2004年8月1日(日)「しんぶん赤旗」
教育基本法を変えようという動きがすすんでいます。そもそも教育基本法とは、どのような経緯でできた、どんな法律なのでしょう。ぜひ、全文を読んでみてください。
西沢亨子記者
戦死せる教え児よ 1952年発表の詩 高知県の中学教員だった竹本源治が一九五二年、高知県教職員組合の機関誌に発表した詩「戦死せる教え児よ」は、戦前の教育を痛切に悔いたものです。戦前の教育への反省は、教育基本法の制定当時、国民に共有されていました。 ◇ 戦死せる教え児よ 逝(ゆ)いて還らぬ教え児よ |
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憲法の理想の実現へ 戦後の再出発を決意 |
「教育基本法は、子どもからおとなまでが、新しく憲法をつくって出発しなおそうとした、その魂の声を本当によく表現したものです。憲法のすぐれたエッセンス(本質)を取り出して、子どもたちに伝えようとしているものです」
作家の大江健三郎さんは、憲法九条を守ろうと訴えて発足した「九条の会」の発足会見(六月十日)でこうのべました。
教育基本法は、第二次世界大戦が終わって二年後の一九四七年三月に公布・施行されました。その前年の十一月には、日本国憲法が公布されています。教育基本法は、“憲法の理想を実現するための教育”を日本の教育の基本にすえました。
制定にたずさわった田中二郎東大教授は「民主的で平和的な日本を建設する」ために「過去の誤った教育理念と方針とを一掃して、新しい正しい理念と方針とをもって、これに代える」と、制定の意義をのべています。
戦争をするために教育を利用した誤りを二度と繰り返してはならない、そのために誤りと縁を切って、新しい教育のあり方を示したのが教育基本法です。
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「教育勅語」は国民を 戦争へと駆り立てた |
天皇中心の政治がおこなわれた戦前の日本は、外国に侵略戦争をしかけ、アジア・太平洋地域で二千万人以上、日本国民に三百十万人以上の犠牲者を出しました。
このときに「教育」として、子どもたちに教え込まれたのが、天皇のために命を捨てることが国民の最高の道徳だということでした。その柱になったのが明治天皇がだした「教育勅語」で、国家に対する個人の絶対服従と犠牲が求められました。
一人ひとりの子どもの成長を願うより、天皇を支える「皇国民の錬成」に力が注がれ、国が教育を厳しく統制・支配し、教育内容に干渉しました。このため教育は画一的、形式的になり、国民を極端な国家主義と軍国主義に導いて、戦争に駆り立てました。
戦前の教育の弊害は、「終戦後たれの目にも極めて明らか」(基本法の制定にあたった人たちが書いた『教育基本法の解説』)でした。
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個人の尊厳を重んじ 国の教育支配禁じる |
教育基本法は、国中を不幸にした戦前の教育の反省から生まれました。
前文と十一条からなり、前文、第一条(教育の目的)、第二条(教育の方針)で、新しい教育の理念を明らかにしています。
なかでも教育基本法の重要な柱は「個人の尊厳を重んじ」(前文)として、個人を国家の発展の単なる手段とみる考えを否定していることです。制定時の国会で高橋誠一郎文相は、教育基本法の根底をなす考え方は何かと聞かれて「個人の尊厳を認め、個人の価値を認めていかなければならぬ」と答えています。
この考えにたって、第一条で、教育の目的を「人格の完成」、つまり一人ひとりが人間として大事にされ、個性・能力を全面的に発展させることにあるとしました。国や社会の発展は、個人の自覚で自発的にされるものだとしています。
もう一つの重要な柱が、戦前の国の教育統制への反省に立って、「教育は、不当な支配に服することなく」(一〇条)として、教育が国、行政権力の不当な支配を受けてはならないと定めていることです。その考えにもとづいて、「教育行政の任務の本質と限界」(高橋文相)を決め、教育行政の目標を、施設整備や教員配置などの教育条件の整備確立におき、行政権力が教育に不当、不要に口出しすることを禁じました。
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戦前の反省を捨てて 国に従う人づくりへ |
憲法が、国連憲章などに通ずる国際的な普遍性を持っているように、憲法の精神に沿って「真理と平和を希求する人間の育成」をうたった教育基本法の理念は、いまも古びない普遍性をもっています。
いま叫ばれている教育基本法「改正」論は、国家と個人の関係を、再び国家優先に変えること、国が教育内容に自由に口出しできるようにすることをねらい、教育基本法の最も重要な柱を変えようとしています。政府の方針に文句を言わずに従う国民をつくろうというものです。
日本を「戦争する国」に変えようとする動きがかつてなく強まっているいまこそ、戦前の教育への深い反省に立った教育基本法の精神が大切にされなければなりません。
教育勅語 一八九〇年(明治二十三年)に天皇の出した教育に関する勅語。天皇の家来がもつべき道徳の徳目を掲げ、天皇への崇拝と奉仕を求めました。「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と、とくに戦時の忠誠を求めています。国民道徳と教育の絶対的な指導原理とされ、戦前の教育を支配していましたが、一九四八年、国会で、日本国憲法の精神を損なうものとして無効が宣言され廃止されました。 |
教育基本法(全文) われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。 われらは、個人の尊厳(そんげん)を重んじ、真理と平和を希求(ききゅう)する人間の育成を期(き)するとともに、普遍的(ふへんてき)にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。 ここに、日本国憲法の精神に則(のっと)り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。 【第一条(教育目的)】 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充(み)ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 【第二条(教育の方針)】 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即(そく)し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。 【第三条(教育の機会均等)】 (1)すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地(もんち)によって、教育上差別されない。 (2)国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。 【第四条(義務教育)】 (1)国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。 (2)国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収(ちょうしゅう)しない。 【第五条(男女共学)】 男女は、互に敬重(けいちょう)し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。 【第六条(学校教育)】 (1)法律に定める学校は、公の性質をもつものであって、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。 (2)法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者(ほうししゃ)であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行(すいこう)に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇(たいぐう)の適正が、期せられなければならない。 【第七条(社会教育)】 (1)家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。 (2)国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。 【第八条(政治教育)】 (1)良識ある公民(こうみん)たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。 (2)法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。 【第九条(宗教教育)】 (1)宗教に関する寛容(かんよう)の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。 (2)国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。 【第一〇条(教育行政)】 (1)教育は、不当な支配に服(ふく)することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。 (2)教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。 【第一一条(補則)】 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。 |