2004年5月8日(土)「しんぶん赤旗」
福田康夫官房長官は七日の記者会見で、みずからの国民年金保険料未納問題で「発表までの対応の仕方に不手際があった。政治不信を増幅した」とのべ、「けじめをつける意味で職を辞したい」と辞任を表明しました。後任には細田博之官房副長官が昇格し、細田氏の後任の官房副長官には杉浦正健・元外務副大臣が就任しました。
福田官房長官は四月二十三日の記者会見で、みずからの保険料について「六十歳当時は納めていた」とのべ、それ以前については個人情報だとして公表を拒否。衆院厚生労働委員会で政府の年金改悪案が与党単独で強行採決された後の二十八日の記者会見で、国会議員在任中の三年一カ月間が未納だったことを認めました。
その際、「もう少し国会運営の状況を見るべきだと(与党側から)指示があった」とのべ、年金改悪法案の採決が終わるまで未納の事実を隠していたことを明らかにしていました。国会議員在職以前の未納についても週刊誌が報じました。
また福田氏は、閣僚らの国民年金保険料未納問題をめぐり「個人情報そのものだ」として、政府としてまとめて公表することを拒否し、個々の対応にゆだねていました。
福田長官は森内閣の二〇〇〇年十月、右翼との交際疑惑で辞任した中川秀直氏の後任に起用されました。〇一年四月発足の小泉内閣でも続投し、有事関連法やイラク特措法などを推進。四月七日には官房長官として歴代最長の在任期間となっていました。
日本共産党の市田忠義書記局長は七日午後の記者会見で、福田康夫官房長官の辞任について、「国民生活、くらしに重大なかかわりをもつ年金改悪法案の提出者である閣僚十七人のうち七人が国民年金の未納期間があることが明らかになった。福田氏はそのうちの一人であり、官房長官は内閣のかなめ役でもあり、責任をとって辞任したのは当然のことだ」とのべました。