2004年5月5日(水)「しんぶん赤旗」
東京・青梅市内ではり・灸院を営む福島敏彦さん(39)は、学生無年金障害者違憲訴訟原告団の一人です。大学三年、二十歳十カ月のとき、交通事故で失明してから一級障害です。
しかし、二十歳になって以降、十カ月間の年金の保険料を支払っていなかったということで障害基礎年金の支給を受けられませんでした。
「本来であれば、障害基礎年金を受けられる立場のはず。成人前に障害を負うと保障がある。ところが、当時学生で年金に加入していなかったという理由で障害基礎年金をもらえない。同じ障害者でありながら、経済的な面でまったく保障がないということはおかしい」。福島さんはどうしても納得できませんでした。
福島さんは事故以来、障害基礎年金を受けられない一方、年金保険料を全額払い続けています。そこにも大きな矛盾を感じています。
「当時、学生の年金加入は任意でした。98%の学生が年金に入っていなかったのだから、制度自体が機能していたといえるのか」
この疑問に国は「あなたが年金を払わないから悪い。広報活動もしていた。国は悪くない」の一点張りだったといいます。
三月二十四日、東京地裁判決――。年金未加入の障害者と、成人前に障害を負った人との格差は法の下の平等(憲法一四条)に反し、その格差を放置したことは立法の不作為だとしたのです。年金を受け取れない障害者にとっては生存権そのものが脅かされる制度の欠陥が明確に指摘されました。
敏彦さんを支え、二人の子どもを育てる妻の美江子さん(42)。家事と敏彦さんの介助でパートに出ることもできません。裁判を続けるかどうか、敏彦さんとともに悩み“激論”しながらの毎日です。
「そもそも先進国では障害福祉年金はみんな無拠出(掛け金なしに税金でまかなう)だともいう。文化国家と言いながら、それぐらい支えられない日本なのか。障害者には生存する権利はないのかと言いたい」。二人の共通した思いです。
提訴からほぼ三年。違憲判決に厚生労働省は原告の声を無視して控訴しました。たたかいは続きます。(つづく)
戦後の社会保障をめぐる裁判・権利闘争に長く取り組み、学資保険裁判、学生無年金障害者違憲裁判で中心的役割を果たしてきた新井章弁護士に聞きました。
戦後の社会保障をめぐる裁判で、最高裁は、社会保障政策に関する国会や役所の裁量権を幅広く認め、よほどひどい立法等をしない限り、裁判所が国会や役所を批判することはないという立場を固めて、国民の裁判闘争を封じ込めるような役割を果たしてきました。
いま、二十一世紀を迎える中で今度のような訴訟が相次いで起こり、有意義な判決が出されたことは、これまでの裁判所の保守的な行政追随姿勢にもかかわらず、国民の側に、生存権を権利として主張するエネルギーが依然として根強くあることを示しました。原告の方々の驚くべき勇気と信念にまずは注目し、学びたいと思います。
こうしたたたかいの背景には、八〇年代初頭の第二臨調答申以降、福祉の切り捨てという形で進められてきた、過酷な生存権縮小の攻撃にたいする国民の怒りがあります。
日本の憲法の大きな特徴は九条の徹底した平和主義とともに、生存権という極めて現代的な人権を明確に認め、国にその保障の責務があることを明示した点にあります。平和とか、自由とかの基本的価値をさらに現実的な生活の基盤から支えるような根源的価値を持ち、うわべでなく実際に一人ひとりの国民に人間らしい生活を保障しようとするもの、それが憲法二五条です。その重みを政府や裁判所はもちろん私たち国民もよく受けとめる必要があると思います。
生存権の規定は、いま取り組まれている社会保障裁判闘争や、小泉内閣の「構造改革」に抵抗する政治闘争を、思想的に支える大きさ・深さを持つものであり、そこに目を向けることが重要です。