2004年4月11日(日)「しんぶん赤旗」
午後六時四十一分、東京・紀尾井町の赤坂プリンスホテル着。同ホテル内の宴会場で安倍晋三自民党幹事長、報道各社論説委員らと会食。午後八時四十分、赤坂プリンスホテル発、同五十八分、公邸着――。
イラクでの日本人人質事件が明らかになった八日夜の小泉純一郎首相の動きです。小泉首相は、人質事件の第一報をいつ知り、どういう行動をとったのか。
カタールの衛星テレビ・アルジャジーラから外務省に人質事件の情報が入ったのが同日午後六時二十分。川口順子外相は、この第一報を首相に伝えたのは「六時四十五分くらいだと思う」と記者会見(八日午後十一時すぎ)で述べています。午後七時には首相官邸に対策本部も設置されました。小泉首相は、人質事件を知りながら、報道各社の論説委員らと二時間も会食していたことになります。首相は、その夜、対策本部がおかれた首相官邸に寄らず帰宅しました。
そのときの小泉首相の様子について「毎日」十日付は「ふだんと変わりなく、冗舌で上機嫌だった」「顔色一つ変えずビールとワインを飲み、ステーキを平らげた」「熱弁を振るう首相のかたわらで安倍幹事長の携帯電話がしきりに鳴り、安倍氏は何度も席をはずした。『そろそろ』と安倍氏に促されてお開きになったのが8時半ごろ」と報じています。
九日、人質で拘束された三人の家族は政府に対応を求めようと面会を求めましたが、小泉首相は福田康夫官房長官に対策本部長をまかせていることなどを理由に会いませんでした。事件の事実関係さえ確認していないとしているのに、自衛隊撤退についても「ありません」と明言。自衛隊派兵を強行した自らの責任を問われても「私自身の問題ではない」と述べました。
国会で日本共産党など野党は「政府は三人の救出のために万全を尽くす必要がある」として九日に予定されていた衆院本会議と、小泉首相の出席が予定されていた委員会を延期するよう提案しました。イラクでの人質事件こそ、政府から報告を受け質疑すべきだというのが日本共産党の立場です。
与党側は「こういうときだからこそ、あたふたしてはいけない」などと述べ、イラク人質事件をそっちのけに年金改悪や道路公団民営化問題などを延々と審議。家族の要請に久間章生幹事長代理は「政治の世界は非情なものだ」といいました。