2004年7月24日(土)「しんぶん赤旗」
二十一日に東京・日比谷公会堂で開かれた日本共産党創立八十二周年記念講演会で不破哲三議長がおこなった講演「新しい綱領の意義、政治の現段階の特徴」の大要を紹介します。
会場にお集まりのみなさん、またCS通信を全国各地でご覧のみなさん、こんばんは。日本共産党の不破哲三でございます。(拍手)
今夜は、日本共産党の創立八十二周年を記念する集まりによくおいでいただきました。みなさんのお顔をこうして拝見いたしますと、あの猛暑のなか、ところによっては大雨もありましたが、そういう厳しい条件のもと、政治的にも激しい嵐をついてたたかった今度の選挙戦を本当に生々しく思い起こさざるをえません。あらためてこの選挙戦でのみなさんのご支援、ご協力、ご奮闘に心からの感謝の言葉を申し上げたいと思います。(拍手)
国政選挙では、三年前の参議院選挙で四百三十三万票と攻め込まれて以来、去年の総選挙で四百五十九万票、今度の参議院選挙で四百三十六万票と、三回連続して得票(比例代表選挙)が四百万票台にとどまる結果が続きました。そこからどう頑張って新しい前進の情勢をつくりだすか。ここに私たちが直面する大問題があると考えています。
今日は、党の創立八十二周年を記念する日ですから、歴史を振り返りながら、一緒にこの問題を考えたいと思うのです。
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日本共産党が生まれたのは、八十二年前の一九二二年でした。当時の日本は、国民が自由も民主主義ももたない天皇専制の日本でした。ですから、生まれたばかりの若い党がまず全力を注いだのは、天皇専制の日本を国民主権の民主政治の国に変えること、それからまた、まさに始まろうとしていたアジア侵略の戦争路線を平和の路線に切りかえること、ここにありました。
当時の日本では、この二つの目標は、どちらもそれを掲げること自体が命がけの仕事でした。ですから、日本共産党は最初から非合法でしたし、徹底した迫害と弾圧が集中しました。さまざまな世代の多くの先輩たちがこの事業に命をささげ、最後には党中央そのものが破壊されて、全国的な活動ができないという時代を迎えました。
しかし、日本共産党が命がけで掲げたこの目標――民主主義の日本、平和の日本の実現という目標が正しかったことは、日本が敗戦の後、新しい政治の体制を確立して、国民主権の原則と戦争への反省およびその放棄が日本国憲法に書き込まれたことによって、実証されたと思います。(拍手)
私たちはいま、先輩たちが身をもって刻んできたこの歴史から、なにを学ぶべきでしょうか。多くのことがありますが、私は、なによりも、どんなに困難な情勢のもとでも平和と民主主義の大義をつらぬき、その事業が最後には勝利するという展望を失わなかった不屈性を学びたいと思うのであります。(拍手)
参院選の総括と国政上の当面の方針について、いま志位委員長から話がありました。実際、選挙の結果には、今後の活動のために、深く考えなければいけない多くの問題があります。
選挙中、どの地方に行きましても、昨年の総選挙のときとは違った“手ごたえ”があるという話を聞きました。私自身も、党の政策や活動を訴えながら、政策的な共感の広がりを強く感じたものでした。昨年の総選挙では、一気に巻き起こった「二大政党」論の強烈な圧力に必死で反撃するというのが率直な実感でしたが、今回の選挙の様相にはかなり違ったものを感じたのです。選挙戦のなかで、私自身、「二大政党論が早くも色あせつつある」と言いましたが、この言葉もたんなる景気づけではなく、こういう一定の実感の裏づけをもっての指摘でした。しかし、私たちが感じた政策的な共感の広がりも、国民の政治的な世論を大きく動かすことはできませんでした。「二大政党」の流れは、昨年以上の強い力で有権者を動かし、選挙の結果は、私たちにとって重大な後退となりました。
なぜこうなったのか、また実際に選挙中に感じた手ごたえと選挙結果とが、なぜこれほど開いたのか。
もちろんそこには、私たちの活動の弱点の問題、組織的な実力の問題があります。そういう問題を含め、全面的な総括は、次の中央委員会総会で行うことを予定しています。そのために、全国のみなさんからも多くのご意見をいただきたいと思っておりますが、今日私がまず話したいのは、その選挙結果をうみだした政治的な背景、大きくいえば、私たちがいまぶつかっている困難の背後にある、日本の現在の政治情勢の特質の問題です。
第一に注目したいのは、この困難は根本的には、自民党政治が従来のやり方、従来の形では政権を維持できないような深刻な危機の時代に入ったために、生み出されたものだということです。
自民党政治には、もともと大企業優先と“アメリカ言いなり”という二つの大きなゆがみがあります。日本共産党は最初に綱領を定めた一九六〇年代からこのことを明らかにし、その転換を中心任務としてたたかってきました。八〇年代には、わが党以外のすべての野党が自民党寄りの姿勢をとり、いわゆる「共産党をのぞくオール与党」の流れが政治の大勢となりましたが、そのなかでも私たちは、自民党政治の誤りを正面から追及し、国民本位の政治への転換を要求して頑張ってきました。
その自民党政治が危機的な転機を迎えたのが、九〇年代の初めでした。九三年に自民党の大分裂が起こり、総選挙で「非自民」の細川政権を生み出したことは、その転機を象徴するものでした。自民党は一年足らずで政権を取り戻しましたが、それ以後は、単独で政権を握ることが不可能な政党になりました。その連立も、最初の社会党やさきがけとの連立のときには、連立相手から自民党が養分を吸い取るだけの余力がありましたが、連立の相手が公明党に変わってからは、そういう余力もなくなり、連立によって自民党の地盤が掘り崩されるだけという悪循環が、選挙をやるごとに明確になりつつあります。
自民党政治のこの危機が、野党との関係にも大きな変化を引き起こしたのです。
自民党が一定の強い基盤をもっていた時期には、さきほども言いましたように、いわゆる「オール与党」対日本共産党というのが、政界の主な政治地図となっていました。しかし、自民党政権が危機的な状況を迎えて、「政権交代」の可能性が生まれてくると、そこが変わってきました。
旧「オール与党」勢力や自民党の分裂で生まれた新党勢力の側で、自民党政治と同じ地盤の上での「政権交代」をめざすということが、大きな方針になってきたのです。
また有権者の世論の動きや投票行動にも大きな変化が生まれました。「ともかく自民党政権が変われば」ということで、どの党が自民党政治の中身に本気で対決しているか、ではなく、どの党が自民党に取って代わる「政権交代」勢力になるかが、関心の中心問題になる――こういう傾向が生まれてきました。
支配体制の側でも、政治戦略の変化がすすみました。自民党政権がダメになった場合、「受け皿」になる勢力を、自民党政治の同じ土俵の上で用意する、そのことで、政局がどう転んでも、大企業優先、“アメリカ言いなり”という政治の土台そのものは守りとおす、これが、支配体制の側の大戦略になってきました。
この時期に、政界の表舞台から日本共産党をしめ出そうという圧力が、かつてない規模で、さまざまな分野で展開されたのは偶然ではありません。
小選挙区制の導入、比例代表部分の定数削減からハンドマイクやパンフレット・カーの禁止に至る選挙法のあいつぐ改悪。公明党・創価学会を主力にした謀略的な反日本共産党宣伝。それからまた、マスメディアでは、日本共産党や民主・平和の動きを国民の目から極力覆い隠す、“沈黙作戦”とでもいうべきものが広く展開されました。あまりのことに私も驚かされた一例をあげますと、六月にノーベル賞作家を含め、日本の知性を代表する九人の文化人が憲法九条擁護の声明を出し、「九条の会」を結成しました。これは、立場がどうであろうが、日本の社会の大問題のはずでした。しかし、この動きさえも、マスメディアではほとんど沈黙をもって迎えられました。
このように自民党政治の危機が大きく進行するなかで、その正面からの対決者である日本共産党の前進をくいとめる力が、逆に一段と強力に働く――政治情勢のこの二面的な展開が、九三年以後の政治状況の大きな特徴になってきたと思います。
しかし、自民党政治と同じ土俵の上での「受け皿」づくりは、一時的には広い期待を得ることができたとしても、自民党政治が生み出した矛盾や危機をそれで解決できるわけではありませんから、やがては国民の支持を失ってくる。これは間違いないことで、そのことは、この十年あまりの日本の政治史の生々しい教訓でもあると思います。
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実際この十年あまりの間に、いま言った「受け皿」づくりは、三つの波をなして進んできました。
最初の波は、先ほど言った九三―九四年の細川・羽田政権です。この政権を生み出した政党連合は、政策協定に“自民党の基本政策の継承”ということをわざわざ明記しました。これで細川・羽田政権が生まれましたが、小選挙区制を導入した以外は、何の政治的変化も生み出せないまま、一年足らずで失敗し、政権は自民・社会・さきがけの連立政権に交代しました。
わが党も、九三年選挙ではこの波をかぶって後退しましたが、九〇年代後半にはこれを乗り越えて一定の躍進を実現することに成功しました。
その次の、「受け皿」づくりの第二の波が、小泉“政変”です。その時には、わが党の躍進を抑えようというので、公明党・創価学会中心の謀略的な反共宣伝をはじめ、日本共産党おさえこみ作戦は、すでに大規模に始まっていました。そういう中で二〇〇一年、森内閣の危機のもとで、自民党総裁選挙があり、小泉純一郎氏が「自民党を壊す」というスローガンをかかげて当選しました。これはいわば、自民党の内部で「非自民」的な「受け皿」をつくり、それによって危機の打開をはかろうという試みでした。「自民党を壊す」というスローガン自体、自民党政治の根本には何の反省も加えないスローガンでしたから、やがてこれは力を失ってきます。具体的には、今度の“年金改革”とか、イラク戦争への自衛隊派兵とか、口先だけのごまかしの通用しない二つの大問題にぶつかって、急速に国民の支持を失いました。
私は、小泉“政変”に続く第三の波が、昨年の総選挙以来の「二大政党」論だと思います。今度は“民主党が政権の「受け皿」だ”という体制を、財界が中心になってつくりだしました。十年前の「非自民」の波とは違って、イラク派兵や年金改革などの当面の政策では、いくつかの点で自民党との一定の“対決”姿勢を示しますけれども、消費税増税と憲法改定という支配体制の側の根本要求では、自民党以上の積極派です。ですから、政権にはついていませんが、その段階から、自民党政治を応援し、加速させる役割をもっています。
今度の参議院選挙の結果は、民主党の、自民党寄りの政策への不安や警戒は存在するものの、「何か自民党とは違うことをやるだろう」という期待がいま広く存在していることを、実際に示しました。有権者の選挙での実際の投票の仕方を聞いても、まず「自民党か、そうでないか」を選ぶ、「そうでない」ということを選んだら民主党に入れる、しかし、民主党の政策はほとんど知らないままだ――こういった選択の仕方が各地で広くみられたということが、実際の状況としても、またマスメディアを通じても、よく耳に入ってきます。
この第三の波はより大がかりで、しかも、「二大政党」の体制を日本の政治の固定した状態にしてしまおうという支配体制の側の要求がいちだんと切実になっているだけに、私たちがこの局面を抜け出して、日本共産党の前進を現実のものにする新しい情勢を切り開くには、十年前の、「非自民」の波を克服した場合よりも、大きなエネルギーと努力を必要とするだろうと思います。
しかし、だからこそ私たちは、「二大政党」に対抗する政治的な力をつくり出す課題に、いま直ちに本格的にとりかからなければならないと考えています(拍手)。それはいま日本の情勢が求めている緊急の任務だからです。
当面の年金改悪をとっても、「高負担・給付減」はごめんだという国民の要求は切実です。さらに、「二大政党」が憲法改定と消費税増税を当面の共通の旗印とし、相呼応して二つの大きな反動政治に道を開こうとしており、この動きは、まさに私たちの目の前に、日本と国民の今後を左右する差し迫った危険を生み出しています。
参議院選挙の結果についての常任幹部会の声明が、「二大政党」に対抗して、「国民中心の新しい政治の流れをおこし広げる」ことを、これからの日本にとっての重大な任務と位置づけ、日本共産党がその任務に全力を尽くすとし、そのための「本腰を入れた、日常不断の系統的な活動」を呼びかけたのは、この見地からであります。
選挙のあと、一部には、三連敗でがっかりして落ち込む傾向もあります。しかし、多くの党員や支部が「こんなことでへこたれてなるものか」、「いまこそ、不屈さを発揮すべきとき」と、新しい気概を燃やして立ちあがり、活動をはじめています(拍手)。また、ともに選挙をたたかった非党員のなかから、党に加わってこの事業の先頭に立とうという方々が全国で次々と現れていることは、とりわけ感動的であります。その方々が、いまのこの時期に入党という選択を自分の人生の課題としたこと、そこにわが党の伝統とする不屈性が現れていることを感じました。(拍手)
戦前の党の歴史の最大の教訓である“不屈性”をいまこそ発揮して、日本の将来にかかわるこの重大な任務――「二大政党」に対抗して新しい政治の流れを起こすという任務に、選挙戦をともにたたかった後援会員や党支持者のみなさんとしっかり腕を組みながら、取り組もうではありませんか。(大きな拍手)
では、自民党政治を土台から変え、国民中心の新しい政治を起こしてゆくとはどういうことなのか。私はそのことを示しているのが日本共産党の新しい綱領だし、新しい流れを国民に広く理解してもらう活動を進めるうえでも、この綱領は政治的な指針として役立つものだと考えています。
今夜はこの点で、党綱領の内容を三つの角度から見てみたいと思います。
一つは、「日本改革」の方針です。この方針は、自民党政権が危機的な状況を迎えた九〇年代を通じて、私たちが発展させてきたものです。一九九七年の第二十一回党大会では、「日本共産党はどんな日本をめざすのか」という形で、まとまった方針を打ち出しました。これが重要な出発点になりました。
綱領でこの方針を「日本改革」の路線として定式化したことは、これを理論的にも政治的にも、より首尾一貫する意義をもちました。そのいくつかの特徴点を挙げてみたいと思います。
一つは、経済改革の問題です。この問題では、綱領は、「資本主義の枠内での民主的な改革」が、日本社会の当面の段階でのわれわれの改革要求の全体的な特徴づけだとしました。このことは選挙戦で大いに語りましたが、その基調は、大企業・財界の横暴な支配を抑えて、社会保障を重視する国民本位の経済・財政の仕組みをつくり、ヨーロッパ並みの「ルールある経済社会」をつくってゆく点にあります。
私たちは、いま国民がさまざまな面で痛感している生活の苦しい現状を打開する道は、この道以外にないと確信しています。そして、この改革の方針に広範な国民の共感と合意をうることがなによりも大事ですが、そのために、さまざまな時期に国民の切実な要求にこたえて「日本改革」を具体化してゆく努力と同時に、二つの点を強調したいと思います。
一つは、大企業・財界が日本の政治、経済、国民生活に横暴な支配を振るっている実態を、生きた事実をもって日常的に批判し告発する活動が非常に大事だということです。
――日本の財界・大企業が、政治献金を含む、いわゆる「政・官・財」の癒着を基盤に、政治を自分たちの利益追求のために大きくゆがめていること、
――その支配と圧力が、国民の生活と権利にかかわる多くの分野で働く者をひどい状態におき、中小企業に不公正な差別や抑圧を押しつけていること、
――大企業・財界が、農業政策や環境政策、さらにはアメリカの軍事企業と結んだ軍備拡張政策の推進に大変な圧力を加えていること、
――これらの横暴さには、同じ資本主義国でも、ヨーロッパとくらべてけた違いのものがあること、
これらは現に、私たちが生きている日本社会の支配的な事実となっている紛れもない現実であります。
しかし、その現実を示す情報が国民に的確に提供されているわけではありません。“大企業の繁栄は日本経済の繁栄だ”といった見方が広く振りまかれています。それだけに、日本の財界・大企業の、ヨーロッパと比べてもとりわけ激しい横暴な支配というこの問題が、多くの国民にとって周知の事実になるところまで、事実をもって告発する活動を推し進めてこそ、私たちの経済政策の転換の呼びかけが、具体的な説得力を持ってきます。ここに私たちが力を入れるべき大きな課題があることを感じています。
もう一つ、大企業・財界に対する私たちの基本的立場を、多くの人々に分かってもらうことも大切です。
私たちの立場は、「大企業打倒」でも、「大企業敵視」でもありません。大企業の不当な横暴を取り除き、その経済力に応じた社会的貢献を大企業に求めること、これが私たちの立場であって、それはいわば “「国民が主人公」の政治のもとでの大企業との共存” と言ってもよいものです。そしてこれは、資本主義の枠内で不可能なことを求めるということではありません。そのことは、私たちが改革の当面の目標を、ヨーロッパの資本主義が現に到達している水準に求めていることにも示されていると思います。
年金問題をはじめ、経済の諸分野での日本共産党の改革要求をおおいに宣伝すると同時に、この二つの点で、私たちの考え方、日本社会の見方、真実がどこにあるかということをよく分かってもらえれば、わが党の「日本改革」の経済分野での提案は、大多数の国民の共感を得るだけの力を持っていることを確信しています。(拍手)
第二は、“アメリカ言いなり”政治の問題です。
これはあまり多くのことをいう必要はないと思います。小泉内閣のもとで、“アメリカ言いなり”政治は、安保条約の条文さえこえて、限りなく膨らんできました。「同盟国」だからアメリカの無法な侵略戦争を支持する。「同盟国」だから自衛隊を派遣してこれに参加する。「同盟国」だからアメリカの要求にこたえるために憲法まで改定する。そこまできているわけです。綱領は、こういう日本の状態を「異常な国家的な対米従属の状態」と特徴づけました。
そして、この“アメリカ言いなり”政治にたいする国民の批判や怒りは、イラク戦争および自衛隊派兵の経験を通じて、かつてなく大きくなっています。
わが党は、安保条約を廃棄する以前にも、平和と日本の主権にかかわる緊急の課題として、自主外交への転換を求めてたたかいますが、そのたたかいをすすめる上でも、日本共産党が、国会に議席を持つ日本の政党のなかでただ一つ、日米安保条約の廃棄を目標としていることの意義は、いまいつの時期よりも大きいということを強調したいと思います。(拍手)
実際、日米安保条約を廃棄する展望を持つかどうか、それは日本の政治勢力が独立・自主の立場を貫けるかどうかの決定的な分岐点となってくる問題だからです。
第三に、わたしたちが綱領で、「日本改革」の方針のなかで、「憲法の全条項を守る」立場を強調したことにふれたいと思います。これは以前からの立場ですが、新しい綱領では、その理論的な根拠をより明確にしました。
憲法の内容で、立ち入った解明が必要な問題に二つの問題があります。
一つは天皇条項の問題です。私たちは憲法のつっこんだ研究の上にたって、日本が政治の体制として、国民主権の国であって、君主制の国ではないということを明らかにしました。そして天皇は「国政に関する権能を有しない」という条項を厳格に守ることが、いまの日本の民主政治にとってきわめて重大だという問題を浮き彫りにしました。
同時に、新しい綱領は、日本社会の将来的な発展の中で天皇問題を解決する方向について、将来、国民の合意にもとづいて天皇条項の存廃を決めるという日本共産党の考え方をきちんと示しました。天皇条項をめぐる問題はいろいろ出てきますが、それをタブーにしないで、民主主義の立場から発言してゆくことが大事であります。
もう一つは自衛隊の問題です。綱領は、戦力を持たないという憲法九条の規定と自衛隊が事実上の軍隊となっている現実との矛盾を、憲法の規定に沿って解決する道筋を示しました。
九条問題についての私たちの態度は、日本を戦争をする国に変えるという憲法九条の改定にたいしては、国民的なたたかいでこれを阻止する努力を尽くすとともに、自衛隊の存在の問題については、アジアに安定した国際関係を確立する活動の中で、国民の合意をえながら一歩一歩解決してゆくという方針を示しました。この方針は政治的には第二十二回党大会ですでに明確にしたものですが、この方針を、一時の方針としてではなく、綱領のなかではっきり決めたことは、大事な意味を持つと思います。
いま第九条を中心とした憲法改定について、憲法改定勢力はこんなごまかしの論法をやっています。つまり、議論をするときには、日本が外国から侵略を受けた場合、自衛のためには、いまのままでいいのか、という議論です。しかし、そういう議論を持ち出しながら、実際にやるのは日本の「自衛」とは関係のない、海外でのアメリカの先制攻撃戦争へ加担するという行為です。実際、こういう議論で憲法九条を攻撃しながら、自民党内閣が海外に送り出したのは、アフガニスタン報復戦争でのインド洋への自衛隊派遣であり、イラク戦争でのサマワへの自衛隊派遣でした。議論は「自衛」でやるが、行動は「自衛」とは無関係の侵略戦争への加担――このごまかし論法が改憲勢力の議論のなによりの特徴です。
いま説明した党綱領の立場は、このごまかしを打ち破る力を持っています。
これらの点を含めて、「憲法の全条項を守る」日本共産党の立場を、国民の間で政治的にも理論的にも深く押し出していくことが大事であります。
憲法問題ではさきほど申しました「九条の会」の結成の意義はたいへん大きいと思います。この七月十五日に、九人の方以外の賛同者百九十人の氏名の発表がありましたが、賛同者はいまさらに広がりつつあります。この運動を大きく広げることに力を入れなければなりません。
いま「日本改革」の三つの点を話しましたが、こういうことをよく頭に置きながら、いま日本社会がぶつかっている諸問題の本格的な解決の方向が、自民党政治を土台から変えてゆく政治の立て直しにあるということを、国民のみなさんの間で粘り強く解明してゆく。この努力を私たちは日常の課題としてゆかなければならないと思います。
綱領で話したい二番目の問題は、世界情勢の見方です。
二一世紀を迎えた世界はたいへん大きな変動をしていますが、自民党政治はその変動を見ることができないで、変動する世界を、もっぱらアメリカの目から見るという従来型の見方を続けています。だから、独自の外交戦略が何一つ持てないのです。このことはいまや、自民党政治の弱点として致命的なものになりつつあります。その異常さは、国際政治の舞台でも本当に際立っています。
綱領が示した世界情勢の見方、それにもとづく国際的な課題の提起は、日本の政治がそういう状況であるだけに、たいへん重要な意味を持っています。
実際、日本の政党のなかには、独自の世界論をまとまった形で示している政党はありません。多くは、政府・自民党の世界論とあまり違わない状況にとどまっていますから、わが党が二一世紀の世界をきちんととらえた世界論を持っていることの意義は、たいへん大きいものがあります。
三つの中心点をあげますと、第一は、世界は、アメリカとの同盟一色で塗りつぶされているわけではなく、さまざまな立場の国ぐにからなっているということです。イラク戦争に賛成の国と不賛成・反対の国を人口で調べてみると、十二億対五十億になりました。この数字に見られるように、世界では、平和を願う勢力が多数派なのです。
この世界は、どんなに力を持った超大国であっても、一国で支配したり動かしたりすることのできる世界ではありません。歴史からいっても、帝国主義が支配的な力をふるった時代はすでに過去の物語となったということを、私たちは綱領のなかで深く分析しました。
第二は、国連憲章にもとづく平和のルールを持った世界秩序――「戦争のない世界」を探求することが、国際政治の重大な課題となったという提起です。このことはイラク戦争の過程で、本当に世界的な大激動を通じて示されました。またこの世界では、綱領が明記したように、「異なる価値観をもった諸文明間の対話と共存の関係」をうちたてることが非常に重要な目標となります。
第三に、綱領は、二一世紀が、資本主義の体制としての危機が深刻になる時代であることを明らかにし、資本主義を乗り越える未来社会を探求し、そこへ前進する動きが、この世紀には、世界のさまざまな地域で、さまざまな形態をもって現れるだろう、という見通しを明らかにしました。
私たちがこういう内容をもった綱領案を発表したのは昨年の六月、アメリカがイラク戦争の勝利を宣言してすぐ後の時期でした。一部では「国連無力論」がしきりにいわれた、いわばアメリカ覇権主義の絶頂の時期でした。しかし、綱領の見通しの正確さは、イラク情勢のその後の推移によっても見事に立証されたのではないでしょうか。(拍手)
もう一度日本に目をもどしますと、二大政党のどちらも、変化し発展しつつある世界に対応する的確な見方、またそれにふさわしい外交戦略を持たないでいるということは、彼らの憲法改定論にとっても、重大な弱点になっています。
日本はアジアで生きている国です。そのアジアでは、中東をふくめても、アメリカの先制攻撃戦争に賛成している国は圧倒的に少数です。アメリカとの軍事同盟あるいはそれに近い道を歩んでいる国も、日本と韓国とトルコ、イスラエルぐらいしかありません。
そういう時に、日本が憲法改定までして、アメリカとの軍事同盟をいよいよ国の中心問題にし、アメリカがどこかで先制攻撃の戦争をやったら、今度は軍隊をもって参加する、こういう道を歩き出したときに、いったい二一世紀のアジアでどこに日本の生きる道があるのか。憲法改定論は、そういうことをまったく考えもしないで、日米関係の狭い枠組みのなかだけで憲法問題を見ているのです。このやり方は、まさに二一世紀の日本の前途を大きく狂わせるものでしかありません。
この点でも、私たちが明確な世界論を持って活動することが大事です。
綱領のこの世界論を理解する上で、注意していただきたい点が二つあります。
第一は、いまの世界についての綱領での分析や提起は、私たちの紙の上の知識だけにもとづくものではなく、日本共産党自身の野党外交による実際の裏づけを持って、解明され提起されているという点です。
私たちは、世界各国を訪問して、その国の政府と会談や交流すると同時に、この東京でも、各国の外交団との交流を日常活発に行っています。この数年間に訪問した国の数は約二十カ国にのぼりますし、私たちが日常意見を交換しあっている東京での外交団との交流は約百カ国にも及びます。
そういう実際の活動が世界の見方に反映していると同時に、外交路線の実証ともなるのです。
アメリカだけを見て、アメリカのイラク戦争にどこまでも突っ込んでいった小泉外交路線と、イラクにも乗りこんで大量破壊兵器の国連の査察を受け入れろと迫り、イラク戦争をやめさせようということで、世界の多くの国ぐにと合意を広げてきた私たちの路線と、どちらが日本と世界の平和に本当に有効であったかということは、もうすでに実証されていることであります。(大きな拍手)
第二の点は、世界のいろいろな覇権主義とたたかってきた私たちの不屈の立場が、わが党の野党外交の世界的な発展のなかにいま生きているということです。
ソ連の崩壊以前にも、わが党の自主独立の闘争は世界に大きな影響を及ぼしました。あとで、ヨーロッパの諸党から、ソ連の党の大国主義・覇権主義に対する日本共産党の闘争について、“その大胆不敵さは、われわれの――つまりヨーロッパ流の――物差しを最大限にひきのばしてもとても出てこないものだった”という、ため息まじりのほめ言葉をいただいたこともあります。
しかも、ソ連と対決するこの立場が、世界のどこかほかの大国に寄り添ったものではない、いわば全方位で自主性を発揮したものであることも、世界を驚かせました。私たちは、中国の毛沢東派の干渉や、北朝鮮の無法な非難攻撃に対しても、自主性を断固貫いてたたかいました。そのことがいま、わが党の野党外交に対するさまざまな国の、“これは本物の外交だ”という信頼になって表れているのです。
たとえば、わが党は、ソ連のアフガニスタン侵略に対して徹底してたたかいました。イスラム諸国やアラブ諸国がわが党を見るときに、まず注目するのは、日本共産党があのソ連の侵略に断固たたかった政党だという点です。このことが、信頼や共感の土台となる力を持っているのです。
中国との関係では、私たちは、六年前の一九九八年に党関係を正常化したのですが、このとき、私が非常に深い印象をうけたことがあります。中国の現在の指導部は、毛沢東派の干渉がおこった「文化大革命」の当時にはむしろ迫害されていた側にいた人が大部分で、干渉の当事者ではまったくありませんでした。しかし、その人たちが、過去の日本共産党への干渉・攻撃の問題をよく研究して、日本共産党のたたかいに道理があり、中国側の攻撃に道理がなかったことをはっきり確認し、そしてこれを是正するという態度を、きちんと明らかにしたのです。このことを土台にして、日本共産党との関係正常化が行われたわけですから、それからまだ六年しかたっていませんが、大変発展的な友好と交流の関係が生まれています。
こういうように、自主独立のたたかいというのは過去の歴史の話にとどまるものではなく、さまざまな形でいま日本の共産党の外交的な力の大きな土台となっているということを、ご理解いただきたいと思います。(拍手)
もう一ついいますと、ソ連が解体したとき、私たちは、これは世界の進歩を妨害してきた歴史的な「巨悪」の崩壊だとして、歓迎する宣言を出しました。これは決して一時の強がりではありませんでした。実際、ソ連が存在していた当時は、いま私たちが世界で見ているような巨大な変化も、“米ソ対決”、つまり、二つの覇権主義の対決という枠組みのはざまに押し込められて、新しい力を発揮できなかったのです。
国連自体、“米ソ対決”時代には力を弱められました。しかし、ソ連覇権主義がなくなって、いま世界の平和秩序のささえとなる力をよみがえらせつつあります。それからまた、アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカ諸国も、自主的な役割を本格的に果たし始めました。ヨーロッパ諸国も、NATOの結束優先というアメリカの圧力から解き放されて、自主的な態度を発揮するようになりました。私たちが当時、社会の進歩と平和を妨げる「巨悪」がなくなったと評価したことの的確さが、そういう形で、いまの世界で明らかになっているのです。
綱領の世界論は、こういう面でも生きているのです。そのこともふまえて、私たちは、本格的な展望と外交戦略を持った政党として二一世紀の世界で活動してゆきたいと思うわけであります。(拍手)
三番目にのべたいのは未来社会論です。未来社会論で私たちが新しい到達点に立ったことは、新しい綱領の重要な特徴になっています。そのことが現在どういう意味を持つか、ここには整理して考えなければいけない問題があります。
私たちは社会の段階的発展論者ですから、社会主義・共産主義の社会への発展は日本社会のいまの問題ではない、と考えています。いまの段階は、「資本主義の枠内での民主的な改革」、これを当面の内容とする段階、革命論でいえば民主主義革命の段階だとしています。ですからいま、社会主義の変革を国民に呼びかけ、この問題で多数者になるといったことを、自分たちの任務にはしていません。
しかし、わが党は、資本主義社会を人間社会の最後の形態とは見ていません。長期的、将来的な展望ではあるけれども、資本主義を乗り越えた未来社会が必ずくるという展望に立っています(拍手)。ここに、日本共産党の、共産党としての特質があるのです。
綱領が具体的に指摘しているように、また私自身も一連の“二一世紀論”で分析してきたように、私たちが活動している現代は、世界の資本主義そのものが、将来的には未来社会への発展につながらざるを得ないような多くの深刻な矛盾に直面しています。
――年ごとに深刻になる大気汚染をはじめとする地球環境の危機の問題。
――各国の内部で、また地球的規模で、貧しい者と富める者の格差が年ごとに大きくなる問題。
――経済の体制が不況と大量失業に繰り返し襲われて、そこから抜け出せない問題。
――地球の広大な地域で、飢えて死ぬ子どもやおとなたちが今なお大規模に存在する問題。
現在の世界は、利潤第一主義をそのままにしたのでは、人類社会が希望ある未来を見いだせないことを、無数の事実で示しています。いかにして、利潤第一主義の横暴な支配から抜け出すか、経済社会の運営に「人間の理性」がより大きな力を発揮する社会をどのようにして築いてゆくか、これは、二一世紀の世界がいやおうなしに直面する大きな問題であります。
党綱領の未来社会論は、この課題にこたえて、われわれなりの探求の結論をのべたものであります。ですからそこで語られている展望は、現在の日本で、私たちがぶつかっている矛盾や困難とも直接かかわっており、将来の社会が、それらの問題の根本的な解決をどのような形で実現するだろうかということを示しています。たとえば、私たちは綱領の未来社会論で共産主義・社会主義の社会では「人間の全面的な発達」が社会の大きな目標になるという見通しを示しましたが、そのことが、自分の生きがいを求めて悩む多くの青年の間に、魅力的な関心を呼んだことも、そういう実例の一つであります。
そういう時期に活動している政党として、私たちが、当面の課題だけを問題にして、未来社会の展望を持たないとしたら、それは、本来の変革の精神を失って、資本主義に安住する政党に身を落とすことになるでしょう。いまの日本で、資本主義の後に来るべき社会を展望している政党は、日本共産党以外にありません(拍手)。そして、そういう政党こそが、二一世紀に、本来の未来を持ち得るのであります。(大きな拍手)
「党名を変えたら」という要望が、ずいぶん寄せられました。しかし、日本共産党という名前の由来は、未来社会を展望しているというところにあるのです。
共産主義とは、英語でいえばコミュニズムですが、コミューンというのは「共同体」です。綱領・規約では、「人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」――そういう共同体社会をめざすのだということを書いてあります。マルクス、エンゲルスはちょっとちがったことばで、「各人の自由な発展が万人の自由の発展のための条件である共同社会をめざす」(共産党宣言)と書きました。こういう共同体社会、武力による衝突もなければ、人間が人間を搾取するということもなく、本当に人間が相互に協力し合う、新しい社会――この社会をめざすという願いが、日本共産党という名前にはこめられています。
ぜひ、私たちの、この名前を見るときに、そういうことも頭に思い出していただいて、まあ、すぐに好きになれとはいいませんが(笑い)、その意味を理解していただきたいと思います。(拍手)
私たちの未来社会論が直面する大きな問題の一つは、歴史的にみて、科学的社会主義の本来の理想がソ連の行動によって傷つけられ損なわれてきたという点にありました。ソ連が、スターリンとそれ以後の時代に、「社会主義」の看板を掲げながら、社会主義の精神とは無縁な侵略・干渉の行動を取り、国内的には人間抑圧の体制をつくってきた、こういう実態があったからであります。
日本共産党は、一九六〇年代にソ連共産党の干渉を受けて以来、他国に対する侵略と干渉や、国内での専制的な抑圧などは社会主義とは無縁なものだということを公然と明らかにし、これと徹底的にたたかってきました。そして一九九一年のソ連崩壊のときには、先ほどいいましたように、歴史的な「巨悪」の崩壊として、これを歓迎する態度を表明しました。おそらくこんな歓迎声明は、世界の共産党のなかで唯一のものだったでしょう。
一九九四年の第二十回党大会では、崩壊したソ連体制そのものの詳細な分析にもとづいて、スターリンとそれ以後のソ連では、政策だけでなく、その政治・経済・社会の体制そのものが社会主義とは異質な、人間抑圧型の社会に変質していたという結論を引き出しました。
ソ連問題での私たちのこういうたたかいの歴史は、世界の共産党のなかでも際立ったものであって、ソ連などの前例を持ち出してわが党やその未来社会論を巻き添えにしようとする反共攻撃に対して、もっとも強力な反論の土台をつくっているものであります。
私たちは、今回の党綱領の改定にあたっては、そういう、これまでの到達点を全面的に引き継ぐと同時に、未来社会論にレーニンが持ちこんだ理論上の誤りについても、立ち入った検討をおこないました。
そして、マルクス、エンゲルス以来の初心に立ち返るとともに、それを二一世紀の現代的な条件に結びつける立場で、綱領の未来社会論の抜本的な探求を行い、現時点で到達した結論を盛り込んだのであります。こういう理論的な探求には、“ここで終わり”という終点はないものですが、私たちは、二〇世紀の歴史の総括を踏まえて綱領にまとめた未来社会論は、その大局的な方向性において、新しい世紀の試練に耐えるであろうことを確信しています。(大きな拍手)
日本共産党にたいする誤解や偏見の土台には、戦前の徹底した反共主義の今なお残る遺産があります。さらに戦後の意図的な反共攻撃も層をなしてそれに結びついています。そこでは、ソ連など外国の問題を持ち出して、日本共産党のめざす社会の実態はこうだとするのが、だいたいの手口でした。こういう形で、未来社会の問題というのは、これまで、しばしば反共攻撃に利用される、そういう舞台になってきたこともあります。
新しい綱領は、このような偏見・誤解を克服するために必要な観点を、理論上の根拠も明らかにして、提供しています。たとえば、ソ連問題についても、綱領は、ソ連の体制を「社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」と規定し、そこで行われた誤りを、「絶対に再現させてはならない」ことを明記しています。よく問題になる、「共産主義になると、財産を全部取られてしまう」といった問題についても、「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」と、私有財産の保障を明確にしました。これらの点はよく研究してほしいと思います。
だいたい、未来社会論についての疑問は、当然、その未来社会をめざしている日本共産党自身への疑問につながります。ですから、それを一つひとつ解決してゆくことは、日本共産党とその活動への国民の信頼を高める重要な意義をもつものです。
そういう点で、将来の問題だからと先送りにしないで、いまのたたかいのためにも、未来社会論についての綱領の新しい見地をぜひ大いに活用していただくことをお願いしたいと思います。
以上、三つの問題で、新しい綱領が、新しい政治の流れをおこす活動にとってもつ意義について話しました。
八十二年の党の歴史は、つねに困難の中で、その困難に立ち向かい、それを突破して前進をめざしてきた、不屈の努力で貫かれています。
二一世紀は、日本でも世界でも、文字通り激動の時代になるでしょう。その激動のなかで、「国民が主人公」の新しい時代を開くために、政治の新しい流れを起こし広げる大きな課題を、私たちはいま担っています。
新しい綱領は、その活動の何よりの指針であります。一月の党大会でも特徴づけたように、綱領は、当面の民主的改革の政策をえがきだしながら、資本主義をのりこえる未来社会への展望を解明しました。それは私たちに、「二一世紀に日本と世界が直面するであろうあらゆる問題に対し、正面から立ち向かえる立場」(「綱領改定についての報告」)を与えるものであります。
私たちは、この綱領を指針に、各階層にわたるすべての人々――政党支持や無党派などの区別なしに、すべての人々のあいだで対話と交流の活動を広げ、新しい政治を起こす国民的な流れをきずく努力を尽くしたいと思っています。
また、党の組織と活動のなかにある弱点や欠陥にも注意深く目を向け、その克服に努力しながら、そしてまた、あらゆる世代に門戸を開き、なかでも若い世代を大きく迎え入れながら、党の前進の勢いを自分自身の力で切り開けるような、強い活力をもった組織づくりに力を注ぎたいと考えています。
そしてなによりも、「国民の悩みや苦難のあるところ日本共産党あり」を合言葉に、国民の切実・緊急な利益を守り、要求実現に力を尽くす活動で、わが党の本来の役割を発揮していきたいと思います。
そういう活動のなかで特に強調したいのは、広範な国民のあいだで、日本共産党とはどういう党なのか、どういう日本をめざしているのか、そのことを党自身の努力で明らかにしてゆく活動であります。さっきいいました、偏見や誤解、反共宣伝の影響をのりこえることも、もちろんそのなかに含まれています。「党自身の努力で」ということは、マスメディアでさきほどのべた「沈黙」作戦が広がっている今日、大変重要であります。それにはもちろん、「しんぶん赤旗」を読んでいただく方の輪を広げることが大事でありますが、同時に、私たちは、党員が自分の“生きた言葉・生の声”で日本共産党を語ってゆく活動をとりわけ重視したいと思います(拍手)。これを、選挙のときだけでなく、日常不断の活動として全国的に進めてゆくこと、そのためには、各地方の努力とともに、党中央も、選挙のときだけでなく、普段から全国に出かけて行って、“生きた声で党を語る”活動に参加してゆきたい、こう考えています。(大きな拍手)
「人間は自分の歴史を自分でつくる」、これは人間社会の歴史と未来について語ったマルクスの有名な言葉ですが、これは日本共産党の歴史と未来にもあてはまるものだと思います。私たちは、自らの歴史を自分の力でつくってゆくために、不屈の意志と何ものにもめげない変革の精神をもって、知恵と力のすべてを尽くすつもりであります。
それこそが、八十二年間、どんな時期にも党を支え、たゆまずたたかってきた先輩たちのがんばりを未来に生かす道であり、その歴史を受け継いだ私たちの責任をはたすことだと考えます。(拍手)
全国の党員のみなさんに、あらためてそのことをよびかけるとともに、ご支持、ご協力、ご激励、ご鞭撻(べんたつ)をいただいているすべてのみなさんに、今後ともの協力をお願いして話を終わるものであります。どうも長い時間、ご清聴ありがとうございました。(長くつづく拍手)