日本共産党

2004年4月13日(火)「しんぶん赤旗」

訴訟の勝利を求めて

厚労省前 被爆者が終日行動


 東京・町田市の被爆者、東(あずま)数男さん(75)の肝炎を原爆症と認定した東京地裁判決の控訴を断念させ、原爆症認定を求める集団訴訟を勝利させようと十二日、被爆者や支援者が厚生労働省前での行動や東京地裁の裁判傍聴など終日行動しました。

 厚労省前では午前十一時半から二時間、集団訴訟を支援する青年グループや弁護士、労働組合や女性団体の支援者たちとともに、全国から集まった被爆者六十人が「国は控訴するな」のプラカードや横断幕を持ち、東原爆裁判の控訴をするなと座り込みました。熊本や千葉、神奈川の被爆者らが次々とマイクを握り、訴えました。

 東京地裁では、集団訴訟の第五回口頭弁論がおこなわれました。荒馬座の太鼓に見送られながら、原告団を先頭に東京地裁に入廷。山本英典さんと平井園子さんの二人の原告が陳述しました。平井さんは、被爆直後、野戦病院で麻酔なしの手術を受けたことをのべ、「気を失うほどのこの痛さが想像できますか」と涙を浮かべながら法廷でのべ、二〇〇一年にがんの手術を受けたあと、健康管理手当をうち切られたことを証言しました。

 閉廷後、「集団訴訟提訴一周年のつどい」が東京おりづるネットの主催で開かれ、百二十人が参加しました。集団訴訟全国弁護団の池田眞規団長は、イラクでの人質事件でも被爆行政でも日本政府に共通しているのは、命を大事にせず、アメリカを大事にするということと指摘。集団訴訟は、原爆被害の実相を世界に知らせ、日本と世界を変えていく壮大なたたかいと協調しました。「夢千代日記」で有名な早坂暁さんらが激励のあいさつをしました。

 この日、東京では港区の新田朗さん=被爆当時十三歳=、八王子市の早田シマ子さん=被爆当時二十歳=の二人が新たに原爆症の認定を求めて提訴。集団提訴の東京の原告団は、二十八人となりました。


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