日本共産党

2004年2月11日(水)「しんぶん赤旗」

野呂栄太郎ってどんな人なの?


 〈問い〉 今年、没後七十年を迎えるという、野呂栄太郎はどんな人だったのですか。 (大阪・一読者)

 〈答え〉 野呂栄太郎は戦前の日本共産党の指導的幹部の一人です。日本資本主義の成り立ちや諸矛盾を科学的社会主義の「科学の目」で分析・解明し、その後の日本資本主義の科学的研究の出発点を切り開いた経済学者でもあります。

 一九〇〇年に北海道の開拓農村で生まれ、少年時代に関節炎で片足を切断しました。二〇年に慶応義塾大学に進み、科学的社会主義の理論・運動に接し、社会科学を研究する学生団体の設立・運営や、日本最初の労働運動のための研究調査機関である産業労働調査所の活動に加わりました。

 一九二六年〜三〇年発表の五論文を収めた主著『日本資本主義発達史』(三〇年刊行)は、まず、「皇国史観」などの非科学的歴史観がまかり通っていた日本の歴史を具体的に分析し、階級社会と国家の成立や支配階級・支配体制の変動など、日本社会の発展・変革の過程をあとづけました。

 明治維新をへて資本主義に進んだ日本についても、絶対主義的な天皇制と、封建的要素の強い地主制、はじめから権力と結びついて発展をとげた財閥・独占資本の相互関係を浮き彫りにし、その反動的・侵略的性格や諸矛盾を明らかにしました。

 これらは侵略戦争と植民地支配に反対し、天皇中心の社会を国民が主人公の社会に変革する課題を掲げた、戦前の日本共産党の路線を豊かに発展させるものでした。

 野呂は三〇年ごろ日本共産党に入党し、合法面では『日本資本主義発達史講座』の編集で中心的役割を担いました。肺結核との闘病を抱えていましたが、三二年十月の弾圧で党指導部が破壊されると、中央委員の一人として党指導部の再建に着手しました。スパイの手引きで三三年十一月に検挙され、翌年二月十九日、拷問による病状悪化で生涯を閉じました。(

〔2004・2・11(水)〕


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