2004年8月14日(土)「しんぶん赤旗」
「恐れていたことが起こってしまった」―。米軍ヘリ墜落の一報をうけた十三日午後二時二十分すぎ、宜野湾市で取材中だった記者は、そんな思いで同市の普天間基地を一望できる市役所の屋上へ駆け上がりました。
沖縄県・浅野耕世記者
|
沖縄国際大学近くからもくもくと立ち上る黒煙。住民を巻き込んだ最悪の事態も予想され、居合わせた市職員らが緊張した表情で立ち尽くしていました。
同五十分に現場到着。米兵が学内まで入り込み事故現場近くへの立ち入りを規制。学生らから「なぜ米兵に学内での移動を制限されるんだ」などと怒りの声。校舎内の女子学生は「このまま移動できなかったら家にも帰れない」と途方にくれていました。
その後、校舎の間から事故現場に近づいた記者がカメラを構えると、慌てて米兵数人が駆け寄り、「撮影をするな」「ここから出て行け」と高圧的な態度でカメラの前に立ちはだかり撮影を妨害しました。
付近には、ゴムが燃えたような悪臭が充満し、銀色の消防服に身を包んだ市消防隊員が必死に消火にあたり、爆発音と激しい振動で家を飛び出した住民ら数百人が心配そうに事故現場を眺めています。沖縄国際大学には、在学中の学生の安全を確認するため、父母も詰めかけ、緊迫した状況が長く続きました。
取材を終えて現場を離れようとする記者に住民が駆け寄り訴えました。「基地を全面撤去しなければ絶対に事故はなくならない。もうこんな悲劇を繰り返させないようにがんばってくれ」。事故現場に居合わせた住民たちみんなの願いが込められていました。