2004年1月27日(火)「しんぶん赤旗」
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小泉・自公政権が二十六日に決めたイラクへの陸上自衛隊本隊の派兵――。米英両国の無法な侵略戦争と不法な占領支配に参加し、憲法が禁止した「交戦権」の行使に踏み込む重大な決定です。
イラクでは今も、米英軍による占領支配が続いています。占領とは、戦争状態が続いていることです。
政府もこれまで、平和条約などを結ぶことで占領が終結して初めて戦争状態が終わるとの見解を示してきました(別項1)。イラクの現状についても、降伏文書の調印もされておらず、戦争状態が続いているとの認識を示しています。(別項2)
イラク戦争は、国連の承認のない先制攻撃の戦争、国連憲章違反の侵略戦争でした。米英軍の占領支配が続くイラクは、その無法な侵略戦争が続いているということにほかなりません。
石破茂防衛庁長官は、自衛隊のイラク派兵について「(米国が)苦しいとき、つらいときに、共に目的を同じくし、活動する」(五日)と述べています。それはまさに、米国の無法な侵略戦争、不法な占領支配に加担するということなのです。
しかも、イラクに派兵される自衛隊は、法的にも、実態的にも占領軍の一員になります。
日本共産党の志位和夫委員長は二十二日の衆院本会議での代表質問で、イラクの占領統治を行う連合国暫定当局(CPA)のブレマー行政官から日本政府に送られた書簡を指摘。派兵される自衛隊が「連合国要員」(別項3)として扱われ、イラク国内で刑事、民事、行政のいかなる裁判権からも免除され、法的に占領軍の一員としての地位を与えられることを明らかにしました。
イラク占領軍司令部(CJTF7)は、本紙の質問に対し「自衛隊はCJTF7の指揮下に入ることになる」と答えています。
さらに、自衛隊の実際の任務も、占領軍の一員としての活動です。政府が作成したイラク派兵の「実施要項の概要」は、陸上自衛隊は「安全確保支援活動としての医療、輸送、補給等」、航空自衛隊は「安全確保支援活動としての輸送」を行うと明記しています。「安全確保支援活動」とは、政府も「フセイン軍残党の米軍掃討作戦への支援」なども含むと認めるように、占領軍の軍事作戦に対する兵たん支援(後方支援)です。
自衛隊は、戦争状態の継続である占領支配の一翼を担うことになり、無法な侵略戦争の加担者になるのです。
政府はこれまで、他国の占領やそこでの占領行政は、憲法九条で禁止されている「交戦権」の行使にあたるとの見解を示してきました(別項4)。この政府の見解に照らしても、憲法が禁じる「交戦権」の行使に踏み込むことになる自衛隊派兵が許されていいはずはありません。
「一般に戦争状態を終結させるのは講和条約、平和条約であるから、その講和条約が締結されるまでの間、いわゆる国際法上の状態でどういう状態であったかということであれば、それはまだ戦争状態が法的には続いていたということ」(一九九五年十月二十七日、参院予算委員会、林暘外務省条約局長=当時)
「国家間の国際法上の問題として、戦争状態というものが法的に終結するのは、平和条約等、(戦争)終結のための国際約束によって終了せしめられるのが一般だ」(八〇年三月四日、衆院予算委員会第一分科会、山田中正外務省条約局外務参事官)
「(イラクでは)降伏文書の調印がなされたわけではない。したがって、戦争状態は継続しているというのは、法的に見ればそういうことだと思う」(二〇〇三年六月二十五日、衆院イラク特別委員会、石破茂防衛庁長官)
「連合国要員」とは「司令官あるいは連合軍、連合国に雇用された軍に任命されるか、その指揮の下に置かれる要員」(CPA命令一七号から)
「憲法第九条第二項は、『国の交戦権は、これを認めない』と規定しているが、ここにいう交戦権とは…相手国の領土の占領、そこにおける占領行政…を行うことを含むものである」(一九八〇年十月三十日、政府答弁書)
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