2004年6月29日(火)「しんぶん赤旗」
イラクでの米英などの連合国暫定当局(CPA)から暫定政府への主権移譲が、当初、予定された三十日から二十八日に前倒しして強行されたのは、治安悪化のもとで主権移譲ができるかどうかが非常に危ぶまれていたためです。
首都バグダッドでは三十日、大規模な爆弾テロが再び起きるとの観測も流れていました。英紙フィナンシャル・タイムズ二十八日付は、「治安を意識し、(三十日の)主権移譲式典では、新しい国旗の掲揚やブラスバンドの演奏にあわせたパレードはない」と報じていました。
式典は二十八日午前十時半(日本時間午後三時半)、バグダッド市内で開かれ、CPAの最高責任者で米国人のブレマー文民行政官が暫定政府のアラウィ首相に主権移譲に関する文書を手渡しました。
しかし、式典の場に国民の多数が参加したり、国民が全国各地でイラクの新たな出発を祝う姿はありませんでした。
暫定政府は二十四日までに全二十六省庁がCPAから権限を回復し、行政は事実上、百三十万人を超えるイラク人職員の手に委ねられます。
一方、米国はバグダッドに世界最大の大使館を開設し、CPA解散後も一部職員をイラク各省庁に「顧問」の肩書で残留させ、「影の政府」(米紙ニューヨーク・タイムズ)に形を変えて影響力を行使し続けるものと見られます。
形の上では、十四カ月に及ぶ米英の占領統治に幕が引かれたことになりますが、イラクの治安維持にあたる多国籍軍の中心には米軍が居座りを続けます。
CPAが五月におこなった世論調査でも、92%の国民が米軍を「占領軍」と見なしています。今回の主権移譲が、イラク人によるイラク人のための国づくりに道を開くものになるかどうかは、極めて厳しいといえます。
宮崎清明記者