2004年5月4日(火)「しんぶん赤旗」
今年三月、相次いで生存権にかかわる重要な判決が出ました。
一つは三月十六日、福岡学資保険裁判での最高裁判決。生活保護を受けている家庭でこつこつとためた学資保険の満期金を、福岡市が「収入」と認定して、保護費の支給を半年にわたり半分に減額した処分を、最高裁は取り消しました。
もう一つは、三月二十四日の学生無年金障害者違憲訴訟での東京地裁判決。障害を負った学生の国民年金保険料未納を理由に障害基礎年金を不支給にしたことが、法の下の平等(憲法一四条)に反するとされました。
二つの裁判はなにを示したのか。
「お母さんはお金がなくて中学の修学旅行にも行けなかったの。友だちがお土産を買ってきてくれたの」
学資保険裁判の原告の入口(旧姓中嶋)明子さん(31)の母、紀子さんが生前語っていた言葉です。
そんな思いを自分の子どもに味わわさせたくない。紀子さんは生活保護を受けながら、一月三千円、十四年間こつこつとお金をためました。
福祉事務所は保険の満期が来たとき、そのお金を取り上げるに等しい保護費の減額処分を決定。二女知子さんの高校進学が間近でした。
紀子さんは健康にも不安を抱えていました。貧血、神経性胃炎、慢性気管支炎などの持病…。明子さんは「母は二階に上がる力もなかった」といいます。夫の豊治さんも交通事故の後遺症や糖尿病などに苦しみ、入退院を繰り返していました。
憲法も法律もよくは知らない。それでも「十四年間の苦しいやりくりでためてきたお金を取り上げられたことはどうしても悔しい。そのお金だけは返してほしい」――。その思いで、紀子さんが、「福岡東・生活と健康を守る会」(生健会)に相談し、両親と明子さんが原告となってはじめた裁判でした。
その両親が明子さんの高校卒業後相次いで亡くなりました。明子さんはほとんど一人で裁判を引き継ぎ、亡き母ののこした言葉を胸にたたみ法廷に立ちつづけました。親類からも「勝てるわけない」、「恥ずかしいからやめろ」といわれ続けました。妹の知子さんも学費が続かなくなり、高校中退を余儀なくさせられました。裁判をやめてしまおうかと何度も悩んだといいます。
そんななか、「生健会の人たちは、小さな法廷だったけれども、傍聴席をいつもいっぱいにしてくれた。うれしかった」「これは自分だけのことではない。重大な問題だ――」。そう考えるようになったと明子さんは言葉少なに語ります。
弁護団の深堀寿美弁護士はいいます。
「あまりにひどい生活保護行政の実態を告発し改めさせた。その限りでは生存権のありようを改善するものであることは確かです」
福岡高裁は一九九八年十月九日、判決を下しました。「憲法二五条の生存権保障の目的である人間の尊厳にふさわしい生活を送るためには、被保護者が自らの生き方や生活を自ら決定する必要があり…いったん支給された保護費の使途は原則として自由でなければならない」。保険金を収入と見て保護費を減額した処分を違法としたのです。そして上告した福祉事務所と厚生労働省の言い分を最高裁判所(第三小法廷)は全員一致の判断で退けました。
深堀弁護士は「(判決が)高校進学のための学資保険料の支払いは生活保護法の目的にかなっているとしたことからすると、高校進学までの教育扶助まで進む弾みにはなりえます。その意味で憲法の内容を充実させる意味があると思う」といいます。
提訴から十三年におよぶたたかいでした。 中祖寅一記者
(つづく)