活動の基本となるものであります。そこに、党の政策的一貫性の何よりの根拠があります。昨年の総選挙に先立つ時期に、多くの党組織が綱領改定案の内容を政策活動の旗印にしてたたかいました。これは、積極的な経験だったと思います。
今後とも、綱領を武器に、日本共産党はどんな日本をつくろうとしているか、党の「日本改革」の政策を日常不断に宣伝していくことに、努力しようではありませんか。(拍手)
天皇制と自衛隊の問題には、質問・意見がもっとも多くよせられました。「党の態度があいまいだ」、「国民の総意に転嫁するのは無責任だ」などの意見もありましたが、これは誤解にもとづくものであります。
まず、どちらの問題でも、党の態度は明確であります。
天皇制については、綱領改定案は「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく」と、その評価を明確にしております。また、今後についても、「国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだ」という方針を明示しています。
自衛隊については、改定案は「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」と明記しています。“第九条違反”という認識と、“自衛隊の解消によって第九条の完全実施にすすむ”という目標とが、ここには、はっきりと書かれているわけであります。
しかし、党の認識と態度を表現するだけでは、政党の綱領にはなりません。この認識にもとづいて、現状をどのようにして変革するのかの方法を明示してこそ、綱領としての責任ある方針になります。
天皇制の問題でも、自衛隊の問題でも、国民の現在の多数意見はその存在を肯定する方向にあります。その状態が変わって、国民多数が廃止あるいは解消の立場で合意しない限り、この問題での改革は実現できません。
その際、自衛隊の問題は、自衛隊の存在自体が憲法に違反しているという性格の問題であります。ですから、現憲法のもとで民主連合政府が成立したら、成立のその日から、政府は、自衛隊の存在と憲法との矛盾をどのように解決するかという問題に直面し、その態度が問われることになります。だから、そこに至る方途と道筋を、綱領で明記したわけであります。
天皇制の問題は、その点で事情が違います。これは、この問題でなんらかの改変をおこなうこと自体が、憲法の改定を必要とする問題であります。一方、戦前のような、天皇制問題の解決を抜きにしては、平和の問題も、民主主義の問題もないという、絶対主義的天皇制の時代とは、問題の位置づけが根本から違っていることも、重視すべき点であります。
私たちは、民主主義の原理的な立場からの党の考え方――これはさきほどのべました――については、今日でも大いに語る必要があります。
しかし、いま、憲法をめぐる中心課題は、第九条の改悪を主目標に憲法を変えようとする改憲のくわだてに反対し、現憲法を擁護することにあります。わが党は、当面、部分的にもせよ、憲法の改定を提起する方針をもちません。だから、改定案では、天皇制の廃止の問題が将来、どのような時期に提起されるかということもふくめて、その解決については、「将来、情勢が熟したとき」の問題だということを規定するにとどめているのであります。
改定案が解決は「国民の合意」や「国民の総意」による、としていることについて、“先送り”などと批判する意見がごく一部にありましたが、こういう批判は、多数者革命に背を向け、主権在民の原則そのものを軽んじるものにほかならないということを、指摘しておきたいと思います。
また、象徴天皇制という現制度を、「君主制」だとした現綱領の規定を改定案がやめたことについて、「君主制」の規定は残すべきだとする意見も一部にありました。しかし、七中総でのべたように、国民主権の原則が明確にされている国で、「国政に関する権能」をもたないものが「君主」ではありえないことは、憲法論のうえで明白であります。
つけくわえていえば、天皇を「君主」扱いして、憲法が禁じている「国政に関する権能」を、部分的にもせよ、天皇にもたせようとしているのが反動派の復古主義的なたくらみであります。党の綱領に「君主制」という規定を残すべきだという議論は、実践的には、こういう復古主義者たちを喜ばせる性質のものとなることも、あわせて指摘するものであります。
日本が「君主制」か「共和制」であるかはっきりさせろ、という声も聞かれました。日本は、国民主権という民主主義の原則を確立した国だが、現状では、「君主制」にも「共和制」にも属さない国であります。だから、七中総報告では、日本の憲法のこの特質を、「いろいろな歴史的な事情から、天皇制が形を変えて存続したが、そのもとで、国民主権の原則を日本独特の形で政治制度に具体化した」と記述しました。この特殊性を事実に沿ってリアルにとらえることが重要であります。
どんなものごとにも中間的、過渡的な状況ということはあるものであります。それをのりこえるのは、将来、国民の意思にもとづいて、日本の国家制度が民主共和制に前進するときであります。改定案は、日本における社会進歩の、この大局の方向についても明記しているのであります。
革命の路線についてのべている第十三節では、さきにのべた整理を、文章の全体にわたっておこないました。内容の問題で、補足的な説明を必要とすることはあまりありませんが、一点だけ、国会と政府にかかわる部分をとりあげておきます。
国会活動では、一九七〇年の第十一回党大会で、人民的議会主義の路線を、つぎのように定式化したことが、綱領路線の具体化の重要な一歩となりました。大会決議では、
「国会はたんに政治の実態を人民の前にあきらかにするだけでなく、国民のための改良の実現をはじめ、国民の要求を国政に反映させる闘争の舞台として重要な役割をはたす。さらに、今日の日本の政治制度のもとでは、国会の多数の獲得を基礎にして、民主的政府を合法的に樹立できる可能性がある」、
こういう確認をおこないました。 この定式は、国会活動のつぎの三つの任務を明らかにした点に、大きな意義がありました。
(1)政治の実態を国民の前に明らかにする。
(2)国民のための改良の実現をはじめ、国民の要求を国政に反映させる舞台となる。
(3)国会の多数の獲得を基礎にして、民主的政府を合法的に樹立する。
今度の改定案では、これらの任務を全面的に綱領の規定として織(お)り込んであります。
また改定案が、日本共産党が国会の多数の支持を基礎に民主連合政府の樹立をめざすことを、つぎのように、「国民が主人公」という日本共産党の信条と結びつけてのべていることも、重視してほしいと思います。
「日本共産党は、『国民が主人公』を一貫した信条として活動してきた政党として、国会の多数の支持を得て民主連合政府をつくるために奮闘する」。
ここにのべられているのは、国会の多数の支持を得て民主連合政府を樹立するという党の路線が、いわゆる戦略・戦術といった次元の問題ではなく、「国民が主人公」の立場を貫いてきた日本共産党の民主的な信条にもとづく路線だ、ということであります。この信条を革命運動の方針に具体化したものが、日本社会のどんな変革も、国民多数の支持がその前提になる、という「多数者革命」の考え方にほかなりません。
この路線は「議会の多数を得ての革命の路線」と略称することもあります。それは、マルクス・エンゲルス以来の科学的社会主義の革命論のなかでも、明確な歴史的位置づけを持った路線であります。
さきほど天皇制と自衛隊の問題でも若干ふれましたが、改定案が、「国民が主人公」の信条に裏打ちされた多数者革命の方針を、民主主義革命の段階から社会主義的変革の段階まで、社会発展の全段階で貫いていることを、深く読み取ってほしいと思います。(拍手)
最後に「第五章 社会主義・共産主義の社会をめざして」であります。この章は、改定案が特に力を入れた部分であります。
まず大前提となった二つの問題について話したいと思います。
第一に、綱領での未来社会論の展開のためには、まず、ソ連社会とは何であったかを明確にすることが重要でした。
わが党は、ソ連の評価にあたっては、レーニンが指導にあたった初期の時代と、スターリン以後の変質と転落の時代とを区別していますが、スターリン以後のソ連社会の評価という問題は、わが党が、六四年に、ソ連から覇権主義的な干渉を受け、それを打ち破る闘争に立って以来、取り組んできた問題でした。
この闘争のなかで、私たちはつぎの点の認識を早くから確立してきました。
(1)日本共産党への干渉・攻撃にとどまらず、六八年のチェコスロバキア侵略、七九年のアフガニスタン侵略と、覇権主義の干渉・侵略を平然とおこなう体制は、社会主義の体制ではありえない。
(2)社会の主人公であるべき国民への大量弾圧が日常化している恐怖政治は、社会主義とは両立しえない。
私たちは、早くからこの認識をもっていましたが、ソ連の体制崩壊のあと、その考察をさらに深め、九四年の第二十回党大会において、ソ連社会は何であったかの全面的な再検討をおこないました。その結論は、ソ連社会は経済体制においても、社会主義とは無縁の体制であったというものでした。
そのさい私たちが重視したのはつぎの諸点であります。
(3)ソ連の経済体制には、形のうえでは「国有化」もあれば「集団化」もありました。しかし、それは生産手段を人民の手に移すことを意味しないで、反対に、人民を経済の管理から締め出し、スターリンなどの指導部が、経済の面でも全権限をにぎる専制主義・官僚主義の体制の経済的な土台となりました。
(4)もう一つは、囚人労働の広範な存在です。ソ連には、長期にわたって、最初は農村から追放された数百万の農民、つづいて大量弾圧の犠牲者が絶え間ない人的供給源となって、大規模な囚人労働が存在していました。実際、毎年数百万の規模をもつ強制収容所の囚人労働が、ソ連経済、とくに巨大建設の基盤となり、また、社会全体を恐怖でしめつけて、専制支配を支えるという役割を果たしてきました。
もちろん、これらの諸点と同時に、人民の生活保障にかかわる諸制度にも目を向けないと、客観的で公正な評価とはいえないでしょう。ソ連社会の経済的制度のなかで、社会主義的性格をもったとある程度言えるのは、社会保障など、人民の最低生活保障にかかわる諸制度です。しかし、それは生産関係にではなく、分配関係の領域に属するものであって、社会の経済的な骨組みを形作る基本的要素にはなりませんでした。
こういう分析から、私たちはつぎの諸命題を結論として引き出したのであります。
――スターリン以後の転落は、政治的な上部構造における民主主義の否定、民族自決権の侵犯にとどまらず、経済的な土台においても、勤労人民への抑圧と経済管理からの人民のしめだしという、反社会的な制度を特質としていた。
――人民が工業でも農業でも経済の管理からしめだされ、抑圧される存在となった社会、それを数百万という規模の囚人労働が支えている社会は、社会主義社会でないことはもちろん、それへの移行の過程にある過渡期の社会などでもありえない。
これが二十回党大会で結論とし、党綱領にとりいれた命題であります。
ソ連が崩壊してすでに十年以上たっているとはいえ、ソ連問題はけっして過去の問題ではありません。いまでも、ソ連を社会主義だったとする見方は、世界に多く存在します。あれが「社会主義」の見本だといって、資本主義万歳論の材料にしようとする人たちもいれば、社会主義をまじめにめざす立場で、「腐ってもタイ」式に、ソ連社会を社会主義の一形態に数えあげる人たちもいます。
私たちは、資本主義をのりこえて新しい社会をめざす道を二一世紀に真剣に探究しようとするものは、ソ連問題にたいして、明確な、きっぱりした態度をとる必要があると考えています。官僚的な専制主義と侵略的な覇権主義を特徴としたソ連社会を社会主義の一つの型だと位置づける立場とは手を切らない限り、その運動が、資本主義世界で多数派になる道は開かれないであろう、と考えるからであります。(拍手)
第二に、現代の諸条件のもとでの社会主義・共産主義の社会への道を探究するためには、科学的社会主義の先人たちのこの分野での理論的な遺産を発展的に整理し、とりいれることが必要でした。
この分野は、率直に言って、国際的にみても遅れた理論分野の一つでした。とくにソ連が「社会主義社会の完成」を宣言した後には、この分野でのマルクス、エンゲルスの理論的遺産の研究も本格的にはおこなわれませんでした。未来社会の理論として支配的だったのは、レーニンがマルクスの「ゴータ綱領批判」をよりどころに、著作『国家と革命』のなかで展開した共産主義社会の二段階発展論でした。
この二段階発展論というのは、未来社会を、生産物の分配という角度から、“能力におうじてはたらき、労働におうじてうけとる”という原則が実現される「第一段階」と、“能力におうじてはたらき、必要におうじてうけとる”という原則が実現されるようになる「高い段階」とに分けるもので、通例、この「第一段階」が社会主義社会、「高い段階」が共産主義社会と呼ばれてきました。
この二段階発展論は、とくにスターリン以後、国際的な運動のなかでも、未来社会論の“定説”とされてきました。とくにソ連では、この“定説”には、社会主義の立場を踏み外して別の軌道に移ったソ連社会の現状を、そのときどきに、「社会主義社会はついに完成した」とか、「さあ、共産主義社会の移行の時期が始まった」とか、そういう合言葉で合理化する役割さえ与えられました。
しかし、科学的社会主義の学説をつくりあげた先人たちの未来社会論は、この“定説”の狭い枠組みには到底おさまらない、はるかに豊かな内容をもっています。私たちがその全内容を発展的に受けつごうとするならば、レーニンのマルクス解釈の誤りを是正することを含め、従来からの国際的な“定説”を根本的に再検討することが、避けられない課題となってきます。
この問題を全面的に探究するなかで明らかになった主な点は、つぎの諸点であります。
第一点。生産物の分配方式――まず「労働におうじて」の分配、ついで「必要におうじて」の分配、こういう形で生産物の分配方式のちがいによって未来社会そのものを二つの段階に区別するという考えは、レーニンの解釈であって、マルクスのものではありません。マルクスは、「ゴータ綱領批判」のなかで、未来社会のあり方を分配問題を中心において論じる考え方を、きびしく戒めています。
第二点。マルクスもエンゲルスも、未来社会を展望するさいに、特定の形態を固定して、新しい社会の建設に取り組む将来の世代の手をそれでしばってしまう青写真主義的なやり方は、極力いましめました。彼らは、分配方式の問題もその例外とはしませんでした。
第三点。マルクスが、党の綱領に書き込むべき社会主義的変革の中心問題として求めたのは、分配問題ではなく、生産様式をどう変革するか、でした。それは具体的には、生産手段を社会の手に移すこと、すなわち、「生産手段の社会化」という問題でした。「生産手段の社会化」は、この意味では、未来社会を理解するキーワードともいうべき意義をもっています。
第四点。マルクスもエンゲルスも、未来社会を人類の「本史」――本来の歴史にあたる壮大な発展の時代としてとらえました。だから、「必要におうじて」の分配という状態に到達したら、それが共産主義社会の完成の指標になるといった狭い見方をとったことは、けっしてありませんでした。マルクス、エンゲルスが、その未来社会論で、社会発展の主要な内容としたのは、人間の自由な生活と人間的な能力の全面的な発展への努力、社会全体の科学的、技術的、文化的、精神的な躍進でありました。
以上のような理論的な準備にたって、私たちは第五章の作成にあたりました。
順を追っての解説はしませんが、改定した綱領案のいくつかの中心点についてのべます。
綱領改定案の未来社会論にもりこんだ新しい見地の大要はつぎのとおりであります。
第一は、未来社会の呼び名の問題です。
改定案では、これまでの綱領にあった社会主義社会、共産主義社会という二段階の呼び名をやめました。マルクスやエンゲルスの文献では、未来社会を表現するのに、共産主義社会という言葉を使った場合も、社会主義社会という言葉を使った場合もあります。しかしそれは、高い段階、低い段階という区別ではなく、どちらも同じ社会を表現する用語として、そのときどきの状況に応じて使ったものであります。
改定案は、その初心にかえる立場で、呼び名で段階を区別することをやめ、未来社会をきちんと表現するときには、「社会主義・共産主義社会」と表現することにしました。
このことは、社会主義、あるいは共産主義という呼び名を、今後単独では使わないということではありません。綱領の改定案そのものにも、「社会主義」という表現を単独で使っている場合が少なからずあります。
この呼び名の問題をめぐっては、今後のことを考えても、かなり複雑な状況があります。
古典でも、マルクスの『資本論』では、未来社会は「共産主義社会」と表現されています。エンゲルスの『空想から科学へ』や『反デューリング論』では「社会主義社会」と表現されています。さきほども言いましたように、二つの呼び名は同じ意味で使われています。
また、日本でも世界でも、両方の呼び名が使われる状態が続くでしょうが、おそらく多くの場合、従来型の解釈で、未来社会の異なる発展段階を表すものとされる場合が多いでしょう。
そういうなかで、日本共産党綱領が、未来社会について、「社会主義・共産主義社会」と二つの呼び名を併記する表現を使うことは、私たちが「社会主義」も「共産主義」も同じ未来社会の表現だという新しい立場――もともとは一番古い立場なのですが、その立場にたっていることを明示するという意味をもちます。
ここに主眼があるわけですから、共産党員が議論する場合、どんな場合でも、二つの言葉を並べて言わないと綱領違反になるということではないことを、理解してほしいと思います。(拍手)
なお、“定説”とされてきた二段階発展論をやめたということは、未来社会がいろいろな段階をへて発展するであろうことを、否定するものではありません。
マルクスが、未来社会とともに、人類の「本史」が始まるとしたことはすでにのべました。この「本史」は、彼らの予想でも、それまでの人類の歴史の全体をはるかにこえる長期の時代となるものでした。当時は、太陽系の寿命が数百万年程度に数えられていた時代でしたが、エンゲルスは、ほぼそれに対応するものとして、人類の「本史」を「数百万年、数十万年の世代」にわたって続くものとして描き出しています。現在、人間がもっている自然認識によれば、人類の未来を測る時間的なものさしは、当時よりもはるかに長い、数字のケタが二ケタも三ケタも違うものとなるでしょう。
当然、そこで展開される人類の「本史」には、いろんな段階がありうるでしょう。いまからその段階についてあれこれの予想をしないというのが、マルクス、エンゲルスの原則的な態度でした。私たちも、この点は受けつがれて当然の態度だと考えています。
第二の問題は、綱領改定案が、未来社会論の中心を「生産手段の社会化」においたという問題であります。さきほどここに未来社会論のキーワードがあるといいましたが、それだけに、ここを深く理解することが大事です。ここでは「生産手段の社会化」の意義をとらえる二つの角度という問題を、まずのべたいと思います。
第一の角度は、「生産手段の社会化」が、資本主義の矛盾をのりこえるための必然的で法則的な社会変革であることを、深く理解するという点であります。
第三章の世界情勢のなかの、資本主義世界の分析のところで、綱領改定案は、資本主義が現在直面している経済的諸矛盾を、「広範な人民諸階層の状態の悪化、貧富の格差の拡大、くりかえす不況と大量失業、国境を越えた金融投機の横行、環境条件の地球的規模での破壊、植民地支配の負の遺産の重大さ、アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの多くの国ぐにでの貧困の増大」という七つの具体的な現れでとらえました。そして、それらがすべて、「巨大に発達した生産力を制御できないという資本主義の矛盾」の「かつてない大きな規模と鋭さ」をもった現れでもあることを指摘しました。資本主義のこの矛盾は、個々の資本が生産手段をもっており、生産と経済が資本の利潤追求を最大の推進力として動かされているという資本主義の本性に、根源があるのです。
「生産手段の社会化」は、資本主義の矛盾から抜け出す必然的な活路という位置づけをもった社会主義の課題であります。
日本社会も、同じ資本主義世界に属する国として、共通する矛盾にぶつかっています。民主的改革をわれわれが実行するということは、国民生活にとっても、日本経済にとっても、歴史的前進の重大な一段階を画するものでありますが、それはまだ、資本主義の矛盾を取り除くものではありません。この矛盾をおおもとから取り除くためには、民主主義の日本から社会主義の日本へと前進することが、つぎの段階の課題となってくるのです。
この変革の必然性を明らかにするためには、現在の社会がそのことを必要としていることの具体的な解明が何よりも重要であります。この数年来、私たちが、「二一世紀と『科学の目』」など、この角度から二一世紀論を展開してきた意味も、ここにあります。
未来社会が資本主義の矛盾のその根源から変革して、「生産手段の社会化」を実現する社会であること、このことを太く明らかにしてこそ、社会主義・共産主義の社会の、資本主義社会にたいする優位性を全面的に解明することができると思います。
第二の角度は、いわば人類史的な見方であります。「生産手段の社会化」が人間社会の本来の姿を取り戻すものであって、そういう意味で人類史の新しい時代を画する変革であることをおおもとからつかむ、この歴史観も大事であります。
人類の歴史をより深く考えますと、だいたい生産手段というのは、人間がそれを使って自然に働きかける手段であります。
少なくとも数十万年は続いた人類史の曙(あけぼの)の段階では、生産者が自分の生産手段をもって自然に働きかける、これが人間本来の姿でした。
階級社会に変わってこの状態が根本から変わりました。階級社会には、奴隷制、封建制、資本主義という主な三つの時代がありますが、時間の長さからいえば、合わせてせいぜい数千年であります。この階級社会では、生産者と生産手段が切り離され、生産手段が支配者の持ち物となりました。そのために、生産者が他人である支配者のために働くというのが、生産の主要な様式に変わりました。
そして最後の搾取社会である資本主義の時代を迎えて、生産手段と生産力が高度な発展をとげ、新しい社会の物質的土台をつくりだす。同時に、一方では個々の企業が生産手段を持った状態では巨大化した生産の管理ができなくなるという矛盾が激しくなると同時に、生産者の側には、それだけ発展した生産手段を集団として動かすことができる力も発展してくる。ここに大づかみにみた資本主義時代の特徴があります。
そのうえにたって、共同体である社会が生産手段を握る、こういう形で生産者と生産手段の結びつきを回復するという新しい段階、人類のいわば「本史」への発展を意味する社会変革が日程にのぼってきたのです。
ここに、「生産手段の社会化」という目標を人類史という大きな視野でとらえた場合の大きな意義があることを強調したいと思います。
つぎに、綱領改定案がのべている「生産手段の社会化」の内容にすすみます。
改定案は、「生産手段の社会化」の意義を、三つの点に整理して説明しています。七中総報告では、それを「三つの効能」と名づけたのですが、改定案は、その前に、もう一つの大きな値打ちについて書いています。
それは、「社会化」されるのは生産手段であって、消費生活のなかでの個人個人の私有財産は「社会化」の対象にならない、という点であります。
この点は、マルクスが、社会主義・共産主義の目標を、生産手段を社会の手に移す、すなわち「生産手段の社会化」という形でまとめ上げたことによって、誰にでも分かる形で表現されるようになったことでした。
実は、マルクスが、社会主義・共産主義の目標をこういう形でまとめ上げるという結論に達したのは、あまり早い時期ではなく、『資本論』を執筆するなかでのことでした。そして、そのことが、新しい社会の内容を明確にする上で、たいへん大きな意義を持ったのでした。
マルクスの時代から、共産主義運動はいっさいの私有財産を取り上げる、こういう反共宣伝はかなり広くありました。「生産手段の社会化」というこのまとめは、これらの反共宣伝に理論的に確固とした反撃を加える足場をきずくという大きな役割をも果たしたのです。マルクス、エンゲルス自身も、当時の社会主義運動の実践の場――インターナショナルの舞台で、あるいはまた理論活動の舞台で、早速その線での反撃に取り組んだものでした。
ですから改定案のつぎの文章には、それだけの理論的、歴史的な背景があってのものなのです。
「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」。
改定案では、このあと七中総報告で「三つの効能」と呼んだ叙述が続きます。
(一)搾取の廃止によってすべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすこと。
(二)生産と経済の推進力を、社会と社会の成員の生活の発展に切り替えることによって、経済の計画的な運営を可能にし、不況、環境破壊、社会的格差問題の根本解決に道をひらくこと。
(三)利潤第一主義のせまい枠組みから経済を解放し、健全で豊かな経済発展の条件をつくりだすこと。
この三項目のそれぞれが、「生産手段の社会化」によって、社会のあり方がどう変わり、人間の生活がどう変わるか、人間の解放という大目的に接近するどのような力になるか、などを解明したものであります。
ここでひとつ強調したいのが、第一の項目で、労働時間の短縮が「社会のすべての成員の人間的発達を保障する土台」をつくりだす、とのべている点であります。
どんな個人も、自分自身のなかに多くの能力を潜在させています。しかし、いまの社会では、おかれた環境に支配されて一人ひとりが、その能力を埋(うず)もらせたまま、生涯を終わってしまうという場合が圧倒的に多いのです。
マルクス・エンゲルスは、新しい社会をめざすにあたって、その社会が、人間の物質的生活を向上させ、より豊かにすることと同時に、すべての人間にその能力と活動の全面的な発達と機会を保障する社会となることを、何よりも重視しました。
この問題での科学的社会主義の先輩たちのことばを一つだけ紹介しましょう。エンゲルスが『反デューリング論』および『空想から科学へ』のなかで、未来社会が人間にどんな生活を保障するかについてのべた文章であります。
「社会のすべての成員に、物質的に完全にみちたりて、日ましに豊かになっていく生活だけでなく、さらに、彼らの肉体的および精神的素質が完全に自由に伸ばされ、発揮されることを保障する生活」。
要するに、生活の物質的向上と人間としての「全面的発達」、これが未来社会の人間解放の内容になるという見地であります。マルクス・エンゲルスはこのように、人間の全面的発達を、人間の解放の事業のもっとも重要な内容として位置づけていました。彼らが労働時間の短縮を未来社会論の根本問題だとした理由も、そこにあったということを、付け加えて指摘しておきたいと思います。
第三の点は、綱領改定案が青写真主義をいましめる原則的見地を貫いていることであります。
改定案はこうのべています。
「日本における社会主義への道は、多くの新しい諸問題を、日本国民の英知と創意によって解決しながら進む新たな挑戦と開拓の過程となる」。
分配方式の問題でも、これまでの綱領は、低い段階と高い段階の分配方式をそれぞれ明記してありましたが、改定案は、生産物の分配について固定した図式でしばらないという態度をとっています。これも、その態度の表れであります。
より重要な問題は、生産手段の社会化の方式と形態の問題にあります。意見のなかには「もっと具体的にのべよ」、という注文がかなりありました。しかし、おそらくこの分野こそ、その課題に取り組む将来の世代の英知が、最も創造的に発揮されることになる分野となるだろうと思います。
さきほど、「生産手段の社会化」の問題について、資本主義の諸矛盾からの根本的な活路としても、また、人類の「本史」の発展の方向としても、個々の人間や企業ではなく、社会が生産手段をにぎり社会のために生産するという体制への変革こそ、社会発展の大方向だということを、社会主義・共産主義の未来社会解明の中心にすえようということをのべました。
「社会化」の形態は、いまから固定的に決められる性質の問題ではありません。日本の場合でいえば、将来、おそらくそれに取り組む世代は、すでに民主主義革命の時期に、大企業の民主的規制や日本経済の民主的運営の分野で多くの経験をつんでいるでしょう。そこから多くの知恵も得ているはずであります。世界的にもくみとるべき経験が発展しているでしょう。そういうすべてを縦横に活用しながら、生産手段を社会がにぎり運営するという点では、どういう形態が適切で合理的なのか、日本にふさわしい道筋や形態は何なのか、それらが探究され、選択されてゆくでしょう。
私たちは、日本の社会進歩の過程で、日本にふさわしい形で「生産手段の社会化」に接近し実現してゆく知恵と力量が必ず発展してくるだろうことを、確信しているものであります。
改定案は、このように青写真主義を排する原則的な態度を堅持しながらも、いまの段階から明らかにできるし、それが必要だという問題は、二〇世紀を生きてきた者の責任において大胆に明らかにしています。それは、つぎのような諸点であります。
――社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが受けつがれ、いっそう発展させられること。
――社会主義的変革に踏み出す出発点においてはもちろん、その途上のすべての段階で、国民の合意が前提になること。
――「生産手段の社会化」では、日本社会にふさわしい独自の形態の探究が重要だが、どんな場合でも「生産者が主役」という社会主義の原則を踏み外してはならないこと。この問題をはじめ、「社会主義」の看板でまったく異質なものを持ち込んだソ連の誤った経験をくりかえすことは、絶対に許されないこと。
――「市場経済を通じて社会主義に進む」ことが、日本の条件にかなった社会主義の法則的な発展方向となるであろうこと。
これらの諸点であります。
最後に、改定案が未来社会への道筋を考える場合、それを日本社会だけの孤立した過程としてとらえず、二一世紀の世界的な発展のなかでとらえていることは重要であります。
この世紀が激動の世紀になるだろうということは、世界のあらゆる部分から、資本主義をのりこえて新しい社会をめざす流れが成長し、発展する可能性をもっているということであります。
改定案は、世界の三つの大きな部分について、簡潔ではありますが、そのことを指摘しています。
発達した資本主義諸国では、経済的、政治的諸矛盾と人民の運動の高まりは、避けられません。不況・恐慌の問題をとっても、地球環境の問題をとっても、その矛盾は深刻であって、文字どおり、資本主義制度の存続の是非を問うという鋭さをもって展開されつつあります。さらに、多くの識者が、現在のアメリカ中心主義の横行を目の前にして、かつて、世界史に存在して崩壊の道をたどったローマ帝国や大英帝国の歴史を思い起こしながら、深刻な危機感を表明していることも、特徴的であります。
資本主義から離脱した国ぐにが社会主義の独自の道を探究する努力を展開していることも重要であります。とくに、「市場経済を通じて社会主義へ」の取り組みは、まだ第一歩でありますが、活力ある経済社会をつくる動きとして世界の注目を集めつつあります。すでに国際社会におけるその政治的・経済的重さには、二〇世紀初頭のソ連誕生の時点をはるかに超えるものがあります。
アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広範な国ぐにの流れも重大であります。多くの国ぐにが、資本主義の枠内では、経済的発展の前途を開きえないでいることを実感しつつあります。政治的独立をかちとり、国際政治のなかで比重を大きくしているだけに、その矛盾は特別に大きいものがあります。この地域でも資本主義以後の新しい時代、新しい社会を待望する声がさまざまな形で渦巻いています。それらの声が社会主義への変革にただちに結びつくわけではありませんが、ここにも体制変革の展望と結びつく二一世紀の大きな力のひとつがあることは、間違いないと思います。
これらの流れが互いに関連しあい、刺激しあって二一世紀の激動的な展開を形づくってゆくでありましょう。二一世紀が、体制的にも新しい激動の世紀となることは、確実だと私たちは考えています。
そのなかで、社会発展の段階をきちんと踏まえながら、日本の未来をひらく運動を着実に展開していこうではありませんか。新しい綱領は、その正確で強力な指針となるべきものであります。
以上で、綱領改定についての報告を終わります。
この大会で出される意見もふくめ、これまでによせられた意見のなかで、とりいれることが妥当だと考えるものは、最後に修正案として大会におはかりしたいと思います。
熱心な討論を期待するものであります。
新しい綱領が採択されたら、これをその時だけのものとして棚上げすることなく、全党組織・全党員の血肉とする努力をし、必ず、文字どおり日常の党活動の指針として活用しようではありませんか。(拍手)
日本共産党が、現在の日本と世界の諸問題を解決する民主的改革の政策をもつと同時に、資本主義をのりこえた未来社会への展望をもっているということは、二一世紀に日本と世界が直面するであろうあらゆる問題に対し、正面から立ち向かえる立場をもっているということであります。日本共産党という党名には、暗黒の時代に民主主義と平和のために不屈にたたかいぬいた歴史が書きこまれていると同時に、二一世紀に生きる政党としての誇りある未来が結びついているのであります。(拍手)
このことを心に刻みつつ、新しい党綱領を踏まえて、日本のすすむべき道、開くべき未来を国民と語り合おうではありませんか。(長く続く拍手)