2004年5月21日(金)「しんぶん赤旗」
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「イラク戦争への自衛隊の実態をみても、法案に未来はない」「参院で廃案に追い込もう」。有事関連七法案が衆院で採決強行された二十日、衆院議員面会所で緊急要請、参加した百五十人の怒りや決意が続きました。安保破棄中央実行委員会、有事法制は許さない!運動指針連絡センター、国民大運実行委員会、全労連の四団体がよびかけ。
全労連の熊谷金道議長は、憲法九条をじゅうりんする有事法案の採決に抗議し、「廃案に追い込むため、力をあわせよう」とよびかけました。
日本原水協の岸本直美事務局次長は「歴史に汚点を残した」と悔しさをにじませ、廃案への決意を表明しました。
安保中実委の西川征矢事務局長が行動提起。二十一日に東京・明治公園で開かれる大集会を成功させ、職場と地域で有事法制の危険性を伝えきる重要性を訴えました。
日本共産党を代表して穀田恵二国対委員長が国会情勢を報告。有事法案が、アメリカの戦争を自衛隊が支援し、国民を罰則付きで戦争にかりたてるなど危険な内容がいっそう明らかになっていると紹介。「廃案にむけてたたかう歴史的な日となるよう、ともにたたかいたい」とのべ、大きな拍手に包まれました。
有事関連法案が二十日、衆院本会議で通過したのは、九割賛成の“有事翼賛”とでもいうべき、自民、公明の与党と民主党の一体ぶりと談合がもたらしたものです。
与党と民主党は昨年の通常国会で「武力攻撃事態法」で「修正合意」し、一体となって有事法制づくりを推進してきました。その談合ぶりをいっそう際立たせたのが、今回の法案をめぐる「修正」の動きでした。
民主党がまず、「修正」案を提出。有事法制の枠組みそのものを変える大幅なものでした。ところが衆院有事法制特別委員会に出されたのは、日本共産党の反対を押し切り、自公民三党が一般質疑を一方的に打ち切ったあとの十四日。それが審議されたのは十九日午前のわずか一時間で、質問したのも日本共産党と社民党だけでした。
その裏で与党と民主党は委員会の外で別の共同「修正」案を協議。それを委員会に出してきたのは、すべての質疑が終わる十九日の終了直前。民主党の代表選出をめぐる党内の混乱が収まるのを待ってからという、党略優先の姿勢でした。
それをうけて民主党は、その日の午前に審議した自分たちの「修正」案をあっさり撤回。三党共同「修正」案はまともに審議されないままの採決という異常な事態になりました。
二十日の委員会採決も、三党が正規の理事会を開かずに決め、当日の朝になって理事会に持ち込んだもの。三党の都合を一方的に国会に押しつけるやり方が有事関連法案でも強行されたのです。
委員会での質疑も、重大な内容をもった法案であるにもかかわらず、与党はほとんど質疑に立たないままでした。民主党も「議論の入り口から反対しようとは考えていない」と審議の序盤で表明。最初から与党の土俵にのりました。
民主党の質問をみても、「防衛庁が巡航ミサイルでやられたら、第二防衛庁的なものがあるのか」「普通の財政では(戦費を)まかないきれない。普段から積み立てを考えるべきだ」「これまでの自主防災組織を再編、拡充する。訓練もやり、計画も立て、人の手当てもする」と、有事法制推進の立場から政府案の「不備」を指摘する声ばかりが目立ちました。
憲法の平和原則や基本的人権、地方自治を踏みにじり、国民の日常生活にも“軍事モード”を持ち込むという重大な法案であるにもかかわらず、公聴会はついに開かれませんでした。全国の地方自治体や国民の批判や危ぐする声も、参考人質疑で「十分な国民的議論」(日弁連)を求める声も無視して採決を強行した三党の責任が問われます。
衆院での短い審議を通じてもこれまでの戦争法の“制約”さえ取り払って米軍を全面支援する問題や、住民や自治体に重大な影響をもたらす空港・港湾の米軍優先使用など、数々の問題点が浮かび上がっています。会期末まで一カ月を切ったもとで国会成立をゴリ押しすることは、二重三重に許されません。
山崎伸治記者