2004年2月26日(木)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 一月に開かれた日本共産党第二十三回党大会に参加したインド共産党(CPI)と、インド共産党(マルクス主義)=CPIM=について教えてください。(東京・男性)
〈答え〉 インド共産党は、まだインドが英国の植民地だった一九二五年に結成されましたが、ソ連・中国両国共産党からの干渉を背景に一九六四年、ソ連に追随して国民会議派政権に協調的な路線をとるインド共産党(CPI)と、それに批判的なインド共産党(マルクス主義)=CPIM=とに分裂しました。
インドは四七年に独立し、国民会議派の政府が樹立されました。ソ連や中国は当初、インド共産党にたいし中国型の武力闘争路線を、その後は政府との協調路線を押し付けました。五九年、中印国境で武力衝突が起き、インド共産党内の自主的な人々が政府に弾圧されるなどの事態を経て、党は分裂しました。
ソ連追随のCPIは、分裂当時、国会議員でも多数派でしたが、七五〜七七年の国民弾圧の非常事態令まで擁護し、国民の支持を失いました。CPIMは、「文化大革命」当時の中国・毛沢東派の干渉をはね返し、七〇年代以降は党勢でCPIを上回るようになりました。
現在、両党は他の左翼政党とともに「左翼戦線」をつくって共闘しています。ソ連崩壊後、CPIはソ連追随の過去に一定の反省を表明しました。
国政では、九九年の総選挙で、CPIMは三十三議席、CPIは四議席を得ました。西ベンガル州(人口八千万)では、七七年以来左翼戦線州政府を維持。トリプラ州(同三百万)では〇三年二月の選挙で二期連続、五期目の左翼政権を守りました。いずれも資本主義の枠内での民主的な経済改革をすすめ、成果をあげてきました。
一九五七年に最初の共産党主導政権を樹立したケララ州(同三千百八十万)では〇一年五月の州議会選で、六年間続いた左翼民主戦線政府が敗北しました。
日本共産党は、CPIMとは八一年以来、CPIとは九五年以来、党関係を持っています。(寿)
〔2004・2・26(木)〕