2004年8月11日(水)「しんぶん赤旗」
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日本共産党の志位和夫委員長は、十日放送のCSテレビ「朝日ニュースター」の「各党はいま」に出演し、憲法、安保、米軍基地問題について語りました。聞き手は朝日新聞の佐藤和雄政治部次長。
佐藤 先月末、民主党の岡田代表がワシントンでの講演で、「憲法を改正し、国連の明確な決議があれば海外での武力行使を容認すべきだ」と発言しました。これは民主党のなかでもさまざまな波紋、反応を呼び起こしているようですが、志位さんはどうご覧になりますか。
志位 たいへん重大な発言だと思います。「国連の決議があれば」という仮定形はついていますが、要は憲法を変えて海外での武力行使ができるようにすると。この大きな方向という点では、自民党の主張と同じですね。
小泉首相がただちに「自分と考えは同じだ」ということをいいました。小泉首相は、「集団的自衛権を行使できるように憲法を改正すべきだ」と選挙中にいいました。「集団的自衛権の行使」というのは、日本が攻撃されていなくても、アメリカが海外で戦争を始めたら一緒に戦争をするということですから、憲法を変えて海外での武力行使をやるという点では、民主党も自民党も同じ立場にたっている。民主党の方は「国連」ということを強調する。自民党の方は「日米同盟」ということを強調する。ちょっと色合いの違いがあっても、憲法を変えて海外での武力行使をやるのは同じだというところが重大です。
佐藤 なるほど。
志位 私は、「海外での武力行使」ということが、あまりにも軽くいわれていると思います。「海外での武力行使」というのは、言葉を変えていいますと、日本の軍隊が外国人を殺すということですよ。憲法九条があったため、戦後日本の軍隊は外国人を一人も殺していない。これは誇るべき日本の歴史だったと思います。これを崩してしまうというのが、「海外での武力行使」ということの意味ですから。抽象的にではなく、実態的に考えるなら、イラクで米軍がやっているような民間人――お年寄りや子どもたちも殺していくような国になっていいのかと(いうことです)。
佐藤 志位さんの立場、お考えでは、どういう目的、環境下でも日本は海外に出て武力行使をしてはならないと。
志位 はい、反対です。私たちは憲法九条を持っているわけですが、これは国際紛争を武力によって解決してはならないという戦争放棄をうたい、軍備の禁止をうたっている。私は、これは平和の理念を、世界の歴史のなかでも一番最先端までおしすすめたものだと思っています。二十一世紀は、この九条の理念がいよいよ生きる世紀になる――人類が「戦争のない世界」にふみだす世紀になりうると考えていますから。
佐藤 国際社会の中で、国連を中心とした集団安全保障機能を高めて、それによって平和を維持したり構築したり、紛争を予防しようという動きが強まっていますね。そのなかで一部武力行使ということもせざるをえない。日本はそこには敢然と一線を画していられるんでしょうか。
志位 いま国連の集団安全保障という理念についていわれましたが、もともと国連憲章というのは、各国の武力行使を原則的に禁止しているわけですね。
佐藤 そうですね。
志位 武力の行使はしてはならない。これが大原則としてある。かりに国際社会でもめごとが起こったとしても、平和的・外交的な手段で解決するというのが、国連憲章の大原則です。そして、かりにそれでも平和を危うくする動きが出てきた場合には、(憲章)四一条による経済制裁という措置をとって、まずは軍事によらない手段で最大限に手をつくす。それでもなお、軍事の力が必要だと判断した場合には、四二条による軍事制裁という規定の発動が問題になってくるわけです。国連憲章というのは、戦争によらないで平和をめざすというのが大原則なのです。例外中の例外の措置としての軍事的手段が認められているにすぎない。
そしてもう一つ重要なことは、いま世界で問題になっているのは、そういう国連のルール自体を無視して、国連の決定がなくても勝手に戦争を始める――この動きが大問題になっているわけです。アメリカによるイラク戦争は、国連決議に何の根拠もない、勝手に「有志連合」なるもので戦争を始めてしまった侵略戦争です。こういう先制攻撃の戦争、国連憲章違反の戦争を許していいのかというのが、いま問われている中心点です。
佐藤 それを許さない、やらせないためにも国連の権威を高め、機能を高める必要があると。
志位 その通りです。
佐藤 とするならば、その日本の果たすべき役割は何でしょうか。
志位 私は国連の機能と役割は、たとえばイラク戦争にいたる国連安保理を舞台にした外交の攻防戦をつうじても、おおいに発揮されたと思います。国連を構成する多数の国々は、イラク戦争にむかう危機的な局面のなかで、一貫して平和的・外交的手段での解決を追求しました。つまり査察の継続によって問題を解決すると。これが国連の一貫した方針にもなったわけです。決議一四四一もその立場でつくられて、査察が継続していた。あの道を進めば、戦争によらない解決の道もあった。これを世界中が追求したわけです。
私は、そういう努力がやられているときに、国連憲章にのっとった戦争によらない解決という立場に、日本政府はほんらい立つべきであったと思うんですよ。ところがアメリカがそれを無理やり断ち切って、国連を無視して戦争を始めると、「日米同盟」ということを最大の理由にしてすぐ賛成する。自衛隊を出せといわれたら、「日米同盟」だといって出す。こういう姿勢がもっとも悪いと思います。
佐藤 九〇年代の湾岸危機、湾岸戦争からこの十数年の国際社会が得た教訓というのは、イラクに対して経済制裁をこの十年かけ続けてきたけれども、体制を変更するには至らなかった。ではどうすればそういうある種独裁国家のような専制体制を持つ国を国際社会に受け入れて改善していくのか、という方策が実はまだ見えてないのではないかという気がするのですが。
志位 国際社会がイラクにたいして求めたのは、イラクの体制を外部の力によってつくりかえるということではありません。それぞれの加盟国がどういう体制を持っていたにせよ、また体制がどんな問題を持っていたにせよ、その体制を決める権利を持っているのはその国の国民だけだと。これもまた国連憲章の大原則ですから。国連が求めたのは、大量破壊兵器問題の解決ということでした。そして国連は、戦争によらない方法によって解決しようと、最後まで努力をした。それは、不幸にもアメリカによって中断されたけれど、国連は「戦争のない世界」に向けて重要な機能をはたしたのです。そこに目を向ける必要があると思います。
そして国連は、アメリカが戦争をはじめた後も、一度もそれを合法的なものと追認していない。ですから、二十一世紀に入って国連という機関が、「戦争のない世界」をめざして本格的な機能と役割を発揮しつつある。ここがいま世界をみるうえで大事なところだと思っています。
佐藤 そこの認識がおそらく、自民党の方々と比べればかなり差がある。
志位 そうですね。世界の六十二億の人口のうち、五十億の人口を抱える国がイラク戦争に反対・不賛成を表明したわけですよ。これはたいへんなことで、そういう世界になりつつあるのです。「戦争のない世界」をめざす大きな動きがおこっている。そのときになぜ九条を放棄するのか。そういう問題が問われているのです。
佐藤 憲法「改正」の具体的な動きをみると、憲法九条に「自衛権」とか「自衛隊」を明記せよと、そうすれば子どもでも分かりやすくなるじゃないかという意見がありますね。これについてはどういうふうにお考えですか。
志位 「自衛隊」というのをかりに憲法九条に明記したとすると、憲法がどうなるかということを考えてみたいと思うんですね。
九条は、第一項に戦争放棄をうたっている。第二項に軍備の禁止をうたっている。両方合わさって九条であるわけですよ。かりに第二項を変えて、日本は軍隊を持てるというふうにしてしまうとすれば、九条が九条でなくなるといいますか、九条は固有の先駆的な意味を失いますね。ある意味では「普通の国」の憲法と変わらなくなる。そうなるとどうなるかといいましたら、私は、集団的自衛権の行使への歯止めがなくなると思います。
いまの憲法で集団的自衛権の行使をなぜできないか。政府がたててきた理屈は、要するに「日本は戦力をもてない」という建前になっているということにあります。「戦力をもてない」のだから、(「必要最小限」の)自衛権の行使まではできても、集団的自衛権の行使まで行けないわけですよ。そこに「自衛隊」というものを書き入れちゃったら、私は集団的自衛権――海外での武力行使、米軍との共同の武力行使への歯止めがなくなると思います。
佐藤 一方で集団的自衛権の行使を認めるように憲法を「改正」するというのは、自民党で最近になって強まっている主張ですが、それによって日本の安全保障政策が広がるじゃないかと、つまり、集団的自衛権の行使を容認するからといって、何でもかんでもアメリカについていくわけではない。そこは、取捨選択をするんだという説明をされています。
志位 でも、それをいっている人たちが、イラク戦争一つとっても、どんな問題でもアメリカ追随の外交をやっている人たちではないですか。
もう一つは、集団的自衛権といった場合、「自衛」という言葉が入っていますから、何か防御的なもののように錯覚するのだけれど、アメリカがこれまで「集団的自衛権」という名でやってきた戦争というのは、ベトナム戦争、グレナダ侵略など、侵略戦争でした。今度のイラク戦争は、まぎれもない侵略戦争ですが、最近は(「集団的自衛」どころか)「先制攻撃戦略」というのを公然と方針にしています。
ですから、私は、いまの米国と一緒に、集団で戦争をやるということになりましたら、そうした「集団的侵略」の道に日本を引き込むことになる。つまり国連憲章に反する無法な同盟に、「日米同盟」がさらに変質することになる。ここも指摘しなければならないと思います。
佐藤 憲法問題もそうですし、安全保障政策ではこの十一月、ないし十二月には、新しい「防衛計画の大綱」が策定されるらしいです。これに向けて政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」が議論している。ここでは、「武器輸出三原則」を見直したらどうかと。これは、佐藤内閣に始まって、三木内閣で包括的に広がった武器の禁輸政策であり、日本としては、平和国家というのを世界にアピールする大きなツール(手段)になってきたと思いますけれども、この見直し論が強まっている。この背景は、どう見ていらっしゃいますか。
志位 日本経団連が旗を振っている、財界筋の圧力というのが非常に強いですね。その財界がいまどこを狙っているかというと、「ミサイル防衛計画」で一商売やろうじゃないかという作戦ですね。つまり「ミサイル防衛」=MDというシステムのなかに、日本も組み込んで入っていこうと。
このシステム自体が、非常に危険なシステムです。アメリカが世界中に「ミサイル防衛」というシステムをはりめぐらせる、その一翼を日本が担おうということになるわけです。しかし、この動き――アメリカが“万能の盾”をもってしまうということになれば、自由に先制的な核攻撃ができるようになる。そこから核軍拡競争をひどくする。そういう悪循環のなかに日本も引き込んでいくということですから、それ自体が有害で危険きわまりないことです。
このMD構想に参画するうえで、武器の共同研究だけじゃなくて、共同生産までいかなければならないと。そこで、この「武器輸出三原則」が邪魔になってきた。いわば武器商人――「死の商人」の非常に強い圧力のもとで、この事態が引き起こされていると(思います)。
戦後、憲法九条があり、「武器輸出三原則」があったというのは、日本の世界における立場で、積極的な意義をもってきたと思います。私は一年半ほど前に、南アジアを訪問する機会がありまして、インド、スリランカ、パキスタンとまわってきたんですけれども、パキスタンに行きますと、いかに武器が流れ込んでくるのが恐ろしいかということを痛感しますね。旧ソ連がアフガン侵略戦争をやった。その時にアフガンからパキスタンに(流入して)来たのが、カラシニコフ銃と麻薬と難民だった。それによって、パキスタンはたいへんな被害をこうむった。いかに武器というものが流入してくるのが、その国を破壊するかというのを、パキスタンにいって痛感したものでした。
日本の武器が世界中に出回るような状況になったら、これはほんとうに恥ずかしいことだと思います。MDという目の前にぶらさがっているおいしいもうけ口のために、この原則を投げ捨てるというのは、とんでもないことです。
佐藤 もう一つ日米間で大きな問題となっている米軍基地の再編です。日本政府が公式に発表していないのでよく分かりませんが、いろいろな動きがあります。どういうふうにご覧になっていますか。
志位 これをみるさいの一番の基本になるのは、去年の十一月にブッシュ大統領の発表した在外米軍基地の再編についての方針です。そこで打ち出されているキーワードは二つあります。一つは「機動性」、もう一つは「一体化」というキーワードです。
「機動性」というのは、アメリカの海外に展開している基地について、世界のどこへでもいつでも、戦争に投入できるような臨戦態勢を、より強化するということですね。たとえばグレグソン前在沖縄四軍調整官がのべていますが、「これまでの日本というのは静かな水面に浮かぶスイレンの葉のようだった。しかし、今後はハブ(中軸)にするんだ」と。つまり(日本の基地を)日本を拠点にして世界のどこにでも展開できるような、機動的中軸にしていくのだということを言っています。これまでも「スイレンの葉」どころか、ベトナムにも出ていった、イラクにも出ていった、殴りこみの拠点にされていたわけですけれども、もっとその機能を高めて、機動的に動けるようにする。これが一つです。
もう一つ言われているのが、「一体化」ということです。私はいくつかの重大な動きがあると思います。一つは、北海道の矢臼別陸上自衛隊演習場に沖縄の第三海兵隊の砲兵部隊を移すという動きです。二つ目が、神奈川のキャンプ座間に米軍の陸軍第一軍団の司令部を米国の本土からもってくるという動きです。三つ目が、米軍横田基地に府中の航空自衛隊司令部をもってくるという動きです。
これらをやりますと、陸上自衛隊の日本最大の演習場である矢臼別に米海兵隊をもってきて、ここで陸の部隊の「一体化」ができる。それから司令機能でも、キャンプ座間に米国本土から陸軍の司令部をもってきて、米国陸軍と陸上自衛隊との「一体化」ができる。そして、横田基地に府中の航空自衛隊の司令部をもってきて、空も「一体化」する。海は、もともと横須賀の米第七艦隊と海上自衛隊の艦隊との間で「一体化」されているわけです。そうしますと、陸海空の三軍すべてで、米軍と自衛隊との「一体化」がはかられる。一体で演習し、一体で海外にも出ていこうというシステムづくりだと思います。
日本の米軍基地が、これまで以上に「機動的」に世界中への展開のための拠点とされ、そしてこれまで以上に日米が「一体化」して戦争にのりだしていく、こういう危険な動きが全体の本質だと思います。
佐藤 これはやはり共産党としては反対される。
志位 こうした動きの全体はほんとうに危険なもので、反対して立ち向かっていくつもりです。
佐藤 日米間の協議がどうもよく分かりませんね。
志位 まだどこに落ち着くか、見えてこない面もあります。ただ、先日、沖縄にいったときに感じたことですが、沖縄ではこういう動きにさいして、一部の勢力のなかで、自動的に沖縄の基地負担が軽くなるのではないかという議論があるのですが、私はアメリカ頼みでは絶対にうまくいかないと思います。さきほどいった危険な本質をもった動きだけに、沖縄の基地をなくそうと思ったら、沖縄県民のみなさんが声をあげて運動をおこす。北海道でも問題を解決しようと思ったら、道民のみなさんが運動をおこす。横須賀の基地もそうですし、キャンプ座間もそうです。日本国民が声をあげてこそ、米軍基地のない日本への道を前進させることができるということは、とくに強調したいことです。
佐藤 韓国では(米軍の)三分の一を削減するのにたいし動揺が生まれています。日米安保への依存というのも一方では日本国内にあります。共産党は日米安保に反対されていますが。
志位 日米安保を考えるさい、日米安保条約のなかで日本が軍事行動に参加するケースというのは(条文上は)二通りしかないのです。一つは「(日米安保条約の)五条事態」といわれる「日本有事」です。つまり、日本がどこかの国から攻撃された、あるいは在日米軍基地が攻撃された場合に、日米共同で対処すると。これが一つですね。もう一つは「六条事態」といわれる「極東有事」のさいに、日本の基地をアメリカが利用すると。この二つしかないのです。「日本有事」と「極東有事」しか日米安保の対象ではないのです。
ところが、いま起こっているのは、「日本有事」でもなければ、「極東有事」でもないのですね。実際、東アジアで起こっていることをみますと、東南アジアではASEAN(東南アジア諸国連合)中心に平和の流れが起こっている。北東アジアでも朝鮮半島の問題は残っていますが、これも話し合いで解決しようということで、六者協議、日朝協議、南北協議がやられている。東アジア全体をみましたら、紛争の危険になるような問題というのは、北朝鮮の問題が解決したら、それこそなくなっていくわけですね。
実際にいまおこなわれているのは、「日米同盟」の名で自衛隊をはるか遠くの中東に出す、イラクに出す、インド洋に出すということです。こういうところで使われているわけですよ、「日米同盟」は。こんなことは、日米安保条約にももともと規定のない、日米安保でも説明のつかない動きなのです。「日本の防衛」とも関係ない、「東アジアの平和」とも関係ない、そういうところで「日米同盟」なるものが使われている。そしてやっている戦争というのは、国連憲章を無視した無法な侵略戦争です。これが「日米同盟」の実態ですから、こういう無法な「同盟」をつづけておいていいのかというのは、私は二十一世紀の大問題だと思います。
アーミテージ米国務副長官が、「憲法九条は日米同盟の妨げになっている」といって問題になりましたが、私は九条をとるか、「日米同盟」をとるか、これは二十一世紀の日本の大問題だと思います。私たちはなくすべきは憲法九条ではない、日米安保条約こそなくして、ほんとうに対等・平等の友好の日米関係にきりかえていく、これが大事だと思います。
佐藤 それができるような北東アジア、国際情勢を醸成していくと。
志位 その通りですね。北東アジアをみても、北朝鮮の問題などを解決したら、それこそ安保条約の「存在意義」が、いよいよあらゆる面で説明つかなくなっていくでしょう。