2004年7月1日(木)「しんぶん赤旗」
小泉政権は米国いいなりにイラク戦争を支持し自衛隊まで派遣しました。しかしイラク情勢は泥沼化し戦争の破たんが明らかになっています。日本共産党はこの間、国民の平和の願いをたずさえ、世界中を駆け巡って政府や国際組織に戦争反対、平和の国際秩序の確立を働きかけ、世界平和のための外交活動を積極的に展開してきました。どちらが正しかったか、今日では明白です。
|
イラク戦争は、異なる諸文明間の対話と共存の問題も提起しました。とりわけ米国が巨大な軍事力を背景に中東諸国に対して「米国モデル」を押し付けている中で、イスラム世界との交流が重要になっています。
日本共産党はイラク戦争に反対する外交活動で、イスラム世界の多くの国々との交流の扉を開きました。イラク戦争と占領支配に反対する日本共産党の外交活動の展開の中で現在、交流は新たな発展と広がりをみせています。
不破議長は二〇〇三年七月、アフリカのイスラム国チュニジアの政権党・立憲民主連合(党首=ベン・アリ大統領)からの招待を受け、チュニスで開催された同党の大会に出席。ベン・アリ大統領とあいさつをかわすとともに、ベンヤヒア外相と長時間会談しました。今年一月の日本共産党第二十三回大会には同党代表が参加し、緊密な関係を築きました。
ことし三月一日には駐日チュニジア大使の提案で、不破議長、志位委員長と中東・アフリカ八カ国の大使との懇談がもたれ、イラク問題を含め世界の諸問題について意見交換しました。
緒方国際局長が昨年十月にイスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議に「招待されたゲスト」として出席し、イスラム諸国と意見交換しました。世界で政党として招待されたのは日本共産党だけでした。
イスラム世界で重要な位置を占めるイランからは、十二月二十八日のイラン南東部大地震への不破議長と志位委員長の見舞電報に対して、ハタミ大統領からこのほど両氏あてに「日本共産党の指導者と党員のみなさんに特別のごあいさつをお送りします」との礼状が届きました。
|
2002.8月 |
ブッシュ政権は2002年8月、先制攻撃戦略を公式に打ち出し、イラクなどを名指しで非難。大量破壊兵器「保有」を口実にしてイラク攻撃の計画を進めました。
日本共産党の不破哲三議長はその最中の八月二十八日に訪中、北京で江沢民中国共産党総書記・国家主席(当時)と会談し、米国によるイラクへの軍事攻撃に反対することで一致しました。中国指導部がイラク戦争反対の立場を明確に表明したのはこれが最初でした。
不破議長、志位和夫委員長は十月四日、来日したベトナム共産党のノン・ドク・マイン書記長と会談し、イラクへの軍事攻撃反対の国際世論を広げることで「完全に一致」しました。
|
2002.秋 |
2002年秋、米国は、国連の大量破壊兵器の査察をイラクが妨害しているとの口実でイラク攻撃の準備を一段とすすめました。国連では戦争を避けるためイラクを査察に協力させることが重要課題になりました。
日本共産党は十月初旬から下旬にかけて緒方靖夫国際局長と森原公敏同次長をイラクと中東諸国に派遣しました。両氏はイラクで政権に近いハマディ国民議会議長らと会談し、イラクが国連査察を無条件に受け入れるよう促しました。同議長は同意を表明、査察が進展しました。
緒方局長らはヨルダン、エジプト、サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦を歴訪し、政府、国会、政党やアラブ連盟、イスラム諸国会議機構の指導者と会談しました。すべての会談でイラク戦争反対の立場を確認しあいました。
|
2002.11・12月 |
イラクのフセイン政権が無条件で国連査察を受け入れると表明するなかで、2002年11月8日、国連安保理はイラクへの査察実施をうたった決議1441を全会一致で採択しました。ブッシュ政権は、中東への米軍展開をすすめました。
二〇〇二年十二月、志位委員長を団長とする日本共産党代表団が南アジアのインド、スリランカ、パキスタンを訪問し、三カ国の政府代表との間で、戦争反対の立場を確認しあいました。
|
2003.1〜3月 |
2003年になると米英両国はイラクが大量破壊兵器を保有していることは確実だとして武力攻撃の早期開始を主張しました。査察が着々と進行しており、安保理では多くの国が武力行使に反対しました。
世界で反戦運動が空前の盛り上がりをみせました。
第十三回非同盟諸国首脳会議(二月二十四―二十五日)がマレーシアのクアラルンプールで開催され、各国首脳はイラク戦争反対の断固たる意思を表明しました。日本共産党は緒方国際局長がゲストとして出席。
また一月から三月まで、三回にわたって発表した志位委員長の談話を五十を超える在日外国公館や国連代表部に届け、戦争反対と平和解決への努力を働きかけました。
2003.3.20 |
米英両国は2003年3月20日、国連を無視しイラクに対する武力攻撃を開始、無法な侵略戦争に突入しました。日本政府は戦争にいち早く支持を表明。小泉首相は「(米国に)日本が支援を行うのは責務だ」と述べました。
日本共産党は軍事行動の即時中止を求める中央委員会声明を五十六カ国の在日外国公館と国連代表部などに届けました。四月十九日にも「米国による新たな植民地主義を許さない―イラク復興支援は国連主体で」の常任幹部会声明を送付しました。
|
2003.5月〜 |
米英軍はバグダッドを占領し、ブッシュ大統領は5月1日、主要な戦闘の終結とイラク戦争の勝利宣言をしました。無法な侵略戦争によって1万人を超えるイラクの民間人が殺害され、国土は荒廃しました。
米英軍など占領軍が支配するイラクの破壊状況や復興・人道支援問題を調査するため、日本共産党は調査団(緒方国際局長・参院議員=団長、赤嶺政賢衆院議員、森原国際局次長)が六月十三日から二十一日にかけてイラクを訪問し、実情を調査しました。この調査をもとに、国会で侵略戦争の犯罪行為を告発するとともに、深刻な破壊と戦場化の実態を明らかにし、イラクへの自衛隊派遣に反対しました。
イラク問題の平和的解決をはかる努力を無視し、「査察は意味がない。イラクは大量破壊兵器を持っている」といって一方的に戦争を始めたのがブッシュ政権であり、それに同調したのが小泉政権です。
日本共産党が主張したように査察を続け平和解決の努力をしていれば、イラクに大量破壊兵器がなかったことが明らかになり、戦争も現在のようなイラクの混乱もなかったはずです。