2004年7月20日(火)「しんぶん赤旗」
クウェートからの報道によると、在クウェート・フィリピン大使館は十九日、イラク駐留のフィリピンの全部隊が出国を終えたことを明らかにしました。
一方、フィリピン軍部隊のパルパラン隊長(准将)は同日、マニラの国際空港に帰着。空港で記者団に「帰国できてうれしい」と喜びを語りました。
イラク武装勢力が現地で働くフィリピン人男性を人質に取り撤兵を要求した七月初め当初は、アロヨ大統領はこれを拒否。しかし、人質の命を救うために撤兵を求める世論が高まるなかで、同国は武装勢力が撤退期限とした二十日までの完全撤兵を決めました。
これに対し、米国は「撤兵はテロリストに誤ったメッセージを送ることになる」として撤兵しないよう圧力を加えましたが、フィリピン政府は受け入れませんでした。フィリピン政府は、海外で働く約五百万人のフィリピン人労働者の安全確保を最優先したものとみられます。
フィリピン紙インクワイアラー十九日付は「大統領が(人質の)デラクルス氏を見殺しにしたら、『政府は海外で働くフィリピン人労働者のことをまったく気にかけていない』という誤ったメッセージを発することになっただろう」と指摘しました。