2004年1月31日(土)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 「しんぶん赤旗」は創刊以来七十六年間、反戦平和を貫きましたが、他紙はどうだったのですか。(東京・一読者)
〈答え〉 一九二二年に生まれた日本共産党は、二八年二月一日、党中央機関紙「赤旗」(当時の読みは「せっき」)を創刊しました。侵略戦争反対の旗を高く掲げた「赤旗」は、「満州事変」の二カ月前に天皇制政府の侵略の企図を暴露し反戦行動を呼びかけるなど、平和を願う国民のよりどころでした。弾圧の中、三五年二月を最後に停刊を余儀なくされましたが、戦後四五年十月に再刊第一号を発行、今日に至っています。
日本の商業紙は、戦争が始まると政府・軍部に迎合し、戦争報道に熱中して部数を伸ばしてきた歴史があります。これは検閲など言論統制のせいには帰しえない、商業各紙の原罪です。
例えば一九三一年九月十八日に日本軍が「満州事変」を引き起こすと、それまで軍部批判をしていた「大阪朝日」は戦争支持に転換、「大阪毎日」などと部数拡張競争を展開しました。「読売」も「満州事変」を絶好の機会として夕刊発行にものりだし、有力紙に台頭しました。三二年十二月には、全国百三十二新聞社が、「満州国独立」を支持する共同宣言さえ発表しました。この時期に日本の商業紙が戦争賛美一色となったことは、日本がその後の際限ない戦争拡大にのめりこむことを後押しする、致命的な一歩でした。
現在も、商業紙などマスメディアでは、イラク戦争をもっぱら侵略する米英軍の視点から報じ、イラクへの自衛隊派兵も当然視する論調が、大手を振るっています。この状況に「満州事変」当時に似た危うさをみる人も少なくありません。
戦前からの反戦平和の伝統を引き継いだ「しんぶん赤旗」はいま、日本の現状に心を痛める多くの人々が登場し、時流に警鐘を鳴らす場となるなど、重要さを増しています。「赤旗」を良心のよりどころとする人々の輪をさらに大きくすることが求められています。(清)
〔2004・1・31(土)〕