2004年4月22日(木)「しんぶん赤旗」
「人道的価値に熱意を持った若者を誇っていいし、彼らの純真さと無鉄砲さはこの国の必ずしもいつも良いとはいえないイメージを高めるものでしかないのに、日本の政治指導者たちと保守派マスコミは、解放された人質の『無責任さ』を勝手放題にこき下ろしている」
フランスの新聞ルモンド(二十日付)の論評は、人質問題を機に政府・与党などが持ち出している「自己責任」論の異常さを、きびしい批判の目で評しています。
事実上の戦争状態にあるイラクで武装勢力にとらわれた日本人の行動に、なんの問題もなかったとはいえないかもしれない。しかし、その被害者がまだ救出されてもいないうちから「自業自得」と非難し、救出費用を払わせろなどと追い詰める、そんな主張に、人間らしさや思いやりが感じられないのは明白です。
イラクで日本人を含む人質事件が続出しているのは、米英の不当な占領支配に批判が広がり、それを支援する日本の自衛隊派兵にも反発が高まっているためです。政府の行為そのものが、国民の安全を脅かしているのです。日本人を救出する政府の責任も果たさず、「自己責任」論を持ち出し、被害者やその家族を追い詰めるなどというのは、まったく異常な、政府の責任を免罪するための議論というほかありません。
見過ごせないのは、内外からもあいついで批判の声が上がっている異常な「自己責任」論に、一部の保守派メディアが同調してきたことです。被害者のプライバシーを攻撃の材料とした一部週刊誌は異様極まるものでしたが、全国紙の態度も見識が問われるものがあります。
「読売」は十六日付や十九日付の社説でこの問題をとりあげ、「政府の『退避勧告』という制止を振り切って、危険を覚悟で出かける以上、万が一の時には政府が助けてくれる、と安易に考えるべきではない。政府が『自己責任の原則』の自覚を求めているのは当然のことである」(十六日付)としました。
「産経」は十六日付主張で「三人の行動は外務省の再三の退避勧告を無視したものであれば、本来自己責任が問われるべきだが、政府や社会に迷惑をかけたことへ陳謝の言葉も最初はほとんど聞かれなかった」と、人質となった三人の家族に攻撃を向けました。
「読売」や「産経」は、政府・与党の異常な「自己責任」論が被害者や家族を追い詰め、苦しめていることをどう考えるのか。政府のいうことはなんでも支持なのか。
「読売」は十九日付紙面で、アンマンに派遣された外務副大臣の旅費や宿泊代を含め、救出費用の試算までして見せました。まさに「勝手放題」の、悪乗りというほかありません。
これにくらべ二十一日付「朝日」社説は、「自己責任 私たちはこう考える」と題し、「与党内を中心に声高に語られている過剰な『自己責任』論には、首を縦に振るわけにはいかない」としています。ごく常識的な、当然の主張といえるでしょう。
「朝日」は、「外国にいる自国民の保護は、どこの民主主義国でも政府の責務である」といいます。同感です。さらに一歩踏みこんで、イラクで日本人の安全が脅かされるのはなぜか、その根本原因を取り除くことを、論じてほしいものです。
昨日付の本紙でNGO活動を進める相澤恭行さんは「『自己責任』というとき、もっとも自覚してほしいのは政府の責任」「日本のNGOの活動を危険にした最大の原因は、政府の自衛隊派兵」と指摘します。
人道支援や取材活動が安全におこなえるためにも、米英の占領をやめさせ自衛隊を撤退させるべきだとの主張は説得力を持つものです。
政府・与党の異常な「自己責任」論の背後には、被害者や家族が自衛隊の派兵を批判し、人質の解放につながるなら自衛隊の撤退も選択肢にともとめたことへの敵意が透けて見えます。自衛隊に任せておけばいいとあからさまに主張した、「政府御用」の評論家もいました。
そうであればなおのこと、自衛隊派兵を続けることの是非を正面から問い、国民に判断を求めることこそ、いまマスメディアに求められる責務なのではないでしょうか。
(宮坂一男)