2004年3月17日(水)「しんぶん赤旗」
学資保険を理由に生活保護費を減額した行政側の違法が確定した最高裁判決を受け、原告姉妹の一人、入口明子さん(31)は十六日、午後から仕事を休んで急きょ記者会見にのぞみました。 「高校進学のための蓄えをすることは生活保護法の趣旨に反しない」との司法判断が確定するまで、提訴から十二年四カ月。
提訴したとき、明子さんは十八歳で高校を卒業したばかり、妹は十四歳でまだ中学生でした。母はその年の三月に亡くなり、父も裁判途中で後を追うように死亡しました。
「中学の修学旅行もいけなかったので、せめて子どもだけは高校にいかせてやりたいと、やりくりし月々三千円を蓄えたのに悔しくてたまらない」との思いで立ち上がった父母の遺志を継いできました。
いまでは結婚し、四歳の娘がいる明子さん。妹も知らせを聞いて「よかった」と話したと、少ない言葉の中に喜びが詰まっています。
この間、生活と健康を守る会など多くの人々に支えられてきました。
体験したさまざまな苦労も表に出さず、「長い間、自分の人生に勉強になったかな」と語ります。
「母がいないのでその分私ががんばっていけたらなと思ってやってきた」。両親思い、妹思いで苦労したことがにじみます。
記者会見後、緊張が解けたのか、「私が制度を変えたいなー、できる限りがんばってやろうと思った。両親の分もがんばってやるぞと…」と振り返りました。しんの強さと、同じような生活保護家庭とその子どもたちへの思いがにじみます。
「私もきちんと子育てをしていこうと思っているので、みなさんにもがんばってもらいたい」。生存権確立と教育権確立のたたかいの歴史に刻まれたこの日、明子さんが全国の生活保護世帯へおくった言葉もあくまで控えめ。けなげに生きる姿は十二年たっても変わっていませんでした。
学資保険訴訟の最高裁判決を受け、原告側代理人の新井章弁護士らが十六日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し「ほぼ百パーセント原告側の主張を認めた判決」と高く評価しました。
新井弁護士は「生活保護のお金から学資保険の掛け金を払うことだけでなく、返戻金を受けることも問題ないと明快に判断してくれた」と意義を強調しました。
さらに「約十年前の秋田地裁判決が、生活保護世帯の老後の蓄えを認めた後も、厚生労働省は貯金を認めない運用を続けた。今回の判決は、人間らしいお金の使い方を認めており、後から官僚的解釈が入り込む余地もない」と述べ、行政側の方針転換を迫りました。
支援活動を続けてきた全国生活と健康を守る会の島田務会長の話 憲法判断が問われる最高裁が、生活保護受給者に自らの生き方や生活を自己決定する権利があり、支給された保護費の使途は原則自由であるとの判断を下したことは、画期的だといえます。
小泉内閣は「構造改革」による医療改悪などの国民負担増路線にとどまらず、今年度から所得保障制度始まって以来、消費者物価下落を理由にした年金給付などの一律カットをおこないました。
さらに来年度予算案には、生活保護の老齢加算の段階的廃止を盛り込み、実質15%の給付カットを含む年金大改悪案を今国会で成立させようとしています。これらは所得保障基準を切り下げ、生活権的生存権を踏みにじるものです。
判決は事実上、高校教育を生活保護基準の中身として認めたものといえます。これは憲法二五条が定めた「健康で文化的な最低限度の生活」水準とは何かを最高裁があらためて提起したことを意味し、新たな「小泉改革」攻撃に歯止めをかける生存権保障運動に、大きな力になるものです。
日本共産党福岡市議団は十六日、声明を発表し、「福岡市の冷酷な保護行政が厳しく断罪されたもの」と指摘。「子どもの貯金やアルバイト料まで収入認定して向学心や将来の夢を傷つけるような指導をやめるなど、生活保護世帯に対する対応を根本的に改めるべきです」と求めました。
全国生活と健康を守る会など民主団体と労組でつくる「学資保険裁判を支援する会」は、島田務全生連会長らが判決を受けた十六日午後、厚生労働省を訪ね(1)減額処分した生活保護費をただちに支払う(2)生活保護行政として生活保護による学資保険の活用を認めるよう徹底する(3)生活保護の教育扶助を高校教育にも適用する―ことを求め、申し入れしました。