2004年3月10日(水)「しんぶん赤旗」
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「借金している人間は家なんか持つなというのか」――。銀行による強引な競売によって、自宅を手放したSさん(44)=理髪業・東京都内=の声です。小泉不況のもとで、自宅を手放さざるをえない状況においこまれた人たちの姿を追いました。山田英明記者
妻と子どもと三人で暮らすSさん。実家は、代々理髪店を営んでいました。バブル期、ある大手都市銀行が実家の理髪店との取引をもとめ、融資を迫ってきました。「開業資金の千三百万円を融資します。使ってください」との勧誘。父親にも勧められ、悩みぬいた末に、一九八五年に独立し、開業しました。
開業後、好景気は続きませんでした。営業難と背負った負債。大手都市銀行は父親とSさんに「追い貸しはできない。貸したものは早く返せ」と迫りました。借金返済のために高利で貸し付ける商工ローンにも手を出しました。母親は離婚届に印を押して家を出ました。
八九年、担保になっていた自宅は競売にかけられました。Sさんは話します。
「生まれ育った自宅を手放さざるをえなくなりました。親子関係はぼろぼろになり、親をも恨みました」「借りた方だけが悪いのでしょうか」
東京都内で部品製造業を営むHさん(30)。両親と暮らしています。
今年一月に裁判所から競売開始の通知が届いてから、「あと何回、うちで風呂に入れるだろう、トイレを使えるだろう」と考えるといいます。精神安定剤を酒と一緒に飲んだこともありました。「このまま目がさめなければいいと思った」
Hさんの自宅兼工場が競売の対象とされたきっかけは、取引先銀行の倒産(九九年)でした。銀行の倒産によって、父親が資金繰りのために抱えた債務二千三百万円は、不良債権として整理回収機構(RCC)に回されました。
不況による営業難。しかし、返済額が不足したことはあるものの、毎月返済を続けてきました。「自宅を失うと仕事もできない。払わないといっているわけではないんです。なのに、競売にかけるなんて」とHさん。「回収担当者から『家を持てる身分か。商売やめて働け』と平気で言われました」と憤りました。
「マイホームを手放すということは、家族が崩壊するということです。店舗まで手放すということは『死ね』といわれるのと同様です」とNさん(70)=縫製・プレス業=も語ります。
三年前に職場をリストラされたフリージャーナリストのMさん(59)は「六十五歳まで働けると思っていました」と語ります。三年前に購入した自宅の住宅ローン返済が滞り、大手都市銀行・信用保証会社は一括返済を迫ってきました。そして、競売開始通知を二〇〇二年十月(昨年三月に取り下げ)と昨年八月に受けます。昨年七月、自宅から出火する不幸にみまわれました。
「信用保証会社は、火災保険さえ差し押さえ、火災家屋の修理費用さえ取り上げました。電気、ガス、水道も止められました」「憲法で保障された人権が守られているでしょうか」と語ります。
バブル期の銀行による過剰融資、その後の長期不況による営業困難が、中小業者に襲いかかります。小泉内閣による「不良債権処理」政策のもとで、強引ともいえる銀行の貸し渋り、貸しはがしが横行しています。
競売被害者を支援する東京・玉川民主商工会の海老名正一事務局長は「大銀行を優遇し、リストラを応援する自民党政治が、中小業者や労働者に犠牲を強いています。マイホームを手放す人の状況というのは、その一つのあらわれです」と指摘します。
Mさんも「不良債権処理の口実で、私たちの税金がつぎ込まれた銀行が国民を犠牲にしています。小泉首相は『構造改革』の名のもとで『多少の痛みを我慢せよ』と言うが、痛みを押しつけられるのはいつも国民です。しかも、これが『多少の痛み』でしょうか」と話しました。
競売 不動産競売とは、地方裁判所が、借金を返済することができなくなった人の所有する不動産を差し押さえて、入札方式で売却し、その代金を借金の返済にあてる手続きのことです。
競売件数は、年々増加する傾向にあり、六万八千件台(二〇〇二年)にまで達しました。その傾向を見ると、倒産件数や完全失業率の増加と比例するように増加していることが分かります。