2004年5月18日(火)「しんぶん赤旗」
バグダッド近郊のアブグレイブ収容所でのイラク人拷問・虐待の発覚を機に、無法なイラク戦争を強行したブッシュ大統領の支持率は最低記録を塗り替えています。十一月の大統領選を前に、二大政党制下の対抗政党・民主党の大統領候補をほぼ確実にしているケリー上院議員にとっては好機のはずです。しかし、すべての世論調査でブッシュ氏を抜き去る状況にはなっていません。それは、ケリー氏のイラク問題への対応とも関係がありそうです。
ケリー氏は二〇〇二年十一月、イラク戦争支持の議会決議に賛成しました。〇三年三月、イラク戦争が強行されました。
その後、大統領候補を選ぶ予備選が近づくと、ディーン、クシニチ両氏らイラク戦争に反対した候補からの批判にあい、「ブッシュ政権の単独行動主義」批判を前面に押し出しました。〇三年十一月のイラク駐留・復興補正予算には反対に転じました。
三月の予備選のヤマ場を乗り切ったケリー陣営は、経済など国内課題を重点に遊説を進めようとしてきました。しかし、イラクで戦闘の泥沼化が深まり、「大統領だったらどうするか」とメディアからの追及が相次ぎました。
これに対しケリー氏は「誤っているのは大統領の戦争の進め方だ」「驚くほど非効率的だ」「私は軍歴でも外交歴でも現在のブッシュ大統領以上に経験を積んでいる」と、自らのベトナム従軍の経験と上院外交委員を長年務めた経歴の違いを対置しました。
さらに、イラク国民の反米機運がいっそう高まる中で、三月末にイラク中部ファルージャで米国人が殺害され遺体がさらしものにされる事件が起きると、「米軍の増派」を主張するようになりました。
四月七日には「六月末の主権移譲」はブッシュ大統領の「選挙目当て」のもので、「虚構であり、独断的な期限は設けるべきでない」と発言。同十四日には「イラクの安定が米軍撤退の前提条件」であり「最後までやりぬく」と、長期占領さえ示唆しました。
ベトナム戦争からの帰還後、一時はこの戦争の「残虐性」を指摘し「ジュネーブ条約その他の戦争法規に反する行為」を告発した自らの過去についても、「度を越した発言」で不適切だったと修正しています。
ブッシュ大統領の「主要戦闘終結宣言」(昨年五月一日)一周年を前にした四月三十日、ケリー氏は「単独行動主義」に対置してイラクの「運営の国際化」を主題に演説しました。その主な柱は▽国連と連携を強化しブラヒミ国連事務総長特別顧問の構想・役割を重視する▽北大西洋条約機構(NATO)にイラクの治安を担わせる▽大規模な訓練でイラク人の治安部隊を築く―ことでした。
これについては共和党側から「現政権が試みていることの繰り返しにすぎない」と皮肉られています。
メディアも、イラク政策で同氏と「大統領との違いは狭まっている」(ニューヨーク・タイムズ紙一日付)、「ほとんどの有権者はブッシュと違わないと見るだろう」(『タイム』誌三日号)と指摘しています。
ニューヨーク市立大学でのミーティング(四月十四日)では、ケリー氏に対し「あなたは『最後までやりぬく』と言ったが、米国がやっているのは病院やモスク(イスラム礼拝所)への爆撃であり、何百人もの民間人の殺害ではないか」「米国の撤退を望む」との声が上がっています。
居波保夫記者