2004年3月3日(水)「しんぶん赤旗」
【カイロ=岡崎衆史】血まみれの男性、手足を失った人、にわかじたての木製の担架や毛布で運ばれる人々―。イラクの首都バグダッドと中部の都市カルバラで二日に発生した複数の爆発事件は、百四十人を超える死者を出す惨事となりました。
爆発が、イスラム教シーア派(イラクの人口の約六割を構成)の祭典「アシュラ」に参加するため内外からの巡礼者でごったがえす聖地カルバラとバグダッドのシーア派寺院やその付近で起きたことで、シーア派に恨みを抱く他宗派の武装組織や宗教間の内乱を生み出すことで米占領体制の打倒を企てる集団の犯行などが指摘されています。
どんな理由があっても民間人を殺害するテロが許されないのは当然のことです。同時に、今回の事件は、イラクの治安を維持できない米国によるイラク統治の破たんを明白に見せつけました。
占領軍としての米軍の存在そのものがイラク人の怒りを招き、こうしたテロの温床になってきたことも重大です。「テロ打倒」を口実に民家に深夜押し入るなど米軍のイラク人の人権や慣習を無視した掃討作戦も人々の憎しみを増大させてきました。
米軍不信は根強く、今回の事件でも現場からは、「米軍がその場にいたにもかかわらず治安維持や市民の保護を怠った」として非難する声がでているほか、「米軍自体のしわざ」といった批判まで出ています。
爆発があったバグダッドのモスクのシーア派聖職者も、カタールのアルジャジーラ・テレビで、「占領軍に要請していたにもかかわらず治安上の配慮がまったくなかった」と非難しました。
バグダッドとカルバラに特派員を送っている英BBC放送(電子版)も、「慎重な対処が求められる地域で(市民の)安全保護を怠ったことは人々の怒りを引き起こし、反米感情に油を注ぐことになる」と警告しています。
【カイロ=岡崎衆史】バグダッドで取材中の写真家、森住卓氏に電話で事件の模様を聞きました。
森住氏によると、バグダッドで爆発が起きたのは少し北のカゼメヤ地区で、午前十時ごろ四発のロケット弾のうち二つがモスク内で爆発し、他の二つが付近で爆発しました。モスクにはフセイン元大統領の統治下禁じられていたアシュラ(イスラム教シーア派の祭典)を祝うことができるということで外国人も含めてたくさんのシーア派の人たちが集まっていました。
近くの病院にすぐにかけつけ二十八遺体を確認しましたが、中には子どもや女性、イラン人などの外国人のものが含まれ、足が切断されていたり、顔が吹き飛んでいたり、凄惨(せいさん)な状況でした。
現場の住民は爆発のショックで頭に血が上っており、「米軍がやった、イスラエルがやったにちがいない」などと興奮しながら叫んでいました。