2004年6月30日(水)「しんぶん赤旗」
参院選挙の論戦で、年金問題が大きな焦点となっています。
全国紙の社説や主張でも、「年金選挙――本気の政党はどこか」(「朝日」二十五日付)、「年金改革の具体像を競い合え」(「読売」二十八日付)、「年金四つの選択」(「毎日」同)、「年金攻防戦」(「産経」同)など、相次いで年金問題が取り上げられました。
さきの通常国会では、小泉内閣が保険料を毎年引き上げ給付は毎年引き下げる年金改悪法を提出し、自民・公明の与党が強行採決で成立させました。「朝日」社説が、「有権者の多くが憤りと不安を募らせている中での選択の機会」と指摘しているのは当然です。
「読売」が「年金制度への不信が、かつてなく深まっている」、「毎日」が「国民共通の関心事になっている」と書いているのも、この問題の重要性を示すものです。
参院選挙の中で問われるのは、どの政党が国民の年金不信を解決する具体的な方向をもつのかです。この点で、「朝日」は「どの党が本気なのか。三つの大事な視点がある」といい、「毎日」は「四つの選択」を示して、各党は「判断材料を示すべき」だとしていますが、問題はその中身です。
「朝日」があげるのは、抜本改革への覚悟や政党の信頼度とともに、「国民の負担増という問題から逃げていないか」ということです。「毎日」が求めるのも、「年金制度」や「負担と給付」の選択、「税か保険料か」などです。年金財源に消費税増税を持ち出した民主党と、在任中は増税しないと繰り返す小泉首相が対比されています。
税にせよ保険料にせよ、国民の負担を増やすことが、なぜ年金不信を解決することになるのか。年金保険料が負担能力を超え、未納者が急増しているところに、年金制度が危機を迎えている原因の一つがあるのではありませんか。「朝日」や「毎日」が持ち出しているのは、国民の年金不信を解決する方向とはとてもいえません。
それにもかかわらず、「朝日」が国民の負担増から「逃げない」ことが年金問題にたいする政党の責任ある態度だというのは、消費税の増税を迫る民主党が、与党の自民・公明より「本気」の政党だとでもいうためなのか。
「朝日」や「毎日」だけでなく、一般新聞の年金問題での議論の特徴は、負担を増やすか給付を削るかの、「バランス」論の枠を出ないことです。
「読売」社説は、よりあからさまに、「負担増や給付減を喜ぶ人はいない。だが、抜本改革に『痛み』は付き物だ。各政党は勇気をもって、年金制度の具体的な将来像を競い合うべきだ」と主張します。
歴代政府は、負担と給付のバランス論に立って、年金財政が悪化したからと、負担を引き上げ、給付を引き下げてきました。その結果が、安心できる生活にはほど遠い低い年金と払いきれない高い保険料です。国民の年金不信を解決しようとするなら、これまでの政治の延長で負担と給付のバランスを考えるのではなく、その政治の土台そのものに目を向けるべきです。一般新聞に根本的に欠けているのは、その視点です。
日本共産党は年金問題について、日本の年金が貧しいのは、社会保障の財政の基盤があまりに薄いためであることをあきらかにして、政治の土台を変えて、税金のつかいみちと集め方を変えれば、国民に負担をかけないで年金を抜本的に充実させることができることを明らかにしています。自民・公明の与党だけでなく、民主党もそうした政治の土台を変える立場がないため、消費税増税で国民に負担を押し付けることになるのです。
「朝日」社説は「泥舟の年金制度に乗る老後」の川柳を引用して、「泥舟を安心できる船に作り替えるのはどの党か。よく見きわめなければ、みなの老後は本当に立ち行かない」と結びます。国民の老後を考えるなら、政治の「泥舟」そのものを作りかえることを、踏みこんで議論すべきときではありませんか。
(宮坂一男)