2004年8月13日(金)「しんぶん赤旗」
イラクの旧フセイン政権下で二十五年間にわたって核兵器開発責任者を務めた科学者、ジャファル・ディア・ジャファル氏は十一日夜放送された英BBCニュース番組でのインタビューで、フセイン元大統領は湾岸戦争後の一九九一年七月に核兵器開発の停止を命じたことを明らかにし、その後、核計画が再開されたことはなかったと語りました。
BBCによると、同氏がこうしたインタビューに応じたのは初めて。同氏は、生物・化学兵器計画も湾岸戦争後に廃棄され、再開されることはなかったと述べました。
同氏は、イラク戦争開始の理由として米英両国が主張したフセイン政権の核開発計画再開の意図について、「彼らは自国民にうそをついている」と断言。「すべての核開発計画はフセイン大統領の命令で九一年七月に停止された」と語りました。
また、「イラクは国連制裁の下で計画を続行する財源がなかった」と述べ、核開発計画再開阻止に、国連によるイラク制裁と大量破壊兵器査察が効果を発揮したことを明らかにしました。
同氏はまた、「(核開発関連)装置を共和国防衛隊に渡すよう命じられ」「彼らは引き渡された装置を破壊するよう命令を受けていた」と述べ、「当時すべてが破壊され、計画が再開できるような状態ではなく、実際にも再開されなかった」と語りました。
同氏はさらに、「能力はまったくなかった。化学、生物あるいはそのほかの大量破壊兵器と呼ばれるものは一切なかった」と述べ、「資材や原料もまったく存在していなかった」と語りました。
英国政府が主張していた、イラクがウランをニジェールから購入しようとしたとする疑惑については、イラクは一九八〇年代にニジェールからウランを購入し、「五百トンのイエローケーキ(ウラン原料)を保有しており、それ以上は必要なかった」と語りました。
同氏は、イラクが核抑止力を持つことは重要だと思い、愛国心からそれを達成しようとしていたと語り、米情報機関から亡命を持ちかけられたことがあるが拒否したことも明らかにしました。
同氏は、フセイン政権崩壊の二日前にシリアを経由してイラクを脱出。現在はパリに滞在しています。