日本共産党

2004年7月15日(木)「しんぶん赤旗」

戦前、多くの不屈の青春があった


 〈問い〉 日本共産党は青年が中心になって創立したと聞きました。どんな状況だったのですか?(東京 一読者)

 〈答え〉 日本共産党は82年前のきょう(7月15日)東京・豊多摩郡渋谷町の民家での会合をつうじ創立されました。創立から一年ほどの間に参加した党員は百人余。創立時、市川正一(30)、国領五一郎(20)、渡辺政之輔(23)、川合義虎(20)、河田賢治(22)、谷口善太郎(23)ら、多くが20代〜30代でした。

 当時は、天皇絶対の専制政治で、党は非合法の政党として出発せざるをえませんでした。しかし、党は当初から、天皇専制にかわる主権在民の民主政治をつくるための民主主義革命の旗をかかげ、弾圧をうけながらも「シべリア出兵反対、朝鮮人民の独立闘争支持」「18歳以上のすべての男女に普通選挙権を」と、勇敢にたたかいました。

 中国への本格的な侵略が開始されると、治安維持法・特高警察による弾圧はいよいよはげしく、32年には、党中央委員・上田茂樹(31)=以下いずれも死亡時の年齢=、党中央委員岩田義道(34)らが虐殺され、翌33年2月には党九州地方委員長西田信春(30)、作家・小林多喜二(29)が残虐な拷問をうけ絶命、同月、『日本資本主義発達史講座』の編集でも知られる野呂栄太郎(33)も事実上の拷問死させられます。33年12月には、党中央委員として活動中の宮本顕治(現名誉役員)が逮捕されますが、25歳の若さでした。

 党幹部だけでなく、広島・呉港で現役水兵・兵士の反戦運動を組織した阪口喜一郎(31)、党中央事務局で連絡・印刷などの活動をした伊藤千代子(24)、獄中からちり紙で姉へ「信念をまっとうする上においてはいかなるいばらの道であろうと…」と手紙を書いた田中サガヨ(24)、化粧用コンパクトに「闘争・死」の文字を刻み獄死した飯島喜美(24)、日本共産青年同盟中央機関紙「無産青年」配布網を組織した高島満兎(まと)(24)…。みんな人生はこれからという若さでした。こうした無数の人々、青年たちの不屈のたたかいは、日本共産党の誇りであり、いまの私たちのたたかいをも勇気づけ、励ましてくれるものです。(

 〔2004・7・15(木)〕


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