2004年2月14日(土)「しんぶん赤旗」
「世界に向けてよいメッセージが発信できた」――。サッカーの国際親善試合で十二日、日本代表とたたかったイラク代表のベルント・W・シュタンゲ監督(55)は試合後、感慨深げに語りました。ドイツ人である同監督は昨年六月、戦火の残るイラクに舞い戻り、チーム再建にとりくみはじめました。「気持ちはイラクの人々と同じ」と語るいまの思いを聞きました。和泉民郎記者
――イラクではサッカーをすること自体、困難だと思うのですが、いま一番訴えたいことは?
シュタンゲ監督 アメリカ、イギリス、イタリア、日本も含めて戦争に参加した国々こそが、率先してスポーツの援助をすべきだと思います。
イラクの人たちが心から愛しているスポーツがサッカーです。その復活は国民に誇りと復興にたいする勇気を与えるはず。だからイラクの人々のために「サッカーを援助します」という言葉が出ていいはずなのです。
しかし、昨年十一月まで、そうした国も含めて援助がなかった。私たちは孤独な気持ちでした。間もなくFIFA(国際サッカー連盟)が、その後、ドイツ、オーストラリアが援助してくれました。ボール、シューズ、ユニホーム、電話やファクス、遠征費用もです。
われわれの心の支えであるサッカースタジアムは戦車で占領されました。いまは撤去されたものの、荒れたグラウンドは使える状態ではありません。
私は、本当の意味の国際的な支援を呼びかけたい。イラクに、飛行機で武器や戦車を運び込むなら、どうして芝生を運べないのか。戦争が終わって、終わり、ではない。この先の将来が重要なのです。
――チーム再建はどう始まったのですか?
シュタンゲ監督 まず選手を集めようとしました。しかし、それ自体が大変でした。電話もファクスもなかったのですから。7月に私は選手の家々を回りました。携帯電話のシステムがその前の週に始まったからです。しかし彼らを探すには、数時間かかることもありました。とてもとても困難でした。
夏になんとか50人を集めて練習を始めました。小さな小さな運動場で、気温が50度を超える昼間に練習したのですよ。ナイターの施設がないからです。もちろんエアコンもシャワーもない。着替える小屋すらないのです。しかし、メンバーはみんなやる気満々でトレーニングに励んでくれた。それが救いでした。
――いまのイラクの状況はどうですか?
シュタンゲ監督 大変混乱しています。食料から薬、すべてのものが欠けています。毎日のようにテロも起きている。11日の練習のとき、バスの中で、テロのニュースが流れていました。それを聞いた選手たちは一言もしゃべらず、重苦しい雰囲気でした。テロの起きた場所が、バグダッドでいつもわれわれが練習している近くだったからです。
――監督自身、危険な中で仕事をするのは迷いがあったのでは?
シュタンゲ監督 私は何も恐れてはいません。バグダッドの市内でアメリカのチェックポイントを通過するとき、前の車が爆弾を積んでいるかもしれない。そんなことは分からない。しかし人生は続いていくのです。
スポーツというのは平和の象徴です。ときに、外交以上の成果がある。そして、イラク人もサッカーを必要としている。だから、私たちの役目はイラクと世界の人々に明るい展望を示していくということです。
私たちはワールドカップ(W杯)や五輪に出るかもしれません。とても難しいことだとは思いますよ。でもわれわれは決して夢も展望も捨てません。これからも私は、イラクサッカーの未来をみつめていきたいと思います。
すぐ隣で話を聞いていた団長のアーメド・ラディ協会副会長(39)は「彼はとても強い人です。私たちでも怖いことがいっぱいなのに…」と語り、さらにこう付け加えました。「この5カ月、彼から給料の話は出ていません。いい結果も残してくれているし、私たちは心から感謝しているのです」
イラクチームは13日、ウズベキスタンでのW杯1次予選の初戦に向け、日本から旅立ちました。