2004年4月21日(水)「しんぶん赤旗」
イラクでの日本人人質事件の被害者にたいし、政府や与党幹部などが、「自己責任」を果たせと批判の矛先を向けています。米英の侵略戦争を支持し、米国のいうがまま自衛隊派兵を強行した政府の責任を棚上げし、被害者に懲罰的な費用負担まで迫る言動です。これに内外から批判の声があがっています。識者の声を紹介します。
千葉 眞さん |
自己責任を一方的に強調する最近の議論は、今回の人質事件を通じて国民による政府批判や平和的世論が高まることを恐れる勢力によって仕組まれた議論という一面があります。
人質となった人々の「自己責任」の問題については、リベラル・デモクラシーの社会における個人の自由な活動に対する各人の責任として、これは認めなければなりません。実際、イラクで人質となった人々は、危険、ある意味では「死」をも覚悟でイラクへ行ったという面があるでしょう。
しかし、同時に考えるべきは、個人の「生命に対する権利」です。「一人の生命は地球より重い」、そういう考え方で日本国憲法も、一三条で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を保障しています。また、憲法前文は日本国民および全世界の人々の「平和的生存権」を保障しています。こうした規定に基づき政府は、国民の生命が危険にさらされた場合、その生命を保護する重大な責務を負います。
したがってこの問題は、「自己責任」と「生命権」との緊張関係の中で考える必要があります。
今回の人質事件のような具体的状況では政府は人質の救出に全力を尽くすべきです。「自己責任」は否定できませんが、それが政府による国民の「生命尊重」の義務をなくすものではないはずです。「生命尊重」に触れずに、一方的に「自己責任」だけを取り出すのはおかしな議論です。
今回の人質事件の背景には何があるのか。日本政府による自衛隊のイラク派兵があります。これは違憲の疑いの極めて強いもので、与党内や保守的な人々からも違憲だという声が出ています。
他方、イラクでのいくつかのNGO(非政府組織)の人道支援活動は自衛隊が行く前から続けられてきたものです。それが、日本政府による自衛隊派兵で、イラクの人々が占領軍に加担するものとして日本人を敵視するようになり、日本人が選択的に狙われるという状況が生まれたわけです。
こうした状況も考慮に入れるならば、人質に取られた人々の生命と安全を保障する責務は、より重く政府にのしかかっていたといえます。
しかし、政府は「自衛隊の撤退はしない」ということだけは言いつづけましたが、人命救出のための活動では、果たしてどれだけのことをやったといえるのでしょうか。
今回の人質事件の解決には、日本国内外での人道支援のNGOや平和運動団体や一般の人たちの支援活動が大きな役割を果たしました。十万単位のおびただしい数のメールが日本からイラクへ送られたともいわれています。こうした呼びかけに応える動きがイラク国内でおこりました。
いま政府筋が人質の「自己責任」を一方的に強調するのは、政府自身による自衛隊派兵によってイラク国民と日本国民との関係を悪化させた責任と、人質事件への政府の対応への国民の疑問を、すりかえ、カムフラージュし、責任転嫁するための議論と言われても致し方ない一面があります。
人質となった人々はまるで戦前の「非国民」のような扱いを政府筋や巨大メディアによって受けています。「自己責任」を果たすべき部分、不注意な部分について、彼らにも非があるでしょう。しかし、それだからといって、彼らの活動の意義を全否定するような議論はまったくおかしいと思います。彼らのような人たちが、世界平和を積極的に創造し寄与していく将来の日本をつくっていくわけですから。
今回の事件が示した最大の教訓は、このまま自衛隊がイラクにとどまれば、日本人殺害や自衛隊員への攻撃を誘発しかねないという危険性です。日本国民とイラク国民の「平和的生存権」を尊重するという意味で、政府は一刻も早く戦闘状態のイラクから自衛隊を撤退させるべきです。
ちば・しん 国際基督教大学教養学部教授。政治思想。「地球平和公共ネットワーク」発起人の一人で、平和問題に研究、運動の両面で積極的に取り組む |
相澤 恭行さん |
イラクで活動してきたNGO(非政府組織)やNPO(非営利団体)は自分の責任を自覚して活動してきました。危険に巻き込まれないよう自覚して活動しないと、生命が危ないし、十分注意する必要があります。
しかし、「自己責任」というとき、もっとも自覚してほしいのは政府の責任です。日本のNGOの活動を危険にした最大の原因は、政府の自衛隊派兵だからです。
人道復興支援は、軍と距離を置く中立的立場でおこなうから受け入れられます。政府がアメリカなどの軍事占領に協力し、憲法に違反して自衛隊を派兵したことで、NGOのスタッフまで人質になる状況をつくったのです。
NGOの活動を危険にする原因をつくった政府が、きめ細かい支援をしているNGOや個人ボランティアにむかって、「自己責任」といって責任転嫁するのはとんでもない。みずからの責任をごまかすものです。
私は、イラク戦争に協力してしまった日本政府の国民としての共同責任を感じて、イラク国民支援の活動を続けてきました。
NGOがとりくんでいる支援活動は、規模は小さいけど、教科書や学用品を届けたり、後回しにされている抗がん剤を届けることなど、とり残されていた事業です。イラクの人たちにとって欠かすことができません。人命にかかわるような重要な責任を果たしています。だから、イラクの市民との信頼関係が生まれ、市民同士の交流・連帯が強まり、長い目で見れば、かけがえのない財産にもなっているんです。
「自己責任」の名でNGOを非難するのは、政府以外の活動をやめさせ、自衛隊撤退を求める声をつぶそうとするものだと思います。
あいざわ・やすゆき 宮城県出身。一九七一年生まれ。イラク国際市民調査団に参加し、イラク医療支援などにとりくむNPO法人ピースオンを設立する |
イラクの武装勢力による日本人人質事件をめぐり、日本政府と一部マスメディアが「自己責任」を追及していることについて、フランスとドイツの有力紙がこれを批判する論評、記事を掲載しています。
仏紙ルモンド |
二十日付の仏紙ルモンドは東京特派員フィリップ・ポンス氏署名の「日本では、人質たちは自分たちの解放の費用を支払わなければならない」と題する論評を掲載しました。
論評は、解放された一人がイラクに戻って人道的活動を続けたいと語ったことに、小泉首相が「人が彼らの解放のために寝食を忘れて働いたというのに、どうしてそんなことが言えるのか」と反応した言葉や、他の閣僚による解放の費用を支払わせるべきだという発言を紹介したあと、次のようにのべています。
「人道的価値に熱意を持った若者を誇っていいし、彼らの純真さと無鉄砲さはこの国の必ずしもいつも良いとはいえないイメージ(死刑制度や難民認定の制限)を高めるものでしかないのに、日本の政治指導者たちと保守派マスコミは、解放された人質の『無責任さ』を勝手放題にこき下ろしている」
続けて記事はこう締めくくっています。
「彼ら(人質)が励ましの言葉を受けたのは、コリン・パウエル米国務長官からであった。彼は『危険を冒そうとする人がいなければ、けっして進歩はない』とテレビで語ったのである」
イラクの今日の泥沼化、ひいては武装勢力による人質作戦を招くに至った米国の政策決定に責任を負うべき人物の言葉を、小泉首相らの発言と対照させているのは、日本の政権担当者らに対する最大限の皮肉といえます。(パリ=浅田信幸)
南ドイツ新聞 |
十五日付の南ドイツ新聞は「日本人人質家族に口かせ」と題する東京発の記事を掲載しました。
記事は、「だれがどのように彼らを黙らせてしまったのだろうか? 彼らはその理由を語ろうとしないが、イラクで誘拐された日本人の家族たちは、日本政府にたいする批判にことが及ぶと、突然、口を閉ざしてしまうのだ。わずか三日前には家族たちは声高に日本の部隊のイラクからの撤退を要求していたのである」と述べています。
同記事は、家族は十四日の記者会見で急に黙り込み、「小泉政権の人質対策に満足しているか」「政府の役人から批判を抑えろといわれたのか」「なお、自衛隊の撤退を求めるのか」との質問にも、「ノーコメント」を繰り返すばかりだったと報道。さらに「確証はないのだが、家族の委縮ぶりは見逃せないほどのものだった」として、「政府の役人が人質の家族にマスコミとの対応について助言したのではなかろうかと東京の政界観測筋は疑っている」と報じました。
(ベルリン=片岡正明)