2004年4月7日(水)「しんぶん赤旗」
【カイロ=岡崎衆史】イラク駐留米軍は五日から六日にかけ、首都バグダッドや同市西方のファルージャで戦車、武装ヘリを投入し、イスラム教シーア派、スンニ派双方の占領抵抗勢力に対して大規模な攻撃を開始しました。カタールの衛星テレビ・アルジャジーラが五日、目撃者の話として伝えたところによると、米軍はファルージャで二百以上の子爆弾をまきちらし周囲の人を無差別に殺傷するクラスター(集束)爆弾も使用するなど、戦闘は拡大する様相です。
米国のイラク占領機関、連合国暫定当局(CPA)のブレマー行政官は五日、米国と戦闘を続けるシーア派指導者のサドル師を「無法者」と呼び、CPAは同師に逮捕状を出したことを発表。中部のクーファのモスク(イスラム教礼拝所)に立てこもりの構えをみせていたサドル師は六日、これ以上の流血を避けるためにナジャフに向かうと言明しました。
バグダッドでは、シーア派地域の北東部サドルシティーと西部のショーラ地区でサドル師支持の民兵と米軍が交戦。現地からの報道によると、米軍は六日朝、サドルシティーで一時民兵に占拠されていたすべての警察署を制圧したもようです。同地区の病院関係者によると、過去四十八時間に三十九人が死亡したといいます。一方、バグダッド市内北部で五日と六日、米兵三人が攻撃を受け死亡しました。
スンニ派が多数を占めるファルージャでは、米海兵隊員約千三百人などが五日、戦車や装甲車で町を封鎖し、抵抗勢力への掃討作戦を始め、戦闘は六日さらに激化しています。アルジャジーラによると、武装ヘリやクラスター爆弾を使用した米軍の攻撃で五日、イラク人六人以上が死亡。駐留米軍によると、ファルージャがあるアンバル州で五日、米海兵隊員四人が死亡しました。
一方、南部ナシリヤでは六日朝、サドル師支持者と駐留するイタリア軍の間で銃撃戦が起き、報道によると、イラク人十五人が死亡しました。
ナシリヤは自衛隊が駐屯するサマワから南東約百キロです。
クラスター(集束)爆弾 親爆弾の中に多数の子爆弾を詰めた爆弾で、空中で親爆弾から子爆弾を散布、広範囲の目標を破壊することを目的にします。ベトナム戦争や湾岸戦争、ユーゴスラビア空爆、アフガニスタン戦争、イラク戦争で使用されました。イラクでも不発で残った子爆弾に子どもらが触れて死傷する被害も多く出ています。国連人権小委員会が一九九六年に採択した残虐兵器禁止決議にはクラスター爆弾も含まれています。